kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

足利尊氏について その2・・・Aクラス講義内容

2011-01-31 08:45:11 | 柏シルバー大学院
4 倒幕軍の新田義貞(にった よしさだ)が鎌倉幕府と北条氏をほろぼす。      後醍醐天皇中心の建武の新政(けんむのしんせい)がはじまる。足利尊氏が鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になる。 天皇・貴族中心の政治に武士の不満が高まる。

5 鎌倉で北条氏の生き残りが反乱を起こす。後醍醐天皇に無断で鎌倉へ向かい、北条氏の生き残りの反乱軍をやぶる。後醍醐天皇の命令を聞かなかったため、反逆者(はんぎゃくしゃ)とされる。足利尊氏は鎌倉で武士を集め、大勢力となる。

6. 後醍醐天皇をうつために、京都に攻めこむ。京都を占領し、後醍醐天皇を比叡山(ひえいざん)へ追いやる。(南朝)(なんちょう)光明天皇(北朝)と後醍醐天皇(南朝)の60年にわたるあらそいがはじまる。

7. 弟の足利直義(あしかが ただよし)と意見が対立し、争いが起こる。南朝についた弟の足利直義を毒殺する。

8.正平13年(1358)に病で死 去(54才)

● 人 物 評
 
足利尊氏は、逆賊(ぎゃくぞく)(天皇に反乱を起こした人物)として、あまりいいように言われません。しかし、新しい世の中をつくるために理想に燃えた人物なのかもしれません。鎌倉幕府をほろぼすまでは、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)とともに戦っているのが、そのしょうこです。ただ、後醍醐天皇がめざした理想と足利尊氏がめざした理想が違っていたのではないだろうか。武士中心の世の中になっていたこの時代に、後醍醐天皇の理想はあまりに時代にあっていなかったのであろうか。

興味関心のある方、歴史を更に紐解いて下さい。