宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

”過渡期は未来社会をきずく創造に満ちた一時代”ー党の歴史と役割を考える(7)

2018年07月27日 | 日本共産党の歴史と役割

 日本共産党の綱領第16節は、人類が社会主義・共産主義の未来社会に進む前に、過渡期が存在し、過渡期の探究の諸課題を明らかにしています。 この時代について次のように指摘しています。

 「社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である」

 そして、この過渡期をすすめる上でも決定的な役割を果たすのが、多数者革命論であり、その実践です。 この点につても次のように述べています。

 「日本共産党は、社会主義への前進の方向を支持するすべての党派、人びとと協力する統一戦線を堅持し、勤労市民、農漁民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、社会の多数の人びとの納得と支持を基礎に社会主義的改革の道を進むよう努力する」

 この過渡期論についての、「革命論研究」(下 298~299頁)の説明を見て見たいと思います。

 「人類史をふりかえれば、どんな社会構成体でも、上部構造である国家の力だけで成り立った社会構成体はありません。 奴隷制社会にしても、奴隷制帝国がさきにあってその社会をつくりだしたわけではなく、原始共産制の社会のなかに、奴隷制経済が生まれ、それが社会全体で支配的な力をもつまでに成長・発展したときに、氏族制度をくつがえし、それを奴隷所有者の国家でおきかえたものでした」

 「封建制国家が奴隷制国家にとってまわったときにも、資本主義国家が封建制国家にとってかわったときにも、同じことが起きました。 その過程を、マルクスは、『奴隷制の経済諸法則の自然発生的な作用』が『農奴制の経済諸法則の自然発生的な作用』とおきかえられた過程、あるいは『農奴制の経済諸法則の自然発生的な作用』が『資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用』とおきかえられた過程と呼びます」

 「社会構成体のこうした交替の時機は、それぞれが人類史のなかの『過渡期』にあたりますが、どちらの場合にも、新しい経済体制が、その経済的諸法則の自然成長的な作用によって存立・存続・発展する地点に達し、古い経済体制に全面的にとってかわるまでには、『新しい諸条件が発展してくる長い過程』--数世紀にわたる時間が必要でした」

 「そして、マルクスは、現在の『資本と土地所有の自然諸法則』の自然発生的な作用を、『自由な結合的労働の社会経済の諸法則』の自然発生的な作用でおきかえる過程、すなわち、資本主義社会から共産主義社会に革命的に転化する現代の過渡期も、過去に人類が経験した過渡期と同じように、『新しい諸条件が発展してくる長い過程』となることを結論ずけたのです」

 そして、不破氏は、次のように述べています

 「新しい社会を生み出してゆくための、探究と開拓の巨大な課題が横たわっています。 マルクスが指摘した諸課題の解決は、将来、新しい社会の建設にあたる未来の諸世代の肩に大きくゆだねられているのです。 この過渡期が、未来社会をきずく、探究と開拓の無数の創造的努力に満ちた人類史上の一時代となることは、疑いをいれないところでしょう」(「革命論研究」(下 301~302頁)

 


「多数者革命は新しい時代の革命の形態」-党の歴史と役割を考える(6)

2018年07月25日 | 日本共産党の歴史と役割

 私も若い時代に不破さんたちの革命論研究に出会い、党の綱領路線に確信を深めた記憶があります。 そのなかに、「革命の諸形態」のエンゲルスの説明が今も鮮明に残っています。 それは、次の内容です。 以下、「革命論研究(下)不破哲三著」より。(148頁~150頁)

【エンゲルスの分析、説明文は「1895年3月のマルクスの著作『フランスにおける階級闘争』への『序文』から】

 「エンゲルスは、普通選挙権の活用によって、階級闘争の新しい諸条件が開かれ、それとともに、革命の形態が大きく変わってきたことを指摘します。~エンゲルスは、過去の革命論の諸形態を整理して、次のように説明します」

 「(一) 少数者の革命。 『これまでの革命はいずれも、結局は、一定の階級支配を排除し、他の階級支配がこれに代わることであった。・・・そのときどきの革命の具体的な内容を度外視すれば、それらの革命の共通の形式は、みな少数者の革命であったということである。 多数者が革命にくわわった場合でさえーー知ってにしろ、知らないでにしろーーそれは少数者に奉仕したにすぎない』」

 「(二) 多数者の利益のための少数者の革命。 『社会主義をめざす革命は、これまでの革命とは違って、『多数者の本来の利益のための革命』を目標にしたものだった。 しかし、1848年の革命の当時は、マルクス、エンゲルスをふくめて、革命を起こすのは、その目標を明確に理解した少数者の指導だと考えていた。 この少数者の思想は、大衆がまだ理解しないで、わずかに漠然と感じているにすぎない要求を『明白に合理的に表現しているもの』だ、そうである以上、多数者は、最初ははっきりと理解していないとしても、『実際に実現の途上で自分の眼で見て納得し、たちまちはっきりとそれを理解するにちがいない』とされた。 こうして、『少数者の革命』は、革命の発展の途上で、『多数者の革命に転化』するという見通しがあるとされた」

 「(三) 目標を自覚的につかんだ多数者の革命。 エンゲルスは、普通選挙権を活用しての政治闘争の意義を論じた後半部分で、48年革命以来の半世紀近い変化をふまえて、こう言います。 『国民間の戦争の条件も変化したが、それに劣らず階級闘争の諸条件も変化した。 奇襲の時代、無自覚な大衆の先頭にたった自覚した少数者が遂行した革命の時代は過ぎ去った」

 「では、新しい時代の革命とはどんな革命なのか。 それは、多数者が目標を自覚的につかんでおこなう多数者の革命です。 『社会組織の完全な改造ということになれば、大衆自身がそれに参加し、彼ら自身が、なにが問題になっているか、なんのために彼らは肉体と生命をささげて行動するのかを、すでに理解していなければならない」

 「このことをこそ、最近50年の歴史がわれわれに教えてくれたのだ。 だが、大衆がなにをなすべきかを理解するためーーそのためには、長いあいだの根気づよい仕事が必要である。 そして、この仕事をこそまさにいまわれわれがおこなっており、しかも敵を絶望におとしいれるところの成功をおさめつつあるのだ』」

 「エンゲルスは、ここで、ドイツで最初にまず切り開かれてきた新しい闘争方法に、たんに階級闘争の『一つの武器』というにとどまらない、新しい、そしてより深い意義づけを与えています。 それは、この活動こそ、多数者革命が必要とする『長いあいだの根気づよい仕事』だということ、すなわち、普通選挙権を活用した選挙=議会闘争が、ほかならぬ多数者革命を準備する重要な形態だという、いわば戦略的な意義づけです」

 「私(不破氏)は、、ここには、マルクスとともにドイツの党に理論的、政治的な援助を与えてきたエンゲルスが、この50年の活動の総括からひきだした最も重要な結論があると思います」

 


世界にあまり見られない日本共産党の革命論研究ー党の歴史と役割を考える(5)

2018年07月23日 | 日本共産党の歴史と役割

 不破哲三氏の「革命論研究」(上)「講座を始めるにあたって」読んでみたいとと思います。

 【日本共産党の革命論研究】

 「日本共産党が党の綱領路線を確立したのは、第7回党大会(1958年)と第8回党大会(1961年)を通じてのことでした。 この綱領路線にたって党の活動を発展させてゆく過程で、解決をせまられる理論問題がいろいろと提起されてきます」

 「その過程で、これが道理ある解決だと私たちが考えることと、当時国際的に定説となっていた命題(それらは、しばしばレーニンのマルクス解釈を根拠にしていました)とが矛盾する場合に何度もぶつかりました。 そういう時、私たちはどうしたかというと、マルクス、エンゲルスの革命論そのものに立ち返り、彼らの本来の立場では、この問題はどう扱われていたかということを研究したのです」

 「マルクス、エンゲルスの文献については、私たちは、レーニンの時代にレーニンが読めたよりも、はるかに充実したものを読み、彼らの理論と思想の発展をたどることのできる条件をもっています」

 「私たちは、こういう態度でマルクス、エンゲルスが展開した理論そのものを直接、系統的に研究するとともに、その問題についてのレーニンの解釈や理論だてもあらためてたどりなおし、マルクス、エンゲルスの本来の立場との矛盾や違いが明らかになったときには、その原因がどこにあるか、レーニンの側に、情勢の変化に対応した有意義な発展があったのか、それともマルクスの見解の誤った解釈があったのかを究明するーー私たちは、綱領路線の確定以来、さまざまな問題でこういう研究をずっとやってきました」

 「こうして、長い間、科学的社会主義の革命論の定説とされてきたことで、私たちが、そこにある誤りをただし、マルクス、エンゲルスの本来の立場を全面的に復活させることで問題を解決した、ということは、かなり多くあります」

 「たとえば、革命の方法の問題で、長く定説となっていたのは、マルクス、エンゲルスの革命論は、武力による革命(強力革命)を基本的な立場とし、議会の多数を得ての革命というのは、ごく例外的な場合に認めただけだ、というものでした」

 「また、革命は多数者の支持を得てこそ成功するものだが、革命の前にあらかじめ多数を得るのは無理なことで、政権の獲得後に革命の実績を事実で示してこそ多数者への道が開かれる、こういう命題も一つの定説になっていました」(上 14~15頁)

 「私たちの綱領路線には、こうして練り上げられてきた革命論研究の蓄積が、深く反映しています。 たとえ国際的にどんなに広められた定説であっても、そこに理論的な矛盾や間違いがあれば、十分に研究したうえで大胆にその是正に取り組む、そのさい、マルクス、エンゲルスの本来の立場、科学的社会主義の大道がどこにあるかに必ず立ち返り、それを現代にどう適用すべきか、この大道にたっての現代的な発展はどこにあるかを探究する、これは、いまでは、多年の試練をへて日本共産党の理論的伝統になっています」

 「世界を見ても、党として、こういう努力を多年にわたってつくし、党の理論的伝統としてきた共産党というものは、あまりないように思います」

 私が、党を知り、61年綱領を学習し入党承認されたのは1963年7月13日のことでした。その直後からの旧ソ連共産党からの干渉、60年代後半からの中国毛沢東派からの攻撃、職場での首切り弾圧を含む激しい反共攻撃と一体となった大蔵省当局の労働組合の分裂攻撃。 いま、振り返って考えることは、こうした事態にひるまず、職場、地域の仲間を、広く国民を信じて活動できたこと、その根本に、不破氏らが研究し、到達した多数者革命論を含む科学的社会主義の理論の復活、発展がどんなに現場の党活動を励まし、科学的社会主義の理論の正しさを実証するもになったかを改めて強く感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


"自由を求める革命家”マルクスー党の歴史と役割を考える(4)

2018年07月20日 | 日本共産党の歴史と役割

 日本共産党創立96周年記念講演で志位和夫委員長は、生誕200年を迎えたマルクスについて語りました。

 「ドイツのシュタインマイヤー大統領は、マルクス生誕200年の集会で次のように語りました。 『彼にとって重要なことは、大衆の困窮の克服であり、貧困や支配からの解放であり、 絶対的官僚制国家の鉄の手からの解放であった。 彼の作品は情熱的なヒューマニズムに貫かれている』」

 「『そこには、言論の自由、人間的な労働条件と8時間労働時間制、労働者層の教育を求める訴え、そして、自由を求めるたたかいでの女性の役割の高い評価から環境保護の呼びかけまである』」

 「マルクスを生んだドイツの現職の大統領が、マルクスを”自由を求める革命家”として語ったことは、たいへん印象深いものがあるではありませんか」

 日本共産党の綱領は冒頭部分で、「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」述べています。

 また、規約第2条で、「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする」と規定し、科学的社会主義の党であることを明確にしています。

 しかし、科学的社会主義の創設者であるマルクスやエンゲルスの活動と膨大な論考から、革命論を引き出し、理論化する研究には大変な努力が求められてきた分野であることに新ためて注目させられています。

 不破哲三氏が、「マルクス・エンゲルス革命論研究」(上・下)初版本がでたのが、2010年1月です。

 不破氏は、この著作の冒頭部分、「講座を始めるにあたって」のなかの、「革命論の勉強のために」のなかで次のように述べています。

 「マルクス、エンゲルスの教科書的な著作がない。 まず第1の点は、マルクス、エンゲルスの革命輪をまとまった形で説明した著作がないことです。 教科書的な著作といえば、経済学には、『資本論』があり、『賃金・価格・および利潤』があります。 哲学には、『フォイエルバッハ論』や『反デューリング論』があります。 ところが、革命論に関しては、科学的社会主義の大事な構成部分でありながら、これを読めばマルクス、エンゲルスの革命論のおおよそがわかる、という著作がないのです」(上・19頁)

 「マルクス、エンゲルスの理論的な発展が激しい分野。 どんな分野でもそうですが、とりわけこの革命論の分野というのは、マルクス、エンゲルスだって、最初から完成した革命家として出発したわけではなく、志をもって活動に入り、科学的社会主義の理論を生みだし発展させながら、革命運動に取り組んだのです」(上・22頁)

 「そしてそのなかで、1948年の革命にも出会い、革命の戦略・戦術をたて、運動のなかでその検証・総括をおこない、理論と実践の発展をはかる、そういう過程を積み重ねつつ、自分たちの革命論を形成し、成長させ、発展させる道をすすんでいったのです。 その過程には、二人がさまざまな問題にぶつかり、その解決に取り組む劇的なドラマが、無数にふくまれています」(同上)

 こうした、マルクスとエンゲルスのたたかいと理論活動を日本の革命ー日本共産党の綱領路線に生かす努力がどのように行われてきたのでしょうか。

 


”マルクスを学ぶ学問的環境がある日本”-党の歴史と役割を考える」(3)

2018年07月16日 | 日本共産党の歴史と役割

 7月11日付「しんぶん赤旗」は、「日本共産党創立96周年によせて―各界8氏のメッセージ」を掲載しました。

 それぞれ、貴重な思いが表現されたメッセージであり、私も感謝しています。 その中の一人である、内田 樹 神戸女学院大学名誉教授のメッセージに私は特に、心を動かされました。 内田さんのメッセージ全文を紹介させていただきます。 

 「東アジアで最も歴史の古いインドネシア共産党が1920年の創建、次が中国共産党の21年。日本共産党はそれに続く東アジア最古の共産党である。 20世紀に多くの東アジア諸国にマルクス主義政党が生まれたが、その現状はご案内の通りである」

 「その歴史の中に置いてみると、マルクス主義(科学的社会主義)を掲げる政党が国会や地方議会に安定的な議席を有している日本の例外性にはもっと驚いてよい」

 「日本でも『私はマルクス主義者である』と名乗ると周囲に感情的な反応を引き起こすことがあるが、韓国や台湾やカンボジアやインドネシアでそのような名乗りを口にすることは相当のリスクを覚悟しなければならない」

 「あまり言う人がいなから、声を大にして言うが、マルクス主義者として市民社会を生きることが可能であり、マルクスについて自由に学び、語ることができる学問的環境が整備されている点で、日本は例外的な場所である」

 「そして、この環境は何よりも過去100年の日本のマルクス主義者たちの知性的・倫理的な努力がもたらした成果だと私は思う」

 「先人たちからのこの贈り物に対して私は深甚な感謝の念を抱いている。 日本共産党もこの点についての私からの謝意を受け取ってほしい」

 私は、内田さんのこのメッセージを読み、憲法第97条を読み返しました。 同条には次のように書かれています。

 「第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として、信託されたものである」

 私は、この「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試練に堪え」の表現のなかに、世界のアジアのそして日本のマルクス主義者の努力も反映していると受け止めています。

 そして、この発展の先の先にある人類の未来社会について、 日本共産党の綱領は、次のように書いています。

 「社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則として、いっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる」

 「人類はこうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる」

 

 


飯島喜美は故郷(千葉県旭市)の大先輩ー党の歴史と役割を考える(2)

2018年07月12日 | 日本共産党の歴史と役割

 「しんぶん赤旗」10日付は、党創立96周年特集記事を掲載しました。 「戦前の”天皇絶対”政治とのたたかいーー日本国民全体の財産、憲法に実を結ぶ」の頁では、市川正一、岩田義道、小林多喜二の写真とともに、飯島喜美の写真が掲載されました。

 本文の中では、「遺品のコンパクトに『闘争・死』の文字を刻んだ飯島喜美(35年獄死)をはじめ少なからぬ女性党員が不屈にたたかい、命を落としました」とあります。 彼女は栃木刑務所で獄死しました。

 飯島喜美が私の故郷(現旭市)の大先輩、私の母親と同世代の人であることを大分前に知りました。 何度か墓碑を訪れたこともあります。

 「日本共産党の80年」(1922~2002)には次のような記述があります。(47頁~48頁)

 「戦前、少なからぬ女性党員が、天皇制政府の弾圧に抗して、不屈にたたかい、社会進歩の事業に青春をささげました」

 「女性の活動や組織化に力をつくすなかで33年5に検挙され、35年に獄死した飯島喜美の遺品のコンパクトには『闘争・死』の文字が刻まれていました。 共青中央機関紙『無産青年』編集局ではたらき、各地に配布網を組織した高島満兎(まと)は、33年3月、活動中特高におそわれ、2階から飛び降りて脊髄複雑骨折の重傷を負い、翌年7月、下半身不随のまま死去しました」

 「『赤旗』中央配布局で『赤旗』の配布をうけもった田中サガヨも弾圧に倒れた1人です。 33年12月に検挙された田中は、獄中でチリ紙に姉への手紙を書き、『信念をまっとうする上においては、いかなるいばらの道であろうと、よしや死の道であろう(と)覚悟の前です。 お姉さん、私は決して悪いことをしたのではありません。 お願いですから気をおとさないでください』としるし、35年5月に生涯をとじました」

 「『3・15事件』(1928年)で検挙された伊藤千代子は、天皇制権力に屈服して党と国民を裏切った夫への同調を拒否し、拷問、虐待にたえてがんばりぬき、翌年、急逝肺炎で亡くなりました。 彼女の女学校の先生だったアララギ派歌人の土屋文明は、言論統制のきびしい戦時下の1935年に、理想に殉じた伊藤千代子によせて『ここざしつつたふれし少女よ新しき光の中に置きて思はむ』とうたいました」

 「彼女たちが、党の若く困難な時期に、それぞれが24歳という若さで、侵略戦争に反対し、国民が主人公の日本をもとめて働いたことは、日本共産党の誇りです」

 同紙は、哲学者の鶴見俊輔さん(故人)の言葉を紹介しています。

 「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。 それは北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか自分がどれだけ駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた」(「現代日本の思想」久野収氏との共著)

 


日本共産党創立96周年ー党の歴史と役割を考える(1)

2018年07月05日 | 日本共産党の歴史と役割

 日本共産党は1922年7月15日に創立されました。 以来、激動の戦前、戦後平和と民主主義を求め、国民が主人公の日本の実現のために活動し、いま、憲法の完全実施をめざし、さらに国民の合意のもとに人間個人の尊厳を保障し、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会ー社会主義・共産主義を展望して活動しています。

 今年の党創立記念講演会は、7月11日午後6時半から、「なかのZEROホール」(東京都中野区)で開かれます。

 志位委員長の講演テーマが、今日(7月5日)の「しんぶん赤旗」で紹介されました。 「いま日本共産党綱領がおもしろいー激動の情勢のもとでの生命力ー」となりました。 講演の内容に大いに期待したいと思います。 

 内外の激動する情勢のなかで、日本共産党が国民からまた国際的にどのようにうけとめられているのか、最近の「しんぶん赤旗」に紹介されたいくつかの指摘、要望を紹介してみたいと思います。

 【6月24日付―米朝首脳会談の歴史的意義、今後の展望を語るー志位委員長インタビューから】

 「小木曽 東京新聞の『本音のコラム』で文芸評論家の斎藤美奈子さんは、米朝会談について、『日米のメディアは一様に苦虫を噛み潰したような論調だった』けれども、『昨年の一触即発状態に比べたら大進歩じゃない?』とのべ、『もっか国内で米朝会談を評価しているのは共産党だけという異様さ。 西側の秩序が乱されるのが嫌なのかしらね』と語っています」

 【志位委員長のインタビューから】ー4月6日の6カ国政府への要請の際のある大使館との懇談ー

 「志位 関係6カ国のある大使館と懇談したさいに、『(日本共産党は)対話による問題解決を訴え、さらに事態の進展のなかで積極的な提起をしてきた。 こういう政党は日本に他にはない』という評価をいただきました」

 【作家 赤川次郎さん語るー孫・子の世代にいい社会を】(「しんぶん赤旗」7月2日付から)

 「ソ連が崩壊したときに、世界中で左翼陣営が名前を変えてみたりしました。 その中で日本共産党は党の名前も新聞の名前も愚直なほど頑固に変えなかったのは偉いと思います。 変に名前を変えると何の党だかわかなくなりますよね。 頑固に貫いているというのは、人がついてきてくれる一つの要因です。 そういう姿勢は正しいと思います。 もっと多くの人の目が向けばうれしい」と語っています。

 【始まった共闘の時代】(「しんぶん赤旗」7月4日付から)

 「元青森放送アナウンサーの大竹辰也さんが、『安倍政権を倒すには、一貫してぶれなかった共産党のみなさんに力を貸してもらうしかありません』と表明。 『志位委員長には、野党共闘の中心になっていただき、なおかつ一市民としてのお願いですが、あまり堅いことを言っていますとなかなか共闘はできません。 やはり軟らかくなるところは軟らかくなりながら、しっかりその力を発揮していただきたい」と要望しました。


日朝平壌宣言ー”最良の指針””外交の英知”-志位氏の指摘に注目

2018年07月01日 | 憲法と主権国外交

 志位委員長のインタビューの意味を考えてきました。 「インタビュー」記事で、私が、注目させられたことのなかに、「日朝平壌宣言」に対する評価がありました。

 「日本政府は何をなすべきか」の項で、志位氏は次のように語っています。

 「経過はどうあれ、その道を選択したのなら、私は、日朝首脳会談の実現も含めて、対話による問題解決のための真剣な努力を行うことを強く求めたいと思います」

 「そのさい、日本はすでに最良の指針をもっています。 それは日朝平壌宣言(2002年)です。 日朝平壌宣言の考え方というのは、核・ミサイル、拉致、過去の清算など両国間の諸懸案を包括的に解決して国交正常化に進もうというものです」

 「包括的解決とは何か。 交渉にあたって『諸懸案に優先順位をつけない』とうことです。 日本が『拉致問題は最優先』だといい、北朝鮮は『過去の清算が最優先』だといい、お互いに優先順位をつけて、それを相手に認めさせようとしたら、交渉のテーブルにつけません」

 「どれも大事な問題なのですが、優先順位をつけないで、すべてをテーブルの上にのせてワンパッケージで解決する。 この考え方でまとめたものが、日朝平壌宣言です。 ここには外交の英知が働いています

 「拉致問題は、日本国民にとってたいへん重要な問題ですが、こうした立場で取り組んでこそ拉致問題の解決の道も開かれうると思います」

 「日朝平壌宣言には、もう一つ大事な問題が書かれています。 それは宣言の第4項に明記されている『北東アジア地域の平和と安定』のために『互いに協力していく』ということです」

 「両国間の諸懸案を解決するとともに、さらに、北東アジア地域の平和と安定のために努力しましょうという合意なのです。 ですから私は、日本政府として、今後、外交交渉に乗り出す際に、『北東アジアの平和体制をどうやって構築していくのか』ということについても、主体的な外交ビジョンをもってのぞむ必要があると思います

 「この点でも、日朝平壌宣言を指針にしていくことが大切です」

 日本共産党は、「日朝平壌宣言」について、「重要な前進の一歩」と歓迎の立場を明らかにしてきました。

 今回の志位氏の発言は、この立場を、全面的に発展させた”新たな見解”ではないかと、受け止めています。

 日本の主体的な外交の確立が大きな課題になっています。 日米軍事同盟のなかで、アメリカによる国家的従属状態にあるなかでも、”主権国家としての本来の外交”をめざしてきた”歴史的事実”に光をあて、蘇らせ、指針にする価値がる意義を明らかにしたことはは大変重要なことではないでしょうか。