落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

田母神俊雄氏・次世代の党から衆院選出馬

2014年11月29日 | 政治・外交
都知事選で60万票をとった田母神俊雄氏が次世代の党から衆院選に出馬することになった。 東京12区の太田氏(公明)と激突。
自公の共通公約なるものを見ると、自民公約「日本を取り戻す」自主憲法制定・憲法改正の一字もなかった。
公明党ブレーキによって本来の自民党公約が消されたのだろう。
同様に西村眞悟氏が大阪16区で前国交相北側氏(公明)と戦う。
自公分離を目指す田母神氏・西村氏に期待する。
次世代・田母神氏「自民党の右側に柱をたて、自公を分離させる」 出馬会見詳報
 (産経新聞)2014年11月28日(金)19:09
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20141128563.html

 元航空幕僚長で太陽の党代表幹事の田母神俊雄氏が28日、国会内で記者会見し、次期衆院選に東京12区から次世代の党の公認を受けて立候補する意向を正式に表明した。記者会見には次世代の党の平沼赳夫党首と藤井孝男総務会長が同席した。詳細は以下の通り。
     ◇
 「このたび、次世代の党の公認を受けて東京12区から衆院選に出馬することを決心した。私は安倍(晋三)自民党内閣の『日本を取り戻す』とか『戦後レジームからの脱却』を支持する立場だ。女性の社会進出とか増税の方向性とか、違う点はあるけれども、基本的に『日本を取り戻す』という考え方に賛成だ。そのために憲法を改正し、日本を取り戻すことが必要だし、集団的自衛権の公使を容認することも必要だと考える」

 「しかし、自公連立政権の中で、公明党はこれら安倍総理がやろうとしていることに基本的にみんな反対だ。だから安倍首相が頑張っても、今の自公連立政権では日本を取り戻すことは無理なのではないかと私は思っている。したがって、自民党の右側にしっかりと柱を立てて「安倍首相、もっとしっかりやってくれ」という健全野党ができ、次世代の党が勢力を拡大して自公分離ができて、いわゆる保守の連合が成立するようになって初めて、日本を取り戻すことができるのではないかと思う」

 「私は太陽の党を今年9月に設立したが、(来年)1月1日を過ぎないと公職選挙法の(候補者届け出)政党になれず、太陽の党から立候補できないということだった。何とか立候補の道を探っていたところ、考え方も非常に近い次世代の党から今回立候補させていただくことになり、公認をいただいた」

 「私は東で現国土交通相の太田昭宏先生と戦い、西村眞吾衆院議員は大阪16区で前国交相の北側一雄さんと戦う。公明党と戦って自公分離を進めたいという思いで立候補する。自公を分離させなければ日本の将来は危ないのではないかと私は思っている」

 「『公明党と戦うことはやめたほうがいい』と、ずいぶんいろんな方から注意を受けた。『ひどい嫌がらせがあるから』ということで。でも、そんなことを言っていたら戦えない。嫌なことがあったら皆さんに全てお知らせする」
 --昨日の次世代の党都連大会で立候補予定者が登壇した際は田母神氏はいなかった。今日の会見とのタイムラグが生じたのはなぜか

 藤井氏「短期決戦だ。12月2日公示だから時間的余裕がない。議論している余裕がない。いろいろな意見があったのは事実だが、解散後の両院議員総会で最終的には平沼党首に一任することを全会一致で決定した。今日、党首から最終的な判断が出て、それを田母神候補が引き受け、今日(の表明)になった」

 --東京12区からの立候補は単に自公分離が目的なのか、地縁があるのか
 田母神氏「(東京12区内にある)赤羽に1年ほどいたことがあるが、地縁は特にない。自公分離を狙いとして立候補する」

 藤井氏「東京12区は自民党候補者が出ない。前回の選挙では無効票が4万票ぐらいあったようだ。それで本当に有権者の選択肢があるのかどうか。全く自民党の候補者も出さないのは、ある面ではおかしいのではないか。有権者が選択できる幅を持たせることが必要ではないか」

 --党内でいろんな意見があっても田母神氏に出てほしいという最終判断をした平沼氏の思いは
 平沼氏「私は党首であると同時に選挙対策本部長だ。だから、いろいろご意見があるけれども最後の決断は私にさせてほしいという形で、今日が決断する時期だと思って、決断させていただいた」

 --公示以降、何を訴えるか
 平沼氏「私どもは安倍さんのやり方を前向きに評価しているところもあるが、アベノミクスの第三の矢に具体性がない。東京なんかは割合景気が良くなってきているけれども地方は疲弊している。第三の矢をもっと具体的に補強すべきだと主張していきたいし、8つある(次世代の党の)基本政策の筆頭は自主憲法の制定だから、このことも訴えていかなければならない」

 同「田母神さんは安全保障の専門家だ。安全保障の面でも、憲法の前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』という考え方じゃなくて、軍国主義になるという形じゃなくて、われわれの安全と平和は自らの力で担保していく。そういうことも盛り込んで主張していきたい」

 --西村氏も田母神氏も自公分離を訴えている。平沼氏の考えでもあるのか
 平沼氏「同じ考えを私はずっと持っている」

 --田母神氏は太陽の党の代表幹事だ。太陽を離党して次世代から出馬するのか
 田母神氏「その通りだ」

 --田母神氏が一番訴えたい政策は何か
 田母神氏「国民を守れる政治にしなければいけないと思う。例えば尖閣の海は日本の漁船が操業できない。中国の船は自由に操業する。そして中国の漁船と日本の漁船の衝突が起きると大変だからということで、海上保安庁は日本漁船に『尖閣の海に近づくな』という指示をしている。そういうことが長く続くのは全くおかしいと思う。国は国民の生活を守らなければいけない。でも守られていない状態が続いて放置されている。こういうことを改善しなければいけないし、こういうことが放置されているから小笠原でサンゴがとられるとかいう事件も起きる。国際社会の中では富と資源のぶんどり合戦みたいなものだから、きちんと国を守るということを細かい部分でやっておかなければ、どんどんこういうことが起きると思う。国民を守れる政治を実現したい」

 --党の認知度アップを課題としてきた。知名度の高い田母神氏にどんな役割を期待するか
 平沼氏「わが党は8月1日に結党し、9月16日に結党大会をしたばかりの政党だから知名度がない。石原慎太郎最高顧問も全国的に大変有名な人だし、田母神さんも東京都知事選に出て61万票を取るぐらいの全国的に顔の広い人だから、大いに知名度を上げ、そして党のためになってくれると認識している」

 --平沼氏は憲法改正についての質問に対し、首相が何も答えなかったのに不満を示していた。これも対決姿勢の理由になったのか
 平沼氏「次世代の党はいいものはいい、悪いものは悪いというというのが基本姿勢だ。是は是、非は非でいくわけだから、対決はしていない。ただ、私は25年間自民党にいて、安倍首相とも深い付き合いがある。この前の所信表明演説をよくみてみたら憲法のけの字も出ていなかったので、代表質問でそのことは指摘させていただいたけれども、私の感じでは安倍さん自身は諦めていないと思っている」


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沖縄県知事は『福州市名誉市民』

2014年11月29日 | 政治・外交
親中議員は国会、地方議会に少なからず見られる。
若手議員を大挙引き連れて接待を受けたO氏とか、
ハニートラップにかかった議員や自殺に追い込まれた外務職員など。
外部からみるとどうしてそんなことになるのかと思うが、渦中にあるものは中々自覚できず罠にはまっていく。中には確信的に売国行為を行う人もいる。
この方はどうか。
台湾は日本の生命線! [メルマ!:00174014]
日時: 2014年11月27日 21:17:49JST
件名: 【メルマガ台湾は日本の生命線!】
 翁長雄志・新沖縄県知事への中国「取込み」プロセス

ブログ「台湾は日本の生命線」より。ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2462.html

2014/11/21/Fri

十一月十六日、沖縄県県知事選挙で普天間飛行場の辺野古移設反対を掲げる翁長雄志前那覇市長が当選を決めるや、英BBCの中国語サイトはこれを速報。見出しは実に「福州『名誉市民』が沖縄県知事に当選」。
記事は「選挙の最大の争点は普天間基地の移転問題」「沖縄県民の大部分が日米政府による移転計画に反対していることが反映された」「困難だらけの日米計画に新たな不確定要素が添えられた」と論じながら、次のように伝えるのである。

「翁長氏は二〇〇〇年に那覇市長に就任後、同市が中国の福州と姉妹都市関係にあることから、〇五年には福州市から『名誉市民』の称号を贈られている。先月に市長を辞任しているが、那覇市のホームページには『私が名誉市民の表彰を受けたのは、上山中学校と福州市の外語学校との交流を行なうなど、市民の方々、それから歴代の市長を始め、職員が一生懸命、福州市とこれまで交流を続けていただいたことでの表彰であり、那覇市の代表ということで受け取って参りました』と載せている」

つまり今回の選挙結果の日米関係への影響を考える上で、この報道は翁長氏と中国との密接な関係に着目しているわけである。実際に同氏は、名誉市民とされてから親中反米姿勢を強めだしたと言われている。
ちなみに上記のホームページにある翁長氏の言葉は、福州からの帰国後、市の広報のインタビューに答えてのもの。

「福州市から『栄誉市民』の表彰を受けましたが、何かものすごい歓迎を受けたと聞きました。そこで、まず、具体的にどのようなことで、表彰を受けたのか、と、中国式と言うのでしょうか、その歓迎ぶりについて、少しお話しをしていただけますか」との質問に対してだった。

同氏はそこではさらに下のようにも話している。翁長氏が福州市に籠絡されて行くさまがありありと感じ取れるだろう。

―――その歓迎については、お国柄といいましょうか、すべての道路を交通規制して、厳重に警備されながらパトカーに先導され、ノンストップで案内してくださいました。
―――また、夜には中国共産党のトップの方々、福州市長を始めトップの方々と、私たち那覇市から六名が参加し晩餐会が催され、たいへん感激をしまして、最後はカチャーシーをして終わりました(笑)。
―――ただ、びっくりしたのが、翌日からフリーになるのかな?と思ったら、ショッピングなどの個人的な時間が若干あったのですが、この若干にもパトカーが付いて来て、ほんの二時間ほど福州の街を自由に歩きたいと思っていたのですが、ぴったりと中国の警官と職員が尾行して、僕が選んだお土産にもジッと見ているので、「僕はここを動かないから、少し離れてください」とお願いをしたのですが、五メートル以上は離れず、またジッと見ていましてね。たいへん戸惑いました(笑)。
―――このような歓迎は、たいへんありがたいのですが、しかし今度は福州市からおいでになられた場合は、あのような歓迎は日本の体制ではできないので、引け目を感じますね。渋滞する国際通りを通行止めにしたり、車が通ると同時にパレット前の掲示板で「歓迎!福州市長」と歓迎したり、まず無理ですよね(笑)。

―――今回の出張では、福建省の博物館の一つのコーナーにある、琉球の人の名前が彫られたお墓を見て、先人たちが築いてきた福州市と那覇市の長い交流をあらためて感じることができました。
―――今後も交流の輪をしっかり受け継ぎ広げていこうと決意を固めた授章式でした。

すっかり中国にメロメロのようだ。独裁国家の異常ともいえる待遇に、翁長氏は何の警戒心も持たなかったのか。どう見ても、中国お得意の「大歓待」という名の取込み工作を加えられているではないか。
こうしたことによって翁長氏が、あの国の善意に感激し、恩を感じる一方で、「名誉市民」などと持ち上げられて自尊心が満たされ、優越感を味わい、中国に従属することに生き甲斐を感じるという歪んだ心理状態に陥り、「交流の輪をしっかり受け継ぎ広げていこうと決意を固めた」のだとすれば、まさに中国の沖縄反米闘争支援のために進める県内分断工作の一つが成功をおさめたということになる。

このように見ると、福州市との友好交流を記念するとして、現在那覇市内で予定される龍柱の建設などは、翁長氏が「あのような歓迎」をやってみたいとの思いからのものではないかと思えて来る。
十八日の産経新聞コラム「産経抄」もこう書いている。

―――沖縄在住の作家、恵隆之介氏によれば、翁長氏は「鳩山氏よりもっと危険な親中派の人物」だという。すでに那覇市内の市有地には孔子廟(びょう)が建てられ、中国の石材を使った、高さ15メートルもの龍柱の建設が予定されている。
―――翁長氏に名誉市民の称号を授与した中国福建省の省都福州市は、習近平国家主席のお膝元でもある。翁長氏の背後には、習氏の影が見え隠れする。中国共産党の機関紙はかつて、琉球諸島の帰属は未解決との論文を掲載した。翁長沖縄県知事は、中国の支援を受けて独立を果たし、日米両国政府に「米軍撤退」を要求するのではないか。
―――こんなシナリオを紹介した恵氏の近著『迫りくる沖縄危機』(幻冬舎)が、沖縄で売れている。

翁長氏は当選証書を受け取った十九日、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前に出向き、移設反対活動に狂奔し続ける極左グループを激励している。中国に取込まれ、日本国民としての誇り、理性を奪われた人物の行動の恐ろしさが発揮されるのは、いよいよこれからか。
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加瀬英明氏「日本国憲法第9条は『包装紙』にすぎない」

2014年11月28日 | 政治・外交
衆院が解散した。ただでさえせわしない師走に選挙戦が展開される。
当方の住む公営賃貸団地では公示前から公○党候補者のポスターがぺたぺたと窓外の桟にくくりつけられ見苦しい。外側は共有物の筈だが・・。URも甘い。
一棟二十四、五所帯で二,三軒が○○学会であることがわかる。
そのポスターは安倍首相の顔入りで今回も選挙協力前提か。
これでは自民党の憲法改正公約は何時になることやら。
日本国民のために働いてくれる候補者に投票したいのだが、党利党略小選挙区制では難しいのではないか。

衆院解散で「みんな」とか「生活」等の政党が消滅の憂き目にあっているそうな。
中共や韓国の方ばかり向いた政党や国籍不明の議員が多すぎる。
中共の東南シナ海侵略、半島の精神文化侵略が激しい今日、無関係ではないだろう。
山陰地方では道路標識、観光施設、山中の標識までハングル併記だった。
先般またしても対馬の仏像や経典が韓国人によって盗まれた。民放某キャスターは「物質世界への執着はダメだ」「怒るようなことではない」などと視聴者に説教を垂れたそうな。

来年は終戦(敗戦)七十周年にあたる。
GHQ押しつけ直訳の現行憲法は破棄し真の独立国になってもらいたいものだ。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
件名: 日本国憲法第9条は「包装紙」にすぎない
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

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衆参議員会館前の歩道に、秋雨のなかに濡れながら、「憲法第9条を守れ」と書いたプラカードを持った10数人が立っていた。
 それほど、第9条が素晴しいものなら、ウクライナまで出かけて、9条の崇高な精神をウクライナ国民に説くことを、奨めたい。
 プラカードを手にした善男善女は、9条が「金甌(きんおう)無欠」のものだと、固く信じているにちがいなかった。
 戦前、昭和12年につくられた『愛国行進曲』に、「金甌無欠揺らぎなき、我が日本の誇りなれ」という歌詞があった。
 だが、いったい、憲法第9条は全世界に向かって、胸を張って、誇れるものなのだろうか?

 「平和憲法」と、誤まって呼ばれているが、誰もが、アメリカが占領下で日本からいっさいの武装を解除して、日本を未来永劫にわたって属国とするために、押しつけられたことを知っていよう。
 憲法というものの、憲法を装った不平等条約である。

 日本文化の大きな特徴の1つは、「包む」ことに、異常なまで執着してきたことだ。
 東大卒であれば、80、90の爺さまになっても、「あの人は東大出だ」といわれる。
 高島屋の包装のほうが、「西武百貨店」の包装よりも、有難がられる。
 御進物は、中身よりも包装のほうが、立派なことが多い。
 日本女性を包む着物は、世界のどの文化の衣(ころも)よりも、贅沢なものだ。世界のなかで、もっとも金(かね)がかかっている。
 日本の花嫁衣裳、歌舞伎の装束や、能衣装をとれば、マリー・アントワネットたちがベルサイユ宮殿で纏ったドレスや、中国の歴代の皇妃たちの衣装を圧倒している、絢爛豪華なものだ。
 つい、このあいだまでは、洋酒のジョニ黒や、輸入物のブランデーを貰うと、桐の箱に入っていたものだった。

 昨年は、富士山が世界文化遺産に登録されたところ、登山者が急増した。今年は、群馬県の富岡製糸工場が、世界文化遺産に指名されたが、それまでは誰も訪れることがなかったのに、観光客が殺到するようになった。
 日本は、包装文化なのだ。日本国民の多くが、憲法第9条も包装紙にすぎないのに、アメリカが日本を無抵抗な国民にするために、銃剣によって脅かして、強要したものだという、中身をよく見ようとしない。

 平和は祈ることや、念じることによって、もたらされない。平和は国民が努力して、創りだすものだ。
 議憲派の人々は昭和20年に金甌無欠の日本を守るために、「一億玉砕」の掛け声のもとに、「神州不滅」を念じて、竹槍を持って本土決戦に備えたことを、連想させられる。
 多くの国民が神風が吹いて、日本が最後の勝利をおさめると、教えられていた。
 青年たちによって、「神風(しんぷう)特別攻撃隊」が結成されて、敵艦に突っ込んでいった。

 元寇にあたって、全国の神社仏閣で護摩壇を設けて、敵国降伏を祈った。
 しかし、それと同時に、全国の武士たちが肌赤、褌(ふんどし)に日本刀をぶち込んで、槍を手に博多湾に集まって善戦したために、祖国が護られた。

 9条という衣を脱ぎ去って、素っ裸になって、日本の行く末を考えてほしい。


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加瀬英明氏「『ミズーリ』号上の悔しさと誇り」

2014年11月25日 | 歴史
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
件名: 明年で70年~「ミズーリ」号上の悔しさと誇り
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

 9月が巡ってくると、東京湾に浮ぶ米戦艦『ミズーリ』号上で降伏式典が催されてから、70年目を迎える。
 私の父・俊一(としかず)は、重光葵(まもる)全権に随行して参列した。
 重光外相がマッカーサー元帥の前にしつらえられた机に置かれた降伏文書に、万涙を呑んで調印するすぐわきに、父が立っている。

 その前夜に、母のか津が俊一を呼んで、「あなた、ここにお座りなさい」といった。
 座ると、毅然とした態度で、「母はあなたを降伏の使節にするために、育てたつもりはありません」と叱って、「行かないで下さい」といった。
 俊一は「お母様、どうしても、この手続きをしないと、日本が立ち行かなくなってしまうのです」と答えて、筋を追って恂恂(じゅんじゅん)と訳(わけ)をあかした。

 しかし、か津は納得しなかった。
 「わたしには、どうしても耐えられないことです」といって立ち上ると、嗚咽(おえつ)しながら、新しい下着を揃えてくれた。
 私は中学に進んでから、父にミズーリ艦上で、どう思ったか、たずねた。
 すると、父は「日本は戦いには敗れたけれども、数百年にわたって、奴隷のように虐げられていたアジアの民を、解放した。そういう歴史的な大きな、新しい時代を開いたという意味で、日本は勝ったという誇りを胸に秘めて、甲板を踏んだ。重光も同じ考えだった」と、答えた。

 甲板にあがった時に、小さな日の丸が7、8個、灰色の壁に描かれているのが、父の眼に入った。あきらかに『ミズーリ』号が撃墜した特攻機を、表わしていた。すると、胸に熱いものがこみあげた。だが、敵将の前で涙を見せてはなるまい。
 父は「これほど、生涯で泣くのをこらえたことはなかった」と、語った。
 私は『ミズーリ』号の甲板に立った父の悔しさと誇りをいだいて、成長した。そして、今日に至っている。

 日本が大きな犠牲を払って、アジアが解放されると、その高波がアフリカ大陸も洗って、西洋の列強によって虐げられていたアフリカの民が、つぎつぎと独立していった。
 今日の人種平等の世界は、日本が戦ったことによって創り出された。
 日本は人類史で大きな役割を果した。大いに誇るべきである。


ネットより拝借画像

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宮崎正弘氏「日清戦争から120年・・」

2014年11月24日 | 政治・外交
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成26年(2014)11月19日(水曜日)弐通巻第4399号
http://melma.com/backnumber_45206/

日清戦争から120年の歳月が流れた
                         宮崎正弘

 2015年は中国、韓国が主体となり、ロシアを巻き込んだ「反日キャンペーン」がさらに拡大しそうである。
 まず韓国では2015年3月1日を「独立運動記念日」として、政府主催の記念式典を開催する。朴大統領は「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」と演説している。
ついで韓国は3月26日は「テロリスト」の安重根を愛国烈士として祭り上げ、中国ハルビンの「安重根記念館」でも行事を行うという。

 中国ではどうか。
まず5月4日に「五四運動記念日」、7月7日が廬溝橋事件の記念日。おそらく習近平は北京の「抗日戦争記念館」の記念式典に出席し、日本批判の演説をするだろう。7月25日は日清戦争開戦の日に当たるが、すでに2014年に120周年の集会を行っている。8月15日の終戦記念日に韓国は「光復節」を行う。

 また中国では9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と位置づけており、日本がミズーリ号で降伏文書に署名した翌日にあわせ、対日戦争で「勝利した」ことにする。歴史捏造である。
 9月18日は瀋陽にある「918記念館」で抗日行事を行う。
くわえて11月21日に「旅順大虐殺記念日」なるものを定め、1894年に旅順で日本軍の大虐殺があったという歴史捏造日にも記念行事、続いて12月13日、南京陥落を「南京大虐殺殉難国家追悼日」なる式典とする。

いずれも歴史的事実とは無関係の歴史捏造による政治宣伝、愛国主義の政治プロパガンダ記念日だが、反日気運を盛り上げ、つぎの尖閣諸島強奪に正統性を加味しようとする試みである。
ここにロシアが加勢しそうな雰囲気がある。
第二次世界大戦70周年にあたり、旧連合国の政治キャンペーンやイベントと意図的に重ね合わせられると、厄介なことになる危険性がある。

さて2015年4月17日は、日清戦争の終結となった「下関条約」から120周年の節目にあたる。
この条約を以て李鴻章は日本に賠償金を支払い、台湾は「化外の地」といって割譲した。
 本来なら国家が祝賀行事を行うべきだが、民間団体が主催のイベントしか日本では予定されていない。英国はトラファルガー勝利記念日を、フランスもパリ解放記念日を、豪やNZはたとえ敗戦した日であろうと「ガリポリ記念日」に盛大な軍事パレードを行う。

 習近平の中国は「甲午戦争の仇を討つ」と放埒に豪語してやまない。「愛国主義による中華民族の復興が中国の夢」と本気で唱えているのだから。

 ▼当時、東洋一の艦船を誇った清がなぜ日本に負けたのか?
 「甲午戦争」とは中国でいう日清戦争のことだ。当時、世界第四位の海軍力を誇った清は、西欧から購入した新鋭最強の軍艦を保有し「アジア一の海軍力だ」と自慢していた。
ところが日本ごときに「なぜ負けたのか」と多少の反省を籠めて甲午戦争を研究してきた。そしてこんどこそ日本を打ち負かせると自信過剰なほどの論説が中国のネット上に展開されている。  「愛国」を鼓舞し、反日で国民を糾合しようとする中国共産党の宣伝戦争の一環だが、あちこちで矛盾が吹き出している。

 陳破空(米国に亡命した論客)がこうした動きに厳しい論評を加えている(香港誌『開放』、14年八月号)。
 1888年、清は北洋艦隊を創設した。
これは清末期の洋務運動と富国強兵策の結果である。北洋艦隊の規模は日本の連合艦隊を上回り、艦船比較で12 vs 10,火砲の数量にいたっては日本の連合艦隊の三倍だった。
 現在の日中軍事力比較では中国海軍が質量ともに圧倒的に日本より勝る。中国海軍は65隻の潜水艦、31隻の駆逐艦、61隻の護衛艦、数百隻のミサイル装備船と一隻の空母を誇る。中国海軍の23万5000人に対して日本の海上自衛隊は僅か4万5000人しかいない。

 経済力を見ても当時の清のGDPの五分の一が日本の国力だった。世界の総合GDP比較で清は17・6%,日本は僅かに3・5%だったのである。
 こんにち、中国のGDPは世界第二位。日本は三位。こうした比較を勘案すれば戦う前に勝敗は明らかであろう。

 しかし清は日本に負けたのである。 
 第一の理由は軍の果てしなき汚職と腐敗である。軍の費用をがじるように幹部が食いちぎった。
訓練費用から兵士の食費にいたるまで貪官の汚職の犠牲となり、兵士の士気があがるわけはなかった。武器庫から砲弾を横流ししていたのだ。開戦三ヶ月前に慌てて砲弾を買い直した。艦船を動かす燃油を売り払い修理工場では機械を売り払っていた。
 いまもこの汚職と腐敗体質に替わりがないばかりか、中国人民解放軍の汚職の金額はべらぼうである。

たとえば2002年、中国海軍はロシアから現代級駆逐艦を購入したが、ロシアの売値6億ドルが中国軍の装備修理工場をへて最終的には14億ドルに化けていた。
 近年摘発されただけでも王守業中将(海軍副司令)の横領額は一億六千万元。谷俊山のそれは200億元と桁外れ。各地に豪邸、皇帝並みの大豪邸を建てて皇帝並みだった。
 失脚した徐才厚、郭伯雄らは中南海の贅を尽くしたお屋敷に暮らしていた。戦略ミサイル部隊もセメントでできたミサイルで員数を偽装し、予算は使い切っていた。

 北洋艦隊の基地は威海衛の沖合に浮かぶ劉公島だった。
艦長以下は艦で寝泊まりせず自宅には妻妾が同居していた。一般兵士は淫売窟へ通い、賭場は華やか、技楼だけでも70軒を数え、「武人は荒淫である」と嘯いて、まじめに艦隊勤務をしていない。開戦時、「威遠」と「来遠」の艦長は不在で妾の家にいた。指揮官が不在で誰も何をして良いか分からず、たちまち日本軍に撃沈された。
さきの王守業は愛人が六名、谷俊山は二十三人だった。

 北洋艦隊司令の丁汝昌らは責任を取って自殺した。まだ彼らは恥を知っていた。
 いまの人民解放軍幹部らは恥を知らない。日本に必ず負けるだろうが、誰も自決する軍人はいないだろう、と陳破空は結論した。

   さて外的な勝因がある。
 第一にアメリカは当時、朝鮮を見限っていた。
 第二に英国はロシアの南下を防ぐ手だてとして清を利用しようと試みたが、とても駄目と判断し日本に梃子入れをする。英国はこの時点で日本重視に舵取りを切り替えた。したがって英国領事館の情報は代理人を通じてほとんど日本へ流された。
 旅順で虐殺がなかったことは既に多くの文献で証明されている。
 この流れが1902年の日英同盟に繋がり、それから三年後の日露戦争勝利に繋がった。

(この文章は昨日(11月18日)に開催された「日清日ロ戦争記念顕彰国民大会」での宮崎の講演に加筆したものです)


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【山】愛媛県西条市 笹ヶ峰(1870m)~ちち山(1855m)

2014年11月21日 | 散歩・山歩き
11月21日(金) 晴れ

19日から国民宿舎石鎚で二泊三日、石鎚山脈の三山(瓶ヶ森、石鎚山、笹ヶ峰)を歩いた。

三日目は笹ヶ峰(1870)、ちち山(1855)を歩いた。
国民宿舎石鎚を8:30頃出発したが、瓶ヶ森林道が使えなかったため、来るとき同様県道40号線を回った。
本川から国道194を北上、風透トンネル手前の下津池から林道に入った。
林道はやがて未舗装になる。果たして登山口まで行けるのか不安になるが前進。
相当な悪路で揺れまくり、四輪駆動に切り替える。スピードは20k/h位しか走れない。
所々、「笹ヶ峰登山口」の標識があり、とにかく前進する。

ようやく吉居川の上流、橋のたもとの登山口に到着すると、なんと数台の車が駐まっていた・・・・


笹ヶ峰

頂上から石鎚山方面を望む

 山歩記へ

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【山】愛媛県西条市 石鎚山・弥山(1972m)

2014年11月20日 | 散歩・山歩き
11月20日(木) 晴れ

19日から国民宿舎石鎚で二泊三日、石鎚山脈の三山(瓶ヶ森、石鎚山、笹ヶ峰)を歩いた。
1900m前後の山々で朝は氷点下になり霧氷が見られた。
10月に剣山を登り翌日石鎚山を予定していたが雨の為登山を断念したが、今回は三日間とも好天に恵まれた。

第二日目は石鎚山。
石鎚山は、石鎚神社のある弥山(1972m)、天狗岳(1982m)、大砲岩、矢筈岩のある南尖峰の総称らしい。
石鎚山の標高は1982mと書かれているが、天狗岳の標高だ。

国民宿舎石鎚から弥山頂上までおよそ4.3km(片道約二時間半)を往復した。
「鶴の子の頭」を過ぎるころから、石鎚の岩峰が見えてくる。
斜面は霧氷の木々を纏って、初めて見るものには神秘的だ。




前日登った「瓶ヶ森」


天狗岳(1982m)


弥山(1972m)頂上にて

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【山】愛媛県西条市 瓶ヶ森(1897m)

2014年11月19日 | 散歩・山歩き
11月19日(水) 晴れ

19日から国民宿舎石鎚で二泊三日、石鎚山脈の三山(瓶ヶ森、石鎚山、笹ヶ峰)を歩いた。 1900m前後の山々で朝は氷点下になり霧氷が見られた。
10月に剣山を登り翌日石鎚山を予定していたが雨の為登山を断念したが、今回は三日間とも好天に恵まれた。
石鎚山系では「森」と名の付く山が多い。鎮守の森が日本の何処にでもあるが、信仰の対象としての意味がこめられているのであろうか。

第一日目は瓶ヶ森(1896.5m)。
早朝五時半に神戸を出発、高速道路を利用して、瓶ヶ森駐車場に11時頃到着した。
寒風山トンネルから瓶ヶ森にいたる林道は工事のため通行止め、止むなく194号線を本川まで南下し、県道40号線で瓶ヶ森林道名野川越に出た。
県道40号線は30km足らずであるが、細く所々こちらも工事のため通行時間規制が行われ一時間以上かかった。






瓶ヶ森 夕方、国民宿舎石鎚より

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【山】宍粟市一宮町 銅山(954m)

2014年11月16日 | 散歩・山歩き
11月14日(金) 曇時々晴れ

宍粟市一宮町(養父市大屋町境界) 銅山(954m) 宍粟50名山

この日の天気は、兵庫県南部は晴れ、北部但馬地方は曇ところにより雷雨となっていた。
銅山は丁度中間辺りになり、尾根に上がると冷たい風が吹いていた。体感では7度前後か。
急斜面を登り汗もかいたが、尾根歩きではまたジャンバーを引っ張り出して着た。
尾根の樹木はすっかり落葉していたが、所々紅葉が見られた。
展望は樹木越しで、時期的にはよかったと思う。






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日中首脳会談・進展無し

2014年11月11日 | 政治・外交
APECと並行して行われた三年ぶりの日中首脳会談はこれといった進展はなかった。
会談でいろいろ条件付けをした中共に対して日本側は一切譲歩しなかったゆえ、習近平の表情は硬く、握手も儀礼的なものにすぎなかったそうな。
反日一辺倒の中共、ニコニコしたらかえっておかしい。「一切譲歩しません」と主張した日本外交の勝ち。中韓には「ドアは開けておきます、用があればいつでもどうぞ」でいいのではないか。韓国も同様。
習主席、無礼のウラに中国国内不安 「弱腰」「譲歩」批判に怯える  2014.11.11
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141111/frn1411111533009-n1.htm

 3年ぶりに実現した安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談。笑顔で語りかける安倍首相に対し、ニコリともせずそっぽを向く習氏の無礼な態度が話題になったが、習氏の対応は、「日本に譲歩した」という国内世論の批判を意識したものにほかならない。「会談」ではなく「会見」との表現を用いた中国外務当局の発表が、国内で追い込まれ、怯える習氏の立場を物語っている。

 「私も映像を見たが、どうすればよかったのか…」
 菅義偉官房長官は10日夕の記者会見で、外交儀礼上、例を見ない習氏の振る舞いへの困惑を隠さなかった。

 会談は、北京市の人民大会堂で約25分間にわたって行われ、第1次安倍政権当時の首相が胡錦濤国家主席との間で合意した「戦略的互恵関係」の原点に立ち戻ることで一致した。
 国際政治学者の藤井厳喜氏は、会談での習氏の態度について「当然だろう。ニコニコしたりすれば、国内から批判を受けてしまう」と指摘する。首脳会談をめぐり中国側は、尖閣諸島や靖国神社参拝をめぐる問題での歩み寄りを開催の“条件”として示してきたが、日本側は一切譲歩しなかったからだ。
 実際、首脳会談に先立って日中両国が発表した合意文書に靖国問題が明記されていないことについて、中国のインターネット上では「(政府は)弱腰だ」と非難する声も起こっている。中国指導部は「日本に譲歩した」との批判を押さえ込むことに腐心しているのだ。

日中首脳会談に関する中国外務省の発表は、「会談」との表現ではなく、ホスト役が客人に会う時などに使う「会見」を用いた。「会見」のニュアンスは、日本語の「面会」や「接見」に近い。中国の国営通信、新華社(英語版)も、会談について「日本側の要請に応じて」行われたと速報した。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の主催国として、安倍首相の「求めに応じて」あくまで儀礼的に面会した-。国内外にそうアピールしようという魂胆がミエミエだ。
 ただ、今回の首脳会談は、日本側にとって無意味だったわけではない。
 尖閣諸島や靖国神社の問題には両首脳とも言及しなかったものの、偶発的衝突を避ける「海上連絡メカニズム」の運用について合意したことは、危機管理面での大きな前進といえる。
 前出の藤井氏は「日本の原則的立場を貫いたまま会談を行ったという意味で、これまでの日中首脳会談とはまったく性格が異なる。立派な外交だったと評価していい」と語った。
日中首脳会談、ぎこちない握手も思惑通り 会談したことに「最大の意味」 2014/11/11
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20141111/plt1411111540002-n1.htm

 【北京=阿比留瑠比】3年ぶりに実現した安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、個別の具体的懸案の処理や重要政策テーマを協議することではなく、会談を開くこと自体が主目的だった。

 「きょう両首脳が直接会い、関係改善に向けて率直な話し合いをもったことに最大の意味がある」
 会談後、政府筋はこう振り返った。会談前に外務省幹部も「今回は、会って会談して写真を撮ればそれでいい」と語っていた。

 会談冒頭、首相と握手を交わした習主席の表情はぎこちないままだったが、日本側としてはいったん握手をしてしまえば主導権も握れるという計算もあった。日中外交筋はこう語る。
 「第1次安倍政権当時の平成18年に、首相が胡錦濤国家主席と会談したときもそうだ。会って握手した瞬間にこっちが強い立場になる。中国側は対日方針を転換して会った以上、関係が悪くなると習執行部の失点となって後ろから矢が飛ぶ。だから一生懸命関係をよくしようとすることになる」
 会談で第1次安倍政権当時の首相が提唱した「戦略的互恵関係」がキーワードになったことも、日本側の狙い通りだ。これまで中国側は、いくら首相が「日本側のドアは開かれている」と呼びかけても、歴史問題などで対日非難を強めるばかりで応じてこなかった。にもかかわらず今回、日本に要求してきた靖国神社不参拝の確約や、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領有権問題の存在確認など諸条件を引っ込めて会談したことで、日中関係のあり方は変わった。

中国としては、主張の一貫性を保つため国内向けに安倍政権は「いい方向に変わった」「反省した」と宣伝せざるを得ない。そうなると、今後は対日批判を弱めていく可能性が高い。
 実際、会談でも「靖国」「尖閣」という言葉への言及は一切なかった。この問題で日本を批判すると、会談実施と整合性がとれず、中国国内で政権批判を招くことになりかねないからだ。

 「今後も徐々に、関係改善の努力をしていきたい」
 会談で習主席が「徐々に」という言葉を用いたののも、日本の対応を見守りつつ少しずつ軌道修正を図りたいと中国側の意向を反映しているといえる。
 もちろん日本政府は、会談したからといって諸懸案がただちに解決するとはみていない。尖閣諸島についても中国側が領有をあきらめることはないとみているが、偶発的衝突を避ける「海上連絡メカニズム」の運用も合意したことで、当面の危機管理上の意味は大きい。政府高官は今回の会談をこう位置づける。

 「尖閣諸島問題などで中国を押さえ込むためのキックオフだ」



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