連日酷暑が続いている。
階下の公園から聞こえる蝉の大合唱は「ツクツクボーシ」に変わり、暑さも峠を越えたかなと感じさせる。
ベランダでひっそりと蝉の亡骸が見られるようになった。
青空に浮かんでいる雲がなんとなく秋の気配を感じる。
午前中の涼しいうちにと菊水山に登った。日曜日で登山者も多い。
頂上は爽やかな風が吹き渡り、霞も少なく展望が良かった。
展望台で写真を撮っているとき、一陣の風に麦わら帽子を持って行かれた。
幸い展望台すぐ下に落ちたので、帰りに拾うことが出来た。
淡路島
南:紀伊水道 友が島
北西:鈴蘭台、奥は多可町の山々
西:岡山・金甲山?
南東:ポートアイランド、生駒連山、奥に紀州山脈
山を降り、自宅のある団地への登りはさすがに汗が噴き出した。
シャワーを浴び、扇風機をかけて昼寝をした。
午後二時、寒暖計は31.5度を示していた。
播磨灘の夕焼け
階下の公園から聞こえる蝉の大合唱は「ツクツクボーシ」に変わり、暑さも峠を越えたかなと感じさせる。
ベランダでひっそりと蝉の亡骸が見られるようになった。
青空に浮かんでいる雲がなんとなく秋の気配を感じる。
午前中の涼しいうちにと菊水山に登った。日曜日で登山者も多い。
頂上は爽やかな風が吹き渡り、霞も少なく展望が良かった。
展望台で写真を撮っているとき、一陣の風に麦わら帽子を持って行かれた。
幸い展望台すぐ下に落ちたので、帰りに拾うことが出来た。
淡路島
南:紀伊水道 友が島
北西:鈴蘭台、奥は多可町の山々
西:岡山・金甲山?
南東:ポートアイランド、生駒連山、奥に紀州山脈
山を降り、自宅のある団地への登りはさすがに汗が噴き出した。
シャワーを浴び、扇風機をかけて昼寝をした。
午後二時、寒暖計は31.5度を示していた。
播磨灘の夕焼け
山の日
亡父が所属していた高砂市荒井神社ボルネオ会慰霊祭に参列した。
楠の緑陰の下、忠魂碑に祭壇が設けられ粛々と行われた。
数年前には戦没者の奥様もおられたという。
長年主催されてきた荒井神社様は大変だったろうと思う。
亡父(1999年没)は幸いにも生還し、元気な頃はこの戦友会に参加していた。
昨年戦後70年で一区切りされた。
今年以降は毎年8月11日「山の日」に会食なしの自由参加となった。
10名足らずと少なくなったが、なかに初めて来たという女性がおられた。
戦死した父親がここに祀られていることを偶然知ったと涙ながらに語っておられた。
亡父は折に触れて「支那広東ではなぁ・・・」「ボルネオのジャングルはなぁ・・・」と戦争体験を語っていた。
子供の私は正直「また始まったか」と思ったりしたが、この女性(私と同じ1944年生まれだった)や何度も遺骨収集や慰霊に現地に行った方々の話を聞くと、なんと罰当たりな子供だったなぁと恥ずかしい。
昭和46年、先代荒井神社宮司広瀬正三氏が独歩367大隊の足跡として戦友や遺族の手記を編纂され、「あゝボルネオ」「続・あゝボルネオ」が貴重な記録として残った。
現在は関係者か国会図書館ぐらいにしかない。
数年前、お許しを得て拙ホームページに転載させていただいた。
ご一読いただければ幸いです。↓
http://kansai.me/tdym/ww2nd/WWII_brn_shuki.htm
今上天皇「生前退位」のご意向のニュースがあった。
平成28年でもう御退位と思うが、即位が御年56歳の時であられた。
昭和天皇の終戦時の玉音放送が歴史の一コマとして残っているが、このたびのビデオメッセージもまた歴史に残ることだろう。
天皇の重責に、高齢による制約を自覚するようになったこと、皇室自らのありようにも深く心していると率直に述べられた。
産経新聞の号外保存版
【産経新聞号外】天皇陛下が「生前退位」に強いご意向(1)[PDF]
http://www.sankei.com/module/edit/pdf/2016/08/20160808_1.pdf
【産経新聞号外】天皇陛下が「生前退位」に強いご意向(2)[PDF]
http://www.sankei.com/module/edit/pdf/2016/08/20160808_2.pdf
平成28年でもう御退位と思うが、即位が御年56歳の時であられた。
昭和天皇の終戦時の玉音放送が歴史の一コマとして残っているが、このたびのビデオメッセージもまた歴史に残ることだろう。
天皇の重責に、高齢による制約を自覚するようになったこと、皇室自らのありようにも深く心していると率直に述べられた。
天皇陛下が「生前退位」に強いご意向
「象徴の務め困難に」 摂政には否定的 ビデオメッセージに「お気持ち」込められ
http://www.sankei.com/life/print/160808/lif1608080017-c.html
ビデオメッセージ:
象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明される天皇陛下(宮内庁提供)
天皇陛下は8日午後3時から、象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明された。お言葉は以下の通り。
◇
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
©2016 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.
「象徴の務め困難に」 摂政には否定的 ビデオメッセージに「お気持ち」込められ
http://www.sankei.com/life/print/160808/lif1608080017-c.html
ビデオメッセージ:
象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明される天皇陛下(宮内庁提供)
天皇陛下は8日午後3時から、象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明された。お言葉は以下の通り。
◇
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
©2016 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.
産経新聞の号外保存版
【産経新聞号外】天皇陛下が「生前退位」に強いご意向(1)[PDF]
http://www.sankei.com/module/edit/pdf/2016/08/20160808_1.pdf
【産経新聞号外】天皇陛下が「生前退位」に強いご意向(2)[PDF]
http://www.sankei.com/module/edit/pdf/2016/08/20160808_2.pdf
東京都知事選 小池百合子氏が初当選 8月1日 1時52分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160731/k10010616111000.html?utm_int=news_contents_news-main_002
舛添前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は31日に投票が行われ、無所属の新人で元防衛大臣の小池百合子氏が、自民・公明両党などが推薦した次点の候補に100万票余りの差をつけて初めての当選を果たしました。東京都知事に初めて女性が就任することになります。
東京都知事選挙は開票が終了しました。
▽小池百合子(無・新)当選、291万2628票。(得票率44.5%)
▽増田寛也(無・新)179万3453票。(同 27.4)
▽鳥越俊太郎(無・新)134万6103票。(同 20.6)
▽上杉隆(無・新)17万9631票。(同 2.7)
▽桜井誠(無・新)11万4171票。(同 1.7)
▽マック赤坂(無・新)5万1056票。(同 0.8)
・・・以下略
※:得票率は都知事選サイトより付記http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160731/k10010616111000.html?utm_int=news_contents_news-main_002
舛添前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は31日に投票が行われ、無所属の新人で元防衛大臣の小池百合子氏が、自民・公明両党などが推薦した次点の候補に100万票余りの差をつけて初めての当選を果たしました。東京都知事に初めて女性が就任することになります。
東京都知事選挙は開票が終了しました。
▽小池百合子(無・新)当選、291万2628票。(得票率44.5%)
▽増田寛也(無・新)179万3453票。(同 27.4)
▽鳥越俊太郎(無・新)134万6103票。(同 20.6)
▽上杉隆(無・新)17万9631票。(同 2.7)
▽桜井誠(無・新)11万4171票。(同 1.7)
▽マック赤坂(無・新)5万1056票。(同 0.8)
・・・以下略
当方注目の桜井氏は5位。
有権者11万人が在日特権や外国人留学生特別待遇などの反日政策の是正に賛同した。
今までは主にインターネット上の活動だったが、選挙で広く知れ渡ったことで、氏は手応えを感じたのではないだろうか。