宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「空白克服し6議席以上を」 日本共産党 神奈川県議選で、大和から初の共産党くぼ 純県議誕生を!

2015年03月13日 | 選挙

 「神奈川県議選で日本共産党は、県議会議員の空白を克服し、複数議席獲得をめざしています。田母神悟県委員長は『3政令市での県議の議席獲得をはじめ、過去最高の6議席を上回る結果を出す』と決意しています」(「しんぶん赤旗」12日付)

 日本共産党神奈川県委員会が発表している県議選立候補予定者は10人です。(12日現在) 大和市区からは、くぼ 純市議が出馬を予定しています。 先日の事前説明会には、前回当選者組と共産党の4会派が参加し、定数3議席を4会派が争う様相となっています。 くぼ氏が立候補の意思を表明しなければ、無投票で議席が確定する事態でもありました。

 「しんぶん赤旗」(12日付)は、神奈川県議会の状況を次のように指摘しています。

 「日本共産党が議席を失った2011年以降の神奈川県議会は『オール与党』そのものです。 一般会計予算を毎年全会一致で可決し、同年6月から12年12月に提出された知事提案議案687件中、全会一致で可決したのは671件で、実に97・67%に上ります。 自民党の菅義偉官房長官が担ぎ出した黒岩祐治知事には、安倍政権の暴走政治から県民を守る防波堤としての役割を果たす意思はありません」

 「むしろ、暮し破壊の『アベノミクス』の成長戦略については、『力強く躍進させていきたい』と公言。 憲法は『見直すべき』だと表明し、集団的自衛権行使容認の閣議決定も『まさに国民の命を守るための方向性だと認識している』と評価しています」

 「さらに、県有施設の廃止・移譲や県補助金の廃止・削減などの『県政リストラ』を推進し、県民サービスに大ナタをふるっています」

 「原子炉2基を積む原子力空母ジョウージ・ワシントンが横須賀に配備され、空母艦載機の爆音や事故、米兵らによる暴行・殺人事件が繰り返されています。 ところが、黒岩知事は『基地と共存していかなきゃいけない』との態度です」

 「県民のなかで、こうした国言いなりで県民に冷たい黒岩県政とそれを支えるオール与党への批判は高まっています。 批判の高まりを受けて、ある民主党県議は『黒岩知事にモノを言いたいが、民主党では『おかしい』と言えないとこぼし、自民党県議も地元の共産党市議に『共産党がいないとダメだ』と話しました」

 県議会空白を克服するためのたたかいは、1カ月後に結果がでます。 保守、革新の枠を超え、政党支持を日頃決めていない人達の共感と支援が得られる政策をさらに練り上げ、10期40年の市議会議員活動の実績と実力、くぼさんの人柄も知っていただく活動に全力を尽くし、市民、県民のための議席の獲得をめざします。

 

 


「中国革命とスターリン」=スターリン秘史第27章  ”スターリンの目は日本と北朝鮮に”

2015年03月10日 | 綱領関連

 今回も最終第5節の紹介に焦点を当ててみたいと思います。 第5節の表題は、「スターリンの目は日本と北朝鮮に」です。

 「アジア・太平洋労組会議の呼びかけは、スターリンのアジア『第2戦線』構想では、大づかみな背景を描いただけの、ほんの第1歩でしかありませんでした。その構想では、中国が最大の役割を果たすことになりますが、スターリンの目は、すでに1949年段階で、構想のなかで、重要な役割を果たすであろう他の国々にも向けられはじめていました。 その視線が向いた国の一つは、アメリカの占領体制がト-ルマン・ドクトリンから一歩遅れてではあるが急速に反動化し、政治的対立が鋭くなるとともに、共産党が49年1月の総選挙で4議席から35議席へと大躍進を遂げた日本であり、もう一つは、戦争終結当時のアメリカとの協定で、ソ連の占領下に入った北朝鮮でしした」(「前衛」誌4月号226頁)

 「ここでは、南北それぞれに占領軍を後ろ盾にした政府つくられ、南北の境界線である38度線をめぐって、49年ごろには境界紛争がはげしくなっていたのです」

 不破さんは、「私たちがソ連崩壊後に入手した東京のソ連代表部関係の内部資料の一つに、49年ごろ、モスクワでは、『在日ソ連代表部職員からの情報』にもとづく日本共産党研究がおこなわれてていた、という記述がありました。 日本情勢などの日常的な報告ではなく、日本共産党研究に的を絞っての情報と研究ですから、特別の問題意識が働いていたことを推測させる記述でしたと」指摘し、次のように問題意識を進めています。

 「いま見てきた観点から見直せば、そこには、日本共産党を『第2戦線』構想に利用する準備作業というスターリンの意図が鮮明にうかがわれます。 そのころソ連代表部が提供した『情報』のなかで、私たちがとくに注目したものに、『日本共産党中央委員会政治局員・書記野坂参三について」という49年10月29日付の報告文書がありました」

 「この報告の筆者は、K・セシキン大佐と署名しています。 (ソ連大使館に勤務していたソ連の情報部門の将校)」

 「同誌」227~228頁にかけて、セシキン報告が紹介されています。 そして、として、不破さんは、次のように指摘しています。

 「要するに、野坂が現在は『待機の姿勢』をとり、書記長の徳田と意見が違っても議論を避けているが、いざという時には徳田を制御する力をもっている、という評価です。 セシキン武官は、このように、日本共産党指導部の内部事情にまでふみこんだ点検報告書ー野坂は、ソ連が日本共産党に路線転換をもとめた場合、それを正面から受けとめ、徳田をふくめて党をソ連のめざす方向に導ける指導者だという報告書を、スターリンに送ったのでした」

 そして、第27章は、1949年のスターリンと北朝鮮の金日成の動向を紹介しています。


「スラーリン秘史=第26章」 戦後70年、被爆70年に 戦後史の解明にかかわる ”新たな視点を提起”

2015年03月01日 | 綱領関連

 「スターリン秘史=第26章 コミンフォルム」の最終節は、「スターリンのヨーロッパ戦略の決算表」です。 この節は、戦後の日本、アジア、世界の歴史の展開を検証する上で重要な視点を提起するものになることを予感させられます。

 「トルーマン・ドクトリンとコミンフォルム結成で、世界大戦中の『大連合』体制に双方から公的な終止符が打たれ、スターリンのいう東西『2つの陣営』の対決が世界情勢の中心に押し出されました。 それから2年余り、1940年代から50年代への転換を迎える時点で、スターリンのヨーロッパ戦略の決算表をつくってみると、どういうことになるでしょうか」と不破さんは提起し、次のような2点を指摘しています。

 「第1に、スターリンによる東ヨーロッパ制圧作戦の強行は、アメリカ政府に、議会の承認のもとに、ヨーロッパに乗り出す上で、きわめて都合の良い情勢をつくりだしました。 ヨーロッパの資本主義世界の旗頭だったイギリスに代わって、ヨーロッパでも、アメリカ帝国主義が西側陣営の主役に公然と躍り出てきたのです。 しかも、スターリンの強硬路線は、西側陣営を、『共産主義の侵略阻止』を口実にソ連ブロックに集団的に対抗する体制、すなわち軍事同盟の結成という道に前進させました」~中略~「軍事的対抗ということになると、核兵器開発の問題をふくめて、ソ連側の劣勢はいっそう明白でした」(「前衛」誌3月号230頁)

 「第2に、東側陣営の状況ですが、スターリンが、東ヨーロッパにおけるソ連の支配体制を強化する決定的な柱として打ち出したユーゴスラヴィアのチトー政権打倒作戦は、完全な失敗に終わりました。 あらゆる手段をつくして進めたこの作戦は、東ヨーロッパの内部に、強固な国民的意思をもってソ連の侵略・干渉・強圧から自国の主権と独立を守り、社会主義への自主的な道をきりひらくためにたたかう国家、覇権主義に敵対する国家をつくりだす結果に終わったのでした」(同頁)

 不破さんは、次のように、論を進めます。

 「こういう状況のもとで、もしアメリカが、内外の反共産主義的好戦派の圧力におされて、軍事的対決の道をえらんできたらどうなるか。 いまあげた政治的力関係の決算表にくわえて、軍事力の対比がまず問題になります。 ソ連は、アメリカに追いつこうと、1945年以来、核兵器の開発に全力を注ぎ、49年9月に最初の原爆実験に成功しましたが、アメリカのような遠方の国にそれを届ける長距離の運搬手段はまだ持っていません」(同誌231頁)

 「西ヨーロッパや日本など、ソ連本国を自由に爆撃できる基地を持っているアメリカの戦略的地位と比較すれば、この分野でのソ連の劣勢は明白でした。 どんなことがあっても、東西の対立が米ソ間の世界戦争に発展することは警戒し、防止しなければなりません。 この情勢のもとで、いかなる政治・軍事戦略をもつべきか」(同頁)

 「スターリンは、次第に、世界のヨーロッパ以外の地域にアメリカ帝国主義と戦う新しい戦線を開き、ヨーロッパが東西両陣営の対決の主戦場となっている状態から早くぬけだす可能性はないかと、その探求に注意を向けるようになりました。 これは、いわば第2次大戦中の『第2戦線』にあたるものですが、ただし、この戦線が、米・ソ対決の戦場となったのでは、同じ悩みが引き継がれますから、この『第2戦線』はソ連の軍事的参加なしという条件で開くことが、必須の要件となります。 こういう立場から、スターリンは、1949年以降、アジアでの新たな戦略的探究を試みることになりました」(同231頁)