宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

内閣支持率、「共同通信社」 47.4%、 「朝日」 39%。 暴走の一歩一歩が政治的激動を引き起こす

2015年06月23日 | 世論調査

 衆院本会議は22日、24日までの会期を9月27日まで、95日間延長することを自民、公明などの賛成多数で議決しました。 日本共産党の山下芳生書記局長は、「定められた会期の中で成立しなかった法案は廃案にするというのが、多数の横暴を抑える会期制のルールだ。 ましてや日本国憲法に違反する戦争法案の強行など断じて認められない」(「しんぶん赤旗」23日付)と批判しました。

 共同通信社の20、21日に実施した全国電話世論調査よると、「安全保障関連法案が『憲法に違反していると思う』との回答は56.7%に上った。『違反しているとは思わない』は29.2%だった。 安保法案に『反対』は58.7%で、5月の前回調査から11.1ポイント上昇した。 『賛成』は27.8%だった。 安倍内閣の支持率は47.4%で、前回調査から2.5ポイント減った。 不支持率は43.0%(前回38.0%)(「神奈川新聞」22日付)

 内閣支持率と不支持率は、5月調査では、11.9ポイントの差があったが、今回の調査では、4.4ポイント差に短縮しています。

 「朝日」の20、21日の世論調査では、内閣支持率は、39%(45%)、不支持率は37%(32%)でした。 (  )内数字は5月調査の数字です。

 「朝日」の5月調査では、支持率と不支持率の差は、12ポイントありましたが、今回の調査では、2ポイント差に迫っています。

 「朝日」の世論調査では、次の設問もあります。

 「安全保障関連法案について、国会に呼ばれた3人の憲法学者が『憲法に違反している』と主張しました。 これに対して安倍政権は『憲法に違反していない』と反論しています。 3人の憲法学者と安倍政権の、どちらの主張を支持しますか。

 「3人の憲法学者 50」 「安倍政権 17」

 また、「安倍首相の安全保障関連法案についての国民への説明は、丁寧だと思いますか。 丁寧ではないと思いますか」

 「丁寧だ 12」「丁寧ではない 69」

 国会史上最長の会期延長に踏み切った安倍内閣は、国会の数の力で、戦争法案やその他の悪法の強行成立を図るでしょう。 しかし、主権者国民は安倍政権の暴走を許さないでしょう。

 日本共産党は、1月開催しいた第3回中央委員会総会で、「第3次安倍政権――危険性と3つの致命的弱点」を指摘しました。 その第1が、「国民世論との矛盾」です。

 「与党が衆議院で3分の2を占めたのは、何よりも大政党有利に民意をゆがめる小選挙区制による『虚構の多数』であり、国民が『白紙委任』を与えたわけでは断じてありません。 総選挙後の世論調査をみても、安倍政権がこれから進めようとしている主要な問題のすべてに対して、国民の5割から6割は反対の意思表示をしています」

 「安倍政権の暴走の一歩一歩が大きな矛盾をつくりだし、自ら墓穴を掘り、政治的激動を引き起こすことは避けられません」


「笠井 亮日本共産党衆議院議員 公務に復帰」 ”無理のないように一歩一歩活躍してください”

2015年06月17日 | 党関係

 「しんぶん赤旗」17日付に、笠井 亮議員が公務にh復帰した記事が掲載されていました。 志位和夫委員長が、「大きい病いを無事乗り越え、以前と同じ仕事ができる元気な姿をみることができて本当にうれしいです。 みなさんとともにおめでとうと言いたいと思います。 無理のないように一歩一歩進め、また活躍されることを期待しています」とあいさつされたそうです。

 笠井議員は、昨年12月の総選挙中にくも膜下出血で倒れ手術を受け、その療養を続けていましたが、16日の衆院本会議から国会での公務を再開したとのことです。

 笠井議員は、本会議に先立つ党代議士会で、「ご心配かけましたが、たくさんの温かい激励をいただいて公務に戻ることができました。 ほんとうにありがとうがざいました」とあいさつし、「歴史的なたたかいの中で国民とともに最前線にたって奮闘している日本共産党の国会議員団32人、衆院21人の一人として、国会の活動を再スタートします」と述べたそうです。

 私も心から活動への復帰を喜んでいます。 「赤旗」の写真では、志位委員長のとなりであいさつしている写真は、病気前のいつもの短髪で笑顔も変わらないようでホットしています。

 国会最終盤、延長国会も予想される事態のなかで、笠井議員がいつ質問に立つのか期待が自然と高まります。

 笠井議員とは、彼が参議院議員時代何度か、関税定率法の一部改正案の国会審議に関わって話し合ったことがあります。 私は労働組合の立場ですが、国の行政の基本は国民との関係であることを踏まえた質問は、私たちの「行政研究と職員の労働条件の改善」との関係を深める上でも大変参考になったことを記億しています。

 まず、「無理のないように、一歩一歩活躍していただきたい」と思っています。


「スターリン秘史の執筆を終わって』を読む。 研究と努力に心から感謝

2015年06月14日 | 綱領関連

 まず、不破さんをはじめ研究会グループのみなさんに心から感謝を申し上げたいと思います。 2年半の長期間にわたった連載、「前衛」誌の「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」は、「前衛7月号」で完結しました。

 不破さんは、「『スターリン秘史』の執筆を終わって」のなかで、この執筆に取り組んだ「動機、決意」について、次のように述べています。

 「私は、『スターリン時代の中世的な影を一掃』する理論的な課題のなかで、スターリン覇権主義の『巨悪』の全体像を歴史の事実に照らして解明する仕事がまだ残されていることを、強く感じていました。 私たちがいま取り組んでいる科学的社会主義の『ルネサンス』も、スターリンが世界の共産主義運動に支配的な影響力をおよばした中世的な暗黒の時代そのものに科学のメスを入れて、その実態を解明し、その否定的な現実に全面的な光をあてることを抜きにしては、不完全なものになる、という思いからです」

 「そして、その仕事は、若い時代の十数年の期間ではあったが、スターリン時代の空気を吸い、スターリンの理論の研究に打ち込んだ経験をもつ世代に属する人間がはたすべき課題であり、またその経験がなければはたせない任務であることも、私が痛感していたことでした」(「前衛」7月号229頁)

 「2009年5月、私が出会ったのが、『ディミトロフ日記』でした。 出会いのいきさつについては、本稿の序論的な部分で紹介しましたが、まず、英語版(2003年、米エール大学出版部、抄訳版)を手に入れて読んでみると、スターリン覇権主義の隠された歴史に光をあてる新事実と探究のヒントがそこに膨大に記録されていることを知って、大きな衝撃を受けたのです」(「同誌230頁)

 不破さんは、執筆の苦闘にふれた後、次のように述べています。(以下、「同誌」231頁)

 「編みあがってみると、そこに現出したスターリン覇権主義の全体像は、私自身の予想をはるかに超えるものとなりました。 先の報告会では、『日記』の全体を読み通したうえで、そこから読み取った重要な新事実はもれなく報告したつもりでしたが、どの章をとっても、そこで解明されたスターリン覇権主義の歴史の邪悪さは、桁違いに深刻なものでした。 現れたのは、社会主義の精神も革命の大義も完全に投げ捨てて、ひたすら覇権と専制支配の拡大強化を追求する『巨悪』そのもでした」

 「スターリンの言動の根底にあるものを、そこまで突き詰めてとらえないと、どの時期のどの分野の問題でも、スターリンの真意は理解できないし、この本質を正確に把握すれば、スターリンの言動が矛盾に満ちているように見える場合でも、その本当の脈洛をきちんと理解することができるーーここに、本稿を執筆しながら私が得たスターリン研究の核心がありました」

 不破さんは、最後に、「この研究が、科学的社会主義の『ルネサンス』の日本における、また世界における発展に役立つことを願って、結びの言葉にしたいと思います」と述べています。 

 私も、「前衛」誌の連載を待ちわびながら、読み続けました。 不破さんが、「大きくいえば、世界の現代史について、認識を新たにさせられた点も少なくありません」とも述べていますが、「大きな共感を覚える言葉」です。 


「スターリン秘史」 第30章=最終章 「朝鮮戦争終結。アジア『第二戦線』戦略の総決算」

2015年06月13日 | 綱領関連

 「スターリン秘史」が完結しました。 まず、「朝鮮戦争終結。アジア『第二戦線』戦略の総決算」について、不破さんの分析・見解を紹介したいと思います。

 不破さんは、 「スターリンがアジア『第二戦線』戦略にもとづいて起こした朝鮮戦争は、1953年7月に終結しました。 スターリンのこの戦略は、いったい、世界、とくにアジアに何をもたらしたのか、いくつかの角度から、その総決算を試みたいと思います」と述べ、次のように指摘しています。

 「(1) ヨーロッパでの西側陣営との軍事的な正面対決を避けるために、アメリカの軍事的、政治的対決の焦点をヨーロッパからアジアに移そうとしたスターリンの思惑は、その限りでは、確かに一定の成功を収めました。 1950以後、戦争と冷戦の重点は明らかにアジアに移りました」

 「(2) しかし、この戦争によって、アジアが受けた被害はきわめて大きいものがありました。 アメリカが主導する軍事同盟は、朝鮮戦争以前には、北大西洋条約機構(NATO)だけでした。 アジアでは、新中国成立後の1950年1月、アメリカのトルーマン政権は、台湾、朝鮮半島をアメリカの防衛ラインの外におくという政府宣言を発表し、中国が台湾解放作戦を企てても軍事介入しないという事実上の意思表示をおこないました。 これは、将来の米中関係の確立を視野に入れた政策声明だという見方も生れ、アジアの平和的発展の展望も開かれつつあるかに見えました」

 「その情勢を一変させたのが、朝鮮戦争でした。 朝鮮半島が、熱い戦争の戦場になっただけでなく、アメリカ政府は、1月の声明を取り消して、台湾問題でも中国と対決する立場を明らかにし、さらに、日米安保条約(1951年)、アンザス(ANZUS 1951年)、東南アジア条約機構(SEATO 1954年)、中央条約機構(CENTO 1955年)と軍事同盟の網の目でこの地域をおおう戦略をとりはまじめました。 まさにアジア・太平洋地域は、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策が集中する地球上最も危険な地域となったのでした」

 「(3) 朝鮮半島が受けた被害に、きわめて大きいものがあったことは、言うまでもありません。 朝鮮半島の全域が戦場となった上、戦線が38度線から南へ、南から北へ、さらに北から南へと、繰り返し移動したため、多くの地域が何度も戦火にさらされました。 しかも、民族を分断しての戦争だっただけに、民族的悲願である南北統一への道を決定的に困難なものとしたことは、この戦争がもたらした最大の悲劇だというべきでしょう」

 「(4) 朝鮮戦争の直接の当事者となった中国が受けた被害は、絶大なものがありました。 すでに実施段階に入りつつあった台湾解放は無期延期とされたうえ、内戦の直後に最新鋭の武器と装備をもつアメリカ軍との大戦争に取り組んで、40万人もの犠牲者をだし、経済的にも国民経済建設の最初の段階で戦争の重荷を負わされたのです。 もし、ソ連が朝鮮戦争を企てなかったら、さまざまな複雑な要因があったとしても、新中国の前途にはまったくちがった展望が開かれたであろうことは、想像に難くありません」

 「(5) 最後に日本です。 朝鮮戦争は、アメリカが日本の全土を極東における戦争と侵略の基地とし、警察予備隊(-保安隊ー自衛隊)の名で日本の再軍備に道を開く上で、絶好の情勢をつくりだしました。 そして、スターリンの干渉による日本共産党の徳田・野坂分派への軍事方針の押しつけは、日本共産党に深刻な政治的打撃を加えただけでなく、講和を前にした重大な時期に、アメリカ占領軍に日本を事実上の戒厳状態におく口実を与え、民主・平和運動を無力化させることを容易にさせました。 事実、講和条約と日米安保条約が締結された1951年には、首都東京では『平和』と名のつく集会は”盆踊り”さえ禁止するという戦時さながらの禁圧体制が敷かれました」

 「こうして、アメリカは、日本の反動支配勢力の協力のもと、自分が勝手に描いた設計図どおりの講和条約と日米安保条約を、国民的規模の反対運動に直面する恐れなしに、強行することができたのでした」

 そして、不破さんは、「このように、スターリンのアジア『第二戦線』構想とその発動は、世界とアジアにはかりしれない損害をひきおこしたのです。 しかし、この構想の一環として強行された日本共産党への干渉攻撃が、日本の運動のなかに、スターリンの覇権主義、専制主義に対する徹底した批判者を生む転機となったことは、歴史の弁証法というべきでしょう」と述べています。(以上「前衛」7月号、215~217頁)

 


「戦争法案」は、内容も提案・審議のやり方も、”憲法に対するクーデター” 廃案にするしかない

2015年06月10日 | 戦争法案

 この間、私は、街頭宣伝などで、「戦争法案は安倍政権による政治的クーデターである」と訴えてきました。 こうした主張にはあまり出会うことがありませんでしたが、9日付「しんぶん赤旗」「主張」を読み、同感の思いを強くしました。

 すでに、読まれている方も多いことと思いますが、改めて、一部を紹介させていただきます。

 「いまから、70年前戦争に敗れた日本はアジアと日本国民に甚大な被害を及ぼしたことを反省し、憲法前文に『政府の行為によつて再び戦争の惨禍がおこることのないようにする』決意を明記し、憲法9条で戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認をうたいました。 自民党など歴代政府は憲法を踏みにじって、自衛隊を創設し、軍拡を進め、アフガニスタン報復戦争やイラク侵略戦争などインド洋やイラクに派兵しましたが、『非戦闘地域』に派兵するとか、『武力の行使』とは『一体化しない』など言い訳を続けたのも、憲法の制約があったからです」

 「安倍政権が進める『戦争法案』の企ては、そうした制約を取り払い、アメリカが始めた戦争で自衛隊が、『後方支援』の名で弾薬の補給や武器の輸送まで行ない、『戦闘地域』であっても活動できるようにするというものです」

 「とりわけ日本が攻撃されてもいないのに海外で武力を行使する集団的自衛権の行使は、歴代政府でさえ憲法上許されないとしてきたものです。 アメリカが先制攻撃の戦争を起こした場合でも発動される危険っが浮き彫りになっています。 安倍政権になったとたん解釈を変え行使を認めるのは、まさに、憲法に対する”クーデター”そのものです」

 「衆院憲法審査会で野党推薦の参考人だけでなく与党推薦の参考人からさえ『集団的自衛権が許されるという点は憲法違反』と批判されたのは当然です」

 「『戦争法案』に対する憲法違反との批判に、安倍政権は憲法解釈の変更は『政府の裁量の範囲』などと強弁していますが、憲法は公務員などの憲法尊重擁護義務(99条)を定め、憲法に反する法律は『その効力を有しない』(98条)としています。 憲法に違反した『戦争法案』の強行自体、憲法にもとづく立憲主義に反したものです」

 「『戦争法案』には国民の8割が納得していません。 即刻廃案にすべきです」

 そして、「憲法を守りいかすために、今国会成立阻止の一点で力を合わせることが急務です」と訴えています。


「戦争法案 全参考人が『違憲』」、「今国会成立反対の一点での野党協力を」志位委員長が表明

2015年06月05日 | 戦争法案

 「日本共産党の志位和夫委員長は4日、国会内で記者会見し、『戦争法案に対する立場は野党それぞれですが、今国会での成立に反対するという一点では全ての野党が一致すると思います。 その一点で協力するのが大事だと思います。 連携が進むように力を尽くしていきたい』と表明しした。 志位氏は、自らの論戦を通じて戦争法案の『違憲性』『対米従属性』が浮かび上がるもとで、直近の二つの世論調査結果に注目しました」

 「1つは、安倍政権が法案を『十分説明しているとは思わない』が81.4%にのぼった共同通信の世論調査です。 もう一つは、『廃案にすべきだ』『いまの国会にこだわらず時間をかけて審議すべきだ』をあわせて82%になったテレビ朝日の世論調査です」

 「志位氏は、『圧倒的多数です。 国民のなかで8割を超える人が”この国会で通すのはとんでもない”と声をあげているのは重要です』とのべました」

 「そのうえで、『国民の8割以上の声に応えて、野党が、”今国会での成立には反対するという一点で協力することが大事です”と強調するとともに、”広い国民運動とも協力・共同して、わが党としては法案の即時廃案のために、引き続き頑張っていきたい』とのべました」(以上、「しんぶん赤旗」5日付)

 同日の衆院憲法審査会で、「立憲主義」をテーマに招致された参考人の憲法学者3氏がそろって、集団的自衛権行使を可能にする戦争法案について、「憲法に違反する」との認識を表明し、大きな反響が広がっています。

 3氏の発言のポイントは以下のとおりです。(「しんぶん赤旗」5日付)

 「笹田栄司参考人・早稲田大学政治経済学術院教授=『(従来の政府の憲法解釈を)踏み越えてしまったので違憲だ』」

 「小林節参考人・慶応大学名誉教授=『海外に戦争に行くというのは、憲法9条、とりわけ2項違反だ』」

 「長谷部恭男参考人・早稲田大学法学学術院教授=『集団的自衛権が許されるという点は憲法違反だ』」

 以下、「朝日」の5日付関連記事を紹介します。

 「報道各社の世論調査では、安保法案に反対・慎重な意見が目立つ。 憲法学者らの批判に政府・与党は神経をとがらせる。 安保法案の与党協議をリードした公明党の北側一雄氏はこの日の審査会で『憲法9条でどこまで自衛の措置が許されるのか。 突き詰めて議論をしてきた』などと反論。 菅義偉官房長官も4日午後の記者会見で『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる』などと火消しを図った。 だが小林氏は審査会後、『日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。 (違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ』と言い切った」

 「法案審議の序盤で出た『レッドカード』に自民党内からは不安の声が次々と上がる。 安保法案の特別委に加わる自民党中堅議員は『特別委にとっては重要影響事態どころか、存立危機事態だ』と心配する」

 


「スターリン秘史 第29章 1950年(下)」 ”朝鮮戦争は誰が、なんの目的で行なわれたのか”

2015年06月01日 | 綱領関連

 「第29章 1950年(下)」には、「58年後に発見されたスターリン書簡」が紹介されています。 (「前衛6月号」209~211頁)

 不破さんは、この書簡について、次ぎのように分析しています。

 「発見されたスターリン書簡は、発表された2008年当時、日本のメディアでも報道されましたが、本格的には研究されないまま、一時的なニュースとして忘れられていったと思います。 その内容が、朝鮮戦争の歴史的経過についての通説とあまりにもかけ離れており、歴史のどこにどうはめ込むべきかの理解がつかなかったからかも知れません」

 「しかし、その時期のスターリンの国際活動の経過をヨーロッパとアジアの両方面を視野に入れて追跡してきたわれわれの目から見ると、この書簡は、朝鮮戦争をめぐる多くの謎を解き明かす力をもった、スターリン自身のきわめて重大な発言であることがわかります」

 「最初に指摘しておく必要があるのは、これは、米軍の仁川上陸で北朝鮮軍が危機に陥った時期に、スターリンが言いわけ的に語ったものではない、ということ、『南進』作戦がほぼ成功して韓・米両軍を洛東江の一角に追い込み、意気盛んだった時期の書簡だということです。 (書簡の日付の8月27日は、スターリンが『南進』作戦の成功をたたえる金日成あてのメッセージを書いた前日でした)」

 「この書簡で、第1に重要なことは、スターリンがアメリカを朝鮮戦争にひきだすことが安保理欠席の目的であることを、はっきり認めているということです。 『4つ目は、米国政府にフリーハンドを与え、安保理での多数を利用してさらなる愚行をおこなう機会を提供し、世論が米国政府の真の顔を目にできるようにすることだ。 ・・・・ われわれが安保理を退席したあと、米国は朝鮮での軍事介入を開始し、そこで軍事的威信と道徳的権威を失いつつある、いまや、米国が朝鮮における弾圧者、侵略者であり、軍事面では自ら吹聴するほど強いわけではないことを、正直者であれば疑うことはできないだろう』。 彼は4つ目の目的をあげていますが、中国の代表権問題などあとの3つは、一時的な意思表示をすれば済むことで、いつまでもボイコットを続ける根拠にはなり得ないものでした。 現にソ連は、それらの問題は何一つ解決していないのに、50年8月、この手紙を書いた時点では、すでに安保理に復帰していたのですから。」

 「スターリンは、この書簡で、米国政府に『さらなる愚行』、すなわち朝鮮への出兵をおこなわせること、そのことを目的にして、安保理が米国提案の2つの決議を無事に成立させるように、50年1月に開始したボイコットを6月~7月まで続けていたのだと、まったくあからさまな言葉で説明したのです」

 「第2は、スターリンにとって、米国政府に朝鮮出兵という『愚行』を犯させることが、なぜ必要だったのか、についての説明です。 スターリンは、先の文章に続けてこう語ります。 『さらに、米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らかである。 国際的なパワーバランスからいって、これはわれわれに利益を与えているだろうか。 もちろん与えている」

 「重大なことは、スターリンがここで、安保理欠席の理由だけでなく、なぜ朝鮮戦争を起こしたかの理由まで説明していることです。 スターリンは、朝鮮戦争によって、アメリカの関心と軍事戦略の重点をヨーロッパから極東にそらすことが目的だった、それが『われわれ』に利益を与えていることは明らかだと、何一つ言葉を飾ることなく実に率直に語っています。 ここで『われわれ』という時、それはソ連と東ヨーロッパ諸国のことで、(チェコスロバキアは東ヨーロッパ諸国の代表として扱われている)、アメリカの脅威がヨーロッパからよそへ移りさえすれば、それが移った先の国々がどうなろうと、それは自分たちの利益の外の出来事でしかないのです。 これが、スターリン流の『国際的なパワーバランス』の論理なのでした」

 そして、不破さんは、「朝鮮戦争こそは、アメリカ帝国主義との対決の主戦場をヨーロッパから極東に移す『第2戦線』構想の具体化として引き起こされたものだ、そのことを、スターリン自身があかさまに証言しているのですから」と指摘しています。

 日本共産党の「50年問題」を考える上でも新たな視点を提示するものです。

 

 

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