小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

幕末の「怪外人」平松武兵衛 1

2007-10-26 21:53:21 | 小説
 有楽町駅近くで、「サンダァ線の駅はどこ?」と地方訛りの男性に訊かれた娘は、とっさにはそれが「三田(みた)線」のことと理解できなかったらしい。そのことを聞いた日、幕末に関するある文章を読んでいて「芝田町」という地名が、三田近くの田町のことと、とっさに理解できずに、ひとりで笑ってしまった。
昔は「田町」の前にも「芝」がついていたのであった。ちなみに田畑が町家に変貌したのが印象的だったらしく、それで田町と名付けられたという。
 妙な前置きになってしまった。慶応3年(1867)7月15日、芝田町で起きた事件から話をはじめたかったのである。その夜、外国人兄弟が日本人を銃撃する事件が起きている。
 元麻布の臨済宗寺院の春桃院は慶応2年からプロシア公使館となっていた。その夜、横浜から江戸に入り、春桃院に向かう馬車が芝田町7丁目で、ひとりの侍を抜き去ろうとしたとき、侍が突如として抜刀、馬車の提灯に切りつけた。
 侍の名は三橋昌、沼田藩上屋敷の表近習役で、いささか酒に酔っていたらしい。馬車の中にいた外国人は、すばやく反応して彼を小銃で撃った。弾は三橋の脇腹をかすめ、驚いた三橋は近くの鼻緒屋に逃げ込んだ。
 というより、表の騒動に気づいた鼻緒屋の従業員で浅次郎という者が三橋を抱えるようにして店に入れ、すぐに戸締りをして、彼を裏口から逃がしたのであった。三橋はこの店と顔なじみでもあったようだ。
 馬車を降りて、店まで追ってきた外国人ふたり、このふたり兄弟であったが、締まった雨戸めがけて小銃を発射、浅次郎が撃たれた。二発以上の銃弾をあびているが、近くの久留米藩邸から駆けつけた医師の手当てで、生命はとりとめている。事件のその後の展開は割愛するには惜しいような気もするが、先を急ごう。私の関心事はこの外国人兄弟にある。
 そのうちのひとりが、のちに日本人名を名のるのだ。
 平松武兵衛。なんと姓の平松は、会津の松平容保にあやかって、松平を逆にしたものだという。そして武兵衛にも意味がある。

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