宮応かつゆきの日本改革ブログ

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スターリン秘史ー第13章を読む。 不破氏 「1回ごとに戦慄を覚える。世界の歴史を書き変える思い」

2014年01月21日 | 綱領関連

 「前衛」誌2014年2月号鼎談「『古典教室』第3巻を語る」の中で、不破さんは、「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」について次のように語っています。

 「いま『前衛』で『スターリン秘史ー巨悪の成立と展開』という連載を書いていますが、ここで追求しているのは、理論の陰にあるスターリンの現実の政策と行動、とくに国際舞台での政策と行動です。 書いている私自身が、そのあまりのひどさに、1回ごとに戦慄を覚えます。 世界の現代史を書き換えているような思いがしますね」

 1年以上にわる連載を、多くの読者も驚きと「戦慄」の思いで読んでいるのではないでしょうか。 同時に、世界史の真実、「スターリンの巨悪」に向き合って、その「成立と展開」を明らかにし、科学的社会主義の本来の理論を復活させ、発展させる努力をつづけている不破さんにあらためて感謝しています。

 今回の連載の各箇所にも「世界の歴史を書き換える」ような内容が表れているのではないでしょうか。

 ヒトラーは、(1940年)8月1日、ドイツ空軍にイギリス本土攻撃を命ずる『あしか作戦』を発令しました。 「『あしか作戦』の発令に先立つ1940年7月31日、国防軍総司令部の作戦参謀長ヨードルは極秘の軍首脳会議をベルヒテスガーデンに招集しました」(「前衛2月号210頁)

 この会議で、ヒトラーは、対ソ戦開始を明言します。 「決定、それゆえロシアはこの戦争中に打倒されなければならない。 1941年春。 ロシアの粉砕は早ければ早いほどよい。 作戦は、ドイツがこの国家に、一息で重大な打撃を与える時にのみ意味がある。 少しぐらい土地を獲得しただけでは十分ではない」

 一方、日本では、どんな動きが起こっていたのでしょうか。 

 「1940年の日独伊三国軍事同盟の動きは、陸軍と外務省を中心に日本から起きました」(同誌222頁)

 「近衛内閣(1940年7月22日成立)の『日独伊枢軸』強化の方針は、一般的な意味での対独接近や軍事同盟ではなく、独特の内容と目標をもっていました。 それは、日本の対外膨張の目標である『東亜』の全域を日本の『生存権』と意義づけ、ドイツやイタリアがヨーロッパを自分たちの『生活圏』と』意義づけていることに対応させて、相手方の『生存権』を尊重し合うことを、三国同盟の主要な内容とするという構想です」(同223頁)

 この三国同盟にソ連を引き込み、スターリンを油断させ、一気にソ連を壊滅させる作戦が、ヒトラーのもとで展開されてゆきます。

 スターリンあてのリッベントロップ(ドイツ外相)書簡(1940年10月17日)には、「私は次のように述べたい。総統の意見によれば、4ヵ国ーソ連、イタリア、日本、ドイツーの歴史的使命は、遠大な視野に立った政策を採用し、世界的規模で自分たちの権益の境界を定めることによって、自国民の将来の発展を正しい水路に導くことにある」(同紙231頁)

 この書簡に基づくベルリン会談が、ソ連外相モロトフのベルリン到着のその日、(1940年)11月12日に開始されました。