女性遍歴も多かった。
人妻の松下俊子との姦通事件で投獄され、出所後に本人と結婚。奈川県三崎や小笠原父島を転々とした後に離婚する。
次に江口章子と結婚、貧乏生活中で、「赤い鳥」の刊行に協力、多くの創作童謡を発表した。大正九年に離婚した。
大正10年佐藤菊子と結婚。13年短歌雑誌「日光」、15年詩誌「近代風景」創刊した。更に歌詩「多摩」を創刊した。浪漫精神の復興、日本における第4期の象徴詩運動、近代幽玄体の樹立を提唱した。
昭和12年、糖尿病、腎臓病による眼底出血のため籠居数年を重ね昭和17年57歳て逝去。
この頃、野口雨情の「七つの子」(烏 なぜ泣くの 烏は山に・・・)や三木露風の「赤蜻蛉」(夕焼け小焼けの 赤とんぼ・・・)も、白秋の歌と同じく、今も多くの人の歌われている。
本当に名曲であり、時代を超え今日まで、いや、今後も歌われ続けるであろう。
北原白秋さん、野口雨情さん、三木ろ露風さん、ありがとうの気持ちをもって、受講を終えた。柏シババー大学院Aクラスの授業からの発信でした。