落葉松亭日記

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なぜ今、「女性宮家」なのか

2012年02月22日 | 政治・外交
小泉内閣の折、女系天皇容認の皇室典範改正が持ち上がったが、悠仁親王がお生まれになって事なきを得た。
皇室と雖も、我々庶民と同じ少子化に見舞われている。戦後多くの皇族が臣籍降下され皇族を離れたことも皇位継承者不足を招いている。
今は内憂外患諸問題を抱え日本は大変なことだが、将来日本の国柄がどうなっていくのか重要な問題となっている。
猪瀬直樹氏(作家、東京都副知事)、伊藤哲夫氏(日本政策研究センター代表)の論評より
「万世一系の危機」にいまから備えよ:猪瀬直樹(作家、東京都副知事)2012年2月15日(水)13:00
http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/php-20120214-01.html?link_id=k_kanren_news_body

女性宮家問題再燃の背景

野田首相は、女性皇族が結婚後も皇族の身分にとどまれる女性宮家の創設について、皇室典範の改正を含めて検討する方針を示した。すでに政府は有識者へのヒアリングを行なうなど、改正に向けた動きを進めようとしている。皇室典範改正については、平成17(2005)年、小泉内閣時代に設置された「皇室典範に関する有識者会議」が記憶に新しい。当時、秋篠宮文仁親王と紀子妃殿下のもとに悠仁親王は生まれておらず、皇太子殿下の次の世代は、愛子内親王をはじめ女性皇族しかおられなかった。皇太子妃である雅子妃殿下が適応障害になられたということもあり、その後、皇族から男子が生まれる可能性は低いとも考えられていた。

このままでは皇位継承者がゼロになる可能性も高く、そこから有識者会議では「皇位継承者を女子や女系の皇族に拡大する必要がある」とする報告書をまとめた。しかし、翌18(2006)年に悠仁親王が生まれたことから、この論議は中断されたまま今日に至っている。

それがここへ来て女性宮家創設の論議が再燃しているのは、秋篠宮家の長女である眞子さまが20歳となられたからだ。まもなく大学を卒業される予定で、そうなればいずれご結婚という話にもなる。やがて眞子さまがご結婚され、さらに次女の佳子さまもご結婚されれば、秋篠宮家に残る皇族は悠仁さまだけになってしまう。一度、降嫁されたらもう皇族には戻れない。天皇陛下の長女である旧紀宮清子内親王は、ご結婚されて黒田清子さんという民間人になられた。少なくとも秋篠宮家のお二人には、結婚後も皇族として残っていただく必要があるのではないか。もちろん愛子さまにもそうしていただく。そうした背景が今回の女性宮家問題の再燃にはある。

たしかに、悠仁さまはまだ5歳で、差し迫った皇位継承の危機があるわけではないという声もある。しかし、悠仁さまがご結婚されて、次の皇位継承者が生まれるまで、少なくとも二十数年はかかる。その間、ほかに同じ世代の皇位継承者がいないというのが、非常に危うい状態であることに変わりはない。

現実的な選択肢

現在の皇室問題をめぐる最大のテーマは、「万世一系の危機」をいかに乗り越えるかである。小泉内閣時代の有識者会議は、男子の後継者がゼロという危機感から生じた。今回は成人しつつある女子の皇族をどうするかで、具体的内容はそのときどきによって異なる。その意味で今回の論議は、かつての有識者会議の結論に拘束される必要はない。

また前回の有識者会議では、いわゆる女帝を認めるかどうかという議論があったが、しかし一方で愛子内親王に婿がくる可能性については、真剣に話し合われていたようには思えない。仮に愛子さまが皇位継承者となった場合、結婚する男性は、のちの「皇配殿下」となる。つまり、イギリスのエリザベス女王の配偶者、フィリップ殿下のような立場になるわけで、はたしてその任を務められる男性がいまの日本にいるだろうか。

「のちの女帝の夫」という立場ともなれば、本人の人柄だけでなく、家系も問われることになるだろう。父や祖父の代だけでなく、曾祖父、またもっと遡って出自や功績が問われることになる。現代日本では、曾祖父の代まで遡って立派な家柄というのは、そう多くはない。民間企業でも三代続くとダメになっているケースが多い。うまくいっている企業は、ほとんどが途中でサラリーマン社長になっている。

イギリスの場合、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵といった貴族がいて、そこから配偶者を決めることができる。だが現在の日本には、そのようなシステムはない。明治維新後は、大名家から転じた華族がおり、土地がたくさんあるなど不労所得がそれなりにあるケースも多かった。戦後、華族制度は廃止され、相続税によって代々の財産もなくなっている。

先の有識者会議で愛子さまの配偶者に関する具体的議論がなされなかったのも、こうした点に原因があると思われるが、今回、女性宮家創設に絡んで、そのような議論は必須である。
この解決策として有効だと考えられるのは、旧皇族の男系男子から婿をとるというものである。
女性皇族は何人か旧皇族男子と見合いをするなかで、相性の合う人を探す。
昔はみんな見合い結婚だったことを考えれば、それほど突飛な話ではない。あるいは、見合いのような堅苦しいものでなく、まずは旧皇族が集まる場をつくり、知り合う機会をつくるところから始めてもよいのかもしれない。
女性宮家を認めたうえで、婿は旧皇族に限る。さらにその婿が明治天皇の血を引く者であれば、国民も納得しやすいだろう。万世一系を維持するための「現実的な選択肢」ということを考えた場合、これが唯一ありうるものではないか。

天皇家を補佐する人間がいない

ところで、今回の女性宮家創設問題は、そもそも羽毛田信吾宮内庁長官が昨年10月、政府に進言したことに端を発している。
しかし、これは必ずしも天皇陛下のご意思を代弁したものではないとして、反発する向きもある。
実際に羽毛田長官の発言が、誰の意思を反映したものかはわからない。
羽毛田長官は元厚生労働省事務次官で、そこから旧内務省の流れを汲む厚労省の意向が働いているという見方がある。

いずれにせよ、女性宮家の創設は官僚が勝手に決めているのではないかと世間には思われているわけで、これは現在、天皇陛下によきアドバイザー役がいないことを示している。
昭和天皇の時代には、木戸幸一が内大臣として昭和天皇の補佐役を務めていた。
また入江相政侍従長、その後、やはり侍従長になる徳川義寛次長らが健在で、元華族の彼らは補佐役の役割を果たしていた。

また今上天皇の皇太子時代には、小泉信三という師父がいた。
美智子妃殿下とのご結婚についても、彼がよきマネジメント役として演出を手がけていた。
しかし、現在の皇室にはそのような存在がいるのかどうかは疑わしい。周りにいるのは宮内庁の官僚、それも霞が関の他の府省から順番に出向してきた融通のきかない官僚たちである。
他省からの出向で来ているから、みな本省ばかり向いている。自分の出世だけを考え、天皇を守るという立場にない。

基本的に官僚は、皇族の権威を利用できれば利用したい。自分たちの関係する団体の式典や催しに、できるだけ臨席してもらいたいと考える。その結果、皇族は肉体を酷使されることになる。とくに、すでに78歳になられた天皇陛下には公務の負担が大きく、心配された秋篠宮殿下が天皇の定年制を提案されたほどであった。
これも天皇の側に立つ人間が、役人のなかにいないことを表わしている。少なくとも皇族のスケジュール管理は、官僚に任せてはいけない。
民営化して民間人から募ったほうがよい。霞が関からの侵食を防ぐためには、官僚と渡り合えるような民間出身の人間を皇室の周りに配置しなければならないだろう。

いま起きている天皇家の後継者問題とは、「家族としての危機」の問題でもある。これは周囲に役人しかいないことが大きい。家族とは「柔らかい」もので、それを役人、制度という「堅いもの」だけで囲んでいるから、問題が生じてくるのだ。家族と制度のあいだを埋めるような、潤滑油のような存在をつくらなければ、危機の解消は難しいだろう。

家族の危機という問題を考えたとき、雅子妃をともなわず、皇太子殿下が一人で公務に出席されている姿は国民の同情を誘う。天皇皇后両陛下がつねにご一緒に行動されることからもわかるように、基本的に皇族はご夫婦で動く。
東日本大震災から1カ月後の4月、秋篠宮ご夫妻を避難所となっていた東京ビッグサイトにご案内して驚いたのだが、お二人は完全に「チーム」として行動されていた。「あなたがこちらを回ったら、私はこちらを回る」というように、阿吽の呼吸で動かれていた。
皇太子殿下の苦衷が察せられるだけに、天皇家の側に立って補佐する人間はやはりどうしても必要だと思う。

〈『明日への選択』平成24年2月号〉 2012年2月1日(水曜日)
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=800

井上毅の「永世皇族主義」に学べ

 女性宮家創設の問題については、『明日への選択』2月号26頁以下にも書かせていただいたが、要は悠仁様の後の安定的な皇位継承を、女系ではあれ、それでも近親の女性皇族のお子様をもって備えとするか、あるいは血筋は遠くとも、あくまでも男系男子をもっての備えとすべく、元皇族の男子子孫に新たに皇族身分を取得していただくか、この二つに一つの選択だといってよいだろう。

 むろん、その中間に、女性皇族と元皇族男子子孫にご結婚していただいて、その男子のお子様に悠仁様以後の皇統の備えになっていただく、という道も考えられはする。しかし、それはあくまでもそのような話になれば有り難い、という話であり、そんな実現性も定かならぬ話に、国の運命を一方的に委ねることはできない、という話でもある。その意味では、やはりこの二者択一に戻る他ない、というのが筆者の認識でもある。

 これは最近聞いた話だが、この女性宮家創設の動きの仕掛け人といってもいいある官僚OBが、ある会合で、女性宮家は安定的な皇位継承を考えてのことだ。
元皇族の皇籍復帰(正確には元皇族男子子孫の皇籍取得)などという馬鹿げたことを主張する向きもあるが、そんなことは断じて認められない。女性宮家創設(すなわち女系の容認)しか選択肢はあり得ない、と断言したとのことである。
「衣の下から鎧」どころか、ご公務分担だけを考えての女性宮家創設などという主張は、要は国民説得のための一時的な方便でしかない、というまさに開けっぴろげな告白なのである。とすれば、やはり女系容認となっても近親の女性宮家の創設か、あるいは血筋は遠くなっても男系維持か、の問題に立ち戻って考える他ない。

 ところで、かく考える時、ここでどうしても紹介しておきたいのが、男系皇統の維持のために「永世皇族主義」の必要を唱えた井上毅の主張である。
彼が旧皇室典範の原案起草に携わった時、実は当時の関係者の中にも明治天皇の血筋から遠い世襲親王家に由来する皇族を可能な限り排除していきたいとする動きがあった。しかし井上はかかる主張を断固非とし、「王位継承法は親属の親疎よりも、寧ろ系統を取ること」が重要であるとし、血筋の遠くなった皇族を順次臣籍降下させていくべきとする主張に、強く反論しているのである。以下は井上の言葉だ。

 「五世以下皇族にあらずとすれば、忽ち御先代に差し支えを生ずべし。継体天皇の如きは六代の孫を以て入れて大統を継ぎ玉へり。不幸にして皇統の微(かすかなこと)、継体天皇の如きあらば、五世六世は申す迄もなし。百世の御裔孫に至る迄も皇族にて在はさんことを希望せざるべからず」

 だからこそ、血筋が遠くなったからだの、皇族の数が増えれば財政的に大変だの、という単純な理由で皇族を減らすようなことをしてはならず、またただ直系が好ましいとの感情的な理由で無闇に皇族の数を減らそうとすれば、いつか必ず男系皇統の維持にとって危機となる時がやってくるというのである。井上は続けていう。

 「継体天皇、宇多天皇の御場合の如きは大に不祥の事と云はざるべからず。然らば仮令多少の支障はあらんとも、成るべく皇族の区域を拡張すること、誠に皇室将来の御利益と云ふべし」

 継体天皇は越前まで探しにいってようやく皇位を継承してもらうという例であったし、宇多天皇は一度臣籍に下った後、再び皇籍に復帰され、即位されるという例になった。しかし、それは結果はともかく、二度とそのような異例を繰り返さないための平時からの備えが必要だという教訓なのだ。

 とはいえ戦後、宮家の臣籍降下が強要され、再び危機に直面しているのが現状でもある。ここはやはり井上の主張に学ぶべきだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)
〈『明日への選択』平成24年2月号〉