この写真は、東京大空襲でガレキになった下町を天皇陛下が視察。
20.3.9東京下町大空襲でガレキの町へ
そんな中での軍事教育の高等商船学校生活
1. 起床ラッパで全員おき、校庭に全員集合して点検から1日が始まる。
2. 寝台の毛布の畳み方が悪いと叱られる。早く丁寧に処理し、校庭にかけていく。
3. 朝食までの間、海岸で海に向かい「号令練習」を声がかれるまでした。
4. 階段は、必ず駆け足で昇る。
5. 授業は90分授業。食料も不十分であり、特に軍事訓練・短艇訓練等は疲労した。
6. 夜は、各分隊ごとに温習室で自由学習。その後、就寝した。
7. 日曜日、半舷上陸(全校生の半分)といって、校外に出で休養できた。休養先の特定の家があり、そこで休養したり楽しんだりしていた。
8. 帰校後、軍歌練習を校庭を回りながら集団でした。
四海海なる帝国を守る海軍軍人は、戦時平時の区別なく・・・・等
9. 6月・7月となり、わが学校を通過する艦砲射撃が毎晩のように太平洋から清水市に向かってあった。直ちに防空壕に避難した。生徒の避難指揮をとるべき将校が、生徒より先に防空壕に逃げ込んだ。なんとおかしい光景であった。軍人でも人間であった証拠であろう。
* 私たちは社会とは隔離され、月2回の日曜日の半舷上陸(半分は在校)で学校をはなれ、多少の自由を楽しんだと同時に多少社会の風に触れられた。
その間に社会では、次のようなことが起こっていた。
3月9日 東京大空襲 下町は焼夷弾の餌食にになり、殆ど壊滅、夥しい人数の人が焼き死んだ。町はガレキになった。
*4月1日 米軍、沖縄上陸
5月7日 ドイツ無条件降伏」
5月26日 空襲で宮殿全焼
8月6日 広島原爆投下
8月9日 長崎原爆投下
自覚はなかったが、急激に敗戦へと進んでいった。