来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のこと
私は、道新文化教室の「教科書の『名作』を学び直す」という勉強会に関わっている。まだ3か月のキャリアだが、月2回のゼミが楽しみだ。講師は元北海学園大学の荒木美智雄さんで、今回取り上げたのは標題にある作品だ。
最初に芥川のこの小説の材源について触れられた。ポール・ケラスというドイツ生まれのアメリカ作家が書いた「因果の小車」(鈴木大拙訳.1898(M31)年)が芥川の材源。芥川の小説は1918(大正7)年刊。筋書きはほとんど同じ。
芥川は児童文学として書いた。私などの理解は、地獄におちたカンダタは生きていた時の少しの善行を認めたお釈迦様が指し示した救いにすがりつこうとするあまり、自分以外の者が救われる必要がない、という態度を示したためにまた地獄へUターンする、そのエゴイスティックな行動をとがめることを意味しているのだろう、と思っていた。
だから人間がもつエゴイズムへの警鐘だという単純な理解だった。ただいろいろ関連させて考えると、ではカンダタが「オレも救われたい、お前たちも同じ願いだろう。では一緒に地獄から極楽へ行こう。細い糸が切れないように注意するのだぞ」ぐらいのことを言えば、どうなったのだろう? と気になる。カンダタの足元から糸がきれるのだろうか。それともみんな地獄から極楽へと救われるのだろうか。
しかしそもそもお釈迦さまは大悪人のカンダタを、ほんのちょっとだけいいことをしたことがあった、と評価して救いの手を差し伸べることはOKなのだろうか(仏教の教えは?)。
関連させて考えると面白いが、結局はわけがわからなくなりそうだ。学校の「道徳」の時間などで生徒といっしょに議論するテーマかも知れない。
最初に芥川のこの小説の材源について触れられた。ポール・ケラスというドイツ生まれのアメリカ作家が書いた「因果の小車」(鈴木大拙訳.1898(M31)年)が芥川の材源。芥川の小説は1918(大正7)年刊。筋書きはほとんど同じ。
芥川は児童文学として書いた。私などの理解は、地獄におちたカンダタは生きていた時の少しの善行を認めたお釈迦様が指し示した救いにすがりつこうとするあまり、自分以外の者が救われる必要がない、という態度を示したためにまた地獄へUターンする、そのエゴイスティックな行動をとがめることを意味しているのだろう、と思っていた。
だから人間がもつエゴイズムへの警鐘だという単純な理解だった。ただいろいろ関連させて考えると、ではカンダタが「オレも救われたい、お前たちも同じ願いだろう。では一緒に地獄から極楽へ行こう。細い糸が切れないように注意するのだぞ」ぐらいのことを言えば、どうなったのだろう? と気になる。カンダタの足元から糸がきれるのだろうか。それともみんな地獄から極楽へと救われるのだろうか。
しかしそもそもお釈迦さまは大悪人のカンダタを、ほんのちょっとだけいいことをしたことがあった、と評価して救いの手を差し伸べることはOKなのだろうか(仏教の教えは?)。
関連させて考えると面白いが、結局はわけがわからなくなりそうだ。学校の「道徳」の時間などで生徒といっしょに議論するテーマかも知れない。
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