kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

「文楽」の歴的と人形使い(その2)・・・Aクラスの講義 

2010-01-05 09:32:02 | 柏シルバー大学院

 文楽の初めは、人形を両手に持ち、人形に神を宿しながら語らせた芝居であった

3.浄瑠璃の名の由来

仏教 清らかなもの薬師如来(薬師瑠璃光如来)が、東方に浄土を作って浄瑠璃と名付けた。

3.古浄瑠璃(義太夫出現以前)

1650年ごろ.古浄瑠璃全盛時代であった。

薩摩浄雲・差綱節、杉山丹後掾・端午節、井上播磨靜掾・播磨節、岡本文弥・文弥節、宇治加賀掾などであった。江戸では、アヤツリー糸・引線を用いた・・・山本飛騨掾。カラクリー仕掛けでし・・・伊藤出羽掾。

4.人形浄瑠璃は、太夫と三味線+人形の3業が成立した。竹本義太夫が出現した。太棹の三味線を持ちえた。弦が太い、ずしりと重い、響きが低音だった。他にも中竿、細竿があった。

5.江戸の人形浄瑠璃

 派手な演出、派手な衣装で行われ、荒事歌舞伎へ影響した。

 「金平浄瑠璃」は、寛文年間に流行した江戸の浄瑠璃である。坂田金時の子、古今の武将たちが活躍する物語である

 「義経地獄やぶり」

 地獄に落ちた古今東西の武将たちが、地獄を楽土にしようと地獄征伐の軍を起こす。悪源太義平、木曽義仲、新田義貞、楠正成、織田信長、田村将軍、頼光と4天王、熊坂長範、相馬将門、源義経。雅気にあふれたもの、幼児の心で演ずる。荒事へ影響を与える。初代市川団十郎。

続く(121)