Aクラスデで、「 徳富 蘇峰の変説と近代日本の興亡」というテーマで講義があった。
爺は休講したので、自分で調べてみた。それをアップします。
徳富 蘇峰(そほう) と 徳冨 蘆花(ろか)
熊本を代表する偉大な文豪。蘇峰(猪一郎)は新聞記者であり、歴史家、言論人として、弟の蘆花(健次郎)は小説家としてその名を残しています。徳富家は水俣の土豪で、横井小楠門下の一敬を父としています。父が熊本藩庁勤務となり、熊本の大江に移り住みました。ともに京都の同志社で学びますが、その後の兄弟の思想・活動は異なり、断絶状態が蘆花臨終(1927)での和解まで続いたといいます。
徳富蘇峰 は文久3年(1863)1月25日生まれ、熊本洋学校から同志社に学び、帰省して明治15年(1882)大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京。
「国民之友」、「国民新聞」を創刊し日本言論界に不動の地位を築くとともに、門下から優れた文学者を世に送りました。著書には「近世日本国民史」百巻などがあります。
近世日本国民史は1918年から第二次世界大戦後の1952年にかけて徳富 蘇峰が著した、近世(安土桃山時代と江戸時代)以降の日本の通史。全100巻。 ...
爺は休講したので、自分で調べてみた。それをアップします。
徳富 蘇峰(そほう) と 徳冨 蘆花(ろか)
熊本を代表する偉大な文豪。蘇峰(猪一郎)は新聞記者であり、歴史家、言論人として、弟の蘆花(健次郎)は小説家としてその名を残しています。徳富家は水俣の土豪で、横井小楠門下の一敬を父としています。父が熊本藩庁勤務となり、熊本の大江に移り住みました。ともに京都の同志社で学びますが、その後の兄弟の思想・活動は異なり、断絶状態が蘆花臨終(1927)での和解まで続いたといいます。
徳富蘇峰 は文久3年(1863)1月25日生まれ、熊本洋学校から同志社に学び、帰省して明治15年(1882)大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京。
「国民之友」、「国民新聞」を創刊し日本言論界に不動の地位を築くとともに、門下から優れた文学者を世に送りました。著書には「近世日本国民史」百巻などがあります。
近世日本国民史は1918年から第二次世界大戦後の1952年にかけて徳富 蘇峰が著した、近世(安土桃山時代と江戸時代)以降の日本の通史。全100巻。 ...