kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

平安時代の平和の終焉その3

2010-07-21 09:08:31 | 柏シルバー大学院
6 精神の衰弱化
●末法思想と浄土宗
 浄土宗とは、阿弥陀如来、弥勒菩薩などの慈悲にすがり、極楽や補陀落山といった浄土に往生することを目的に念仏などを実践する教え。
末法とは、教法だけが存在し、修行や証果のない時代。
 他力本願の宗教で、御経を読むだけで、修業をしない。
 ●それと反対に、禅宗は自力本願で、武士に多かった。
 ●この時代、自殺往生の流行。

7.「のろい殺す」の横行と陰陽師
のろい殺すことは、殺人や強盗と同様の重罪である。
8.文人貴族の変容
政治や社会の在り方を問題にする文人貴族としての誇りや選良意識から、天皇や摂政を賛美する詩歌や言葉を駆使して巧みに表現する観念的作品が増加した。

政治と社会の変化の中で、平安時代の平和は、武士社会に代わっていった。(731)
爺も、昔の歴史の時間に戻り、友人の顔を連想しながら、講師の話を楽しんだ。
かっての歴史の時間は、ここまで詳しく教えてくくれなかった。
興味のある方は、これを機会に、再度日本歴史を楽しんだら・・・・いかがですか。
お読みいただき、ありがとうございました。

平安時代の平和の終焉その2

2010-07-20 09:24:18 | 柏シルバー大学院
.疫病の大流行
●994年疱瘡流行。5位以上の貴族官人67名死亡。
●995年中納言以上の公卿8人死亡 関白藤原道隆・関白藤原道兼死亡。道長関白1015に。
●1001年、疫病流行、点か疫死すること大いに盛んなり。道路の市外その数知らず。
●1015年、インフルエンザ流行、死者多数。
 国家的疫病対策:全国の寺社への法ひの奉幣や読経。4境祭。
  民衆的疫病対策:御霊会。疫病を人間の代わりに虫に表意させて河川に流した。

4.盗賊の流行
●藤原保輔(和泉式部の夫保昌の弟)強盗の張本、本朝第一の武略、追討宣旨を蒙ること15度。後に禁獄されて自害。
●30人ほどの集団を従い、盗犯行為を重ね、無敵の群盗化。
●女盗賊(藤原隆房家の上級女官)
 ●放火,強盗、殺人が横行した。

5.平安協の治安維持対策
●検非違使庁の強化  六衛府を作る 都市犯罪の地域的拡大と増加対策。
●道守屋(ちもりや)の設置 各区域の住民中心に宿直、警備させる治安組織
次回に続きます。(730)

那珂湊魚市場・・・3連休2日目常磐高速渋滞なし

2010-07-19 08:57:16 | 日記
連休だから渋滞があるだろう、との予想をもとに朝の6時30分柏の自宅を出た。
生れて4か月の孫を連れて、車は軽快の高速道を予定通り走り続けた。

予定の8時頃那珂湊魚市場についた。こんな早くから大きな駐車場はほぼ満車であった。
家内達は、孫を抱きながらの魚の品定め。確かに安いと家内がいう、マグロも高島屋の半値だと・・・。しかし、2人の老夫婦では、ほしいだけ買うと、自宅で消化しきれない。
家内の顔を見ていると、辛抱との心の葛藤のようである。

現在は、漁をする時期でないと現地の人が話してくれた。今船は出ていない。
この魚市場の魚は、全国の漁場から送られてきている。種類も大変多い。タラバ蟹も、毛ガニも、色のいいイカも遠方から・・・・と。

お客は、魚を大きな箱一杯に購入し、氷で保冷し家路に向かっている。
休日には、1週間分の食料の買いだめをする生活が大方の生活である。車と大店舗と広い駐車場は、生活に必需である。渋滞がなければ、車で1時間30分、買い物に無理な距離ではない。車社会の広がりの驚いている。

これが、社会の変化と共に商店の移り変わりである。誰でも、現状維持に安閑としていられない時代である。常に考えていなければならない時代であると思った。(729)

平安時代の平和の終焉その1

2010-07-18 13:47:14 | 柏シルバー大学院
7月8日にAクラスで、歴史のテーマ「平安時代の平和の終焉」について現職の大学教授から講義を拝聴した。関心をお持ちの方、お読みください。

まえがき 
●平安時代は約400年続いた。世界の歴史でも類を見ないとことである。ここに、世界
 的な関心が集まっているということである。
●日本は外国からの国の崩壊はなく、内部からの崩壊が多い。世界的に珍しい。
 財政が厳しくなる。貴族の贅沢が1つの原因。そこで税金をかける。地域が疲弊する。
 そこで、戸籍の上で住む人は女の65歳以上にする。税は年齢で決まり、65歳以上の 
 女子は無税になる。こんなことが横行した。
●社会が乱れ武士が発生してきた。貴族は国家意識が低く、自分のみを大事に・・・。
 役人としての心得をできてきた
火災と水害
●内裏焼失火事が多く、天皇は約2年に1度住まいをかえていた。
 960年、969年、1015年、1021年、1058年、1177年、1180年と大きい火事が都
 に起こった。前半は失火中心、後半は失火と放火が多く、放火が激増していった。
●水害も多かった。 938,980,1017年加茂川氾濫。都を水浸し。(728)
次回に続きます。


ペイント写生画作成シリーズ・・・その6

2010-07-17 09:01:54 | ペイント画
小川に移る影について着色していった。

色は灰色かかった濃い緑いろを作成した。上の絵のように、それで小川の淵のように影を描いていった。
小川に移る花の色を作成した。同じ色で塗るわけにはいかない。くすんだ黄色にした。
影の先端を、その黄色で点々と描いた。多少、小川に写る花に見え、満足した。
水門の影を、小川に描いた。水門と同じ色を、多少薄くして絵画した。
滝から流れ出る、水の様子を、白色を使い、自己流で描いた。

参照 1回 6月4日 2回 6月8日 3回 6月17日 4回 6月24日
   5回 7月4日

なお、10周年作品展で、この絵画を出品した。こんな絵がペイントで作成できるのと大勢の人の目を引いた。
受付の方から知らされた。絵を描く道具やキャンパスた絵具を買う必要もなく、気分のいい時うに保存しておく。好きな時に継続して続けられるという気楽さがいいと思います。(727)
(135人)

大学院の大きな課題は何だろう?

2010-07-16 09:03:11 | 柏シルバー大学院
副学院長の「大学院について思う」を読んでみた。

今年は創立30周年であり、記念式典の予定されている。30年前は30人前後で産声を上げた。現在は684人と実の大きく発展した。しかし、一般の大学のように校舎があるわけでなく、市や企業から提供して頂いている。入学定員を減らしたり、生涯課程の入学定員を減らしたりして、学生の増加を抑えてきた。しかし、今年は1教場を設けざるを得なかった。入学者は続く。生涯課程には定年はない。これでは、息詰まることは必至である。
大きな課題である。
この学院は昭和56年開校、15周年記念誌によりますと、創設者の初代学院長は、研究課程3年・生涯課程とありますが、名の通り1生涯を通しての学習でありますので、卒業はありません。と、記述されている。
これが創設の経営の方針で、現在もそれが生きている。

副学院長もその辺を十分に理解され、5年を目標に「大学院のカタチ」と定め、現実的に対応していかなければならないと思う。これで、爺としては大概の課題は解決させるように思う。含蓄のある言葉と思う。(726)

今年亀が3回目の卵を産みました。合計24個です。

2010-07-15 08:10:09 | 日記
この写真は、2回目の10個の卵です。今年の1回目に12個、3回目に2個を産み、合計24個となった。
水槽に1匹だけの亀を飼育しているので、孵化しないことは分かっている。
オスメスを一緒に飼育していれば、卵を孵化させる方法で、爺でもできる方法がインテーネットに紹介されたいたが。

今さら、同じ大きさぐらいのオスを買うことも無理である。
今年で、3年続けて、しかも毎年2回ずつであったが、今年に限り3回も産卵しだ。
インターネットにも、毎年産むとあった。
我が家でも、残念ながら、毎回庭に穴を掘って、そこに埋めている。カメには申しわけないと思う。

3年も亀の産卵前の様子を見ていると、大体亀の生態の1部を垣間見たようだ。、食欲がなくなっても、産卵前だからと、気をもむこともないようになった。

これからの暑さに負けず、元気に過してほしい。孫が引き取りにくるまで、爺も亀と犬と共に頑張ろう。(725)

この歳になって、卒業式・入学式って??(その2)

2010-07-14 09:02:24 | 柏シルバー大学院
こんな歳もあったけ??。懐かしい

高齢者の入学式って、どんなことするの。

柏シルバー大学院の28期生入学式が4月13日に、研究課程1年制75人が、柏市教育福祉会館の大会議室で行われた。

式次第は、27期の委員長の開会のことば。校歌斉唱。学院長の歓迎の祝辞。柏市社会福祉協議会会長、千葉県生涯大学校東葛学院長、教場貸主の民間の会社の責任者よりの祝辞。
柏市長・議長、流山市長、松戸市長、船橋市長、野田市長、我孫子市長の祝電の披露。

在校生代表で副学院長の歓迎のことば。新入生代表として委員長の謝辞。以上で入学式はすべて終了。

なお、新入生募集に始まり、事務処理、入学説明会、クラス編成、クラス役員の構成、予算の編成と、恒例により、前年入学した学年が担当した。28期生が27期生に感謝の言葉を述べた。

昔、誰もが経験したことと変わらない。これが日本の伝統と言うことか。何だ、つまらない。(724)

蓮の覆われた不忍池の青さが眼を虜に(7月10日)

2010-07-13 09:35:47 | 日記
この季節、蓮の葉が池を覆い、緑一色の鮮やかさであった。前回1月で、枯れハスの葉の木立が池一面の冬景色であったから、強く刺激された。

場所によっては、蕾が大きくなり、2.3花が咲いていた。それにカメラを向けていた。
1つだけ、花が終わり、蓮の実になっていたものもあった。

あと、1.2週間で見ごろになるであろう。蓮の花は、朝がよいとのことである。
関心のある方は、午前中に行かれるとよいと思う。

仏典の花として,また食用にするれんこん(蓮根)としても日本人になじみ深い植物であ
る。日本には古く大陸から渡来したらしく,《万葉集》にハチスの名で出てくる。

この花を見た時、昨年の暮れに行った霞が浦沼の土浦側の浅背には栽培用のハス田が多く点在している。これも、この季節に行くと見事と思われる。(723)

上野公園を散歩

2010-07-12 08:56:20 | 日記
7月10日、梅雨の晴れ間、上野公園口に出た。改札口は相変わらず賑わっていた。
上野動物園、国立博物館、西洋美術館、国立科学館、東京美術館(改築中で休館)とそれぞれに向かって足を運んでいる、上野公園は昔から文化芸術や、動物・自然環境との触れ合いの中心である。

今日が、御徒町に12時から会合があり、その前に上野公園を散歩しようと早めに家を陀多のである。公園に入り、いつものように大道芸人が芸を披露していた。今は若い方が多い。少し歩くと、もう一人の大道芸人にであった。時間があれば・・・と、次に向かった。

上野大仏との表示が揺れていた。見れば寛永寺の上野大仏とのことであった。
阿弥陀如来を祭ってあるようだ。
今までは、通り過ぎてしまっていたが、赤の文字にひかれて、大仏に頭をたれた。普通のイメージと異なる大仏であった。
足を、不忍池に向けた。(722)