kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

青山墓地を散歩して・・・昔の偉人にあう

2010-01-27 08:47:57 | 日記

1月20日、国立 新美術館で国際書画展見学後、時間があり。折角ここに来たのであるから、と青山墓地を見学した。正門が工事中で、入るのに手間取った。

中に、入ると多少散歩の方が見られ、その中に地元の人も犬を散歩しながら歩いていた。話に聞く乃木将軍墓や吉田茂総理大臣の墓の在り処を訪ねた。

乃木大将

明治37・8年の日露戦争では、旅順の攻撃に半年の長日月を要し。多大の犠牲を供し・・・・・」と述べて、自分の作戦の失敗から多くの国民の命を落としたことの責任を痛感され、死をもって国民の前に謝罪したいといわれた。
、明治天皇は「今は死すべきときでない」と慰撫し、悲痛の乃木希典に、その心で昭和天皇の教育を頼むということで、学習院院長にと発議し任命されました。明治45年(1912年)夏のこと、天皇の容態の急変を知らされ、病床を見舞ったが7月30日、天皇は崩御になった。
乃木希典の死の許されるときがきたと思われたことでしょう。
9月13日静子夫人を伴って葬儀に参列し、天皇に最後のお別れをした後、赤坂の自宅にもどり、二階八帖の間に於いて妻と共に自決されました。2人の子供も軍人で戦死された。(インターネットより)

吉田 茂

吉田茂が戦後間もない時期に目的としていた事柄は、『対米講和条約締結による国家主権の回復』 であり、 ... 吉田茂の最大の功績は、サンフランシスコ講和条約の締結で自由主義圏に日本を加え、国家主権を 法的な手続きを経て取り戻したことであろう。45代・第48代・第49代・第50代・第51代内閣総理大臣として戦後の混乱期の総理大臣として活躍された。

犬養 毅

日本の政治家、第29代内閣総理大臣(1931 - 1932)。収穫の多い1日で満足顔で帰宅した。(100)