宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
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「日本共産党の理論活動の歴史」 日本・ベトナム両党第5回理論会談での不破報告(上)

2014年01月09日 | 綱領関連

 第26回党大会が来週(15~18日)に迫る中で、「しんぶん赤旗」(日刊紙)は昨日から、「日本・ベトナム理論交流での不破団長の報告」を連載(上、中、下)しています。 この理論会談は、「新しい情勢における社会主義理論の発展」をテーマに昨年12月16~17日日本共産党本部で開かれたものです。

 この会談は、「第26回党大会決議案」を練り上げる上でも、重要な内容を含んでいると思います。 特に、「第6章 日本における未来社会の展望について」を理解し、確信にしていく上で、欠かせないものとなっているのではないでしょうか。 党外の多くのかたにも是非読んでいただきたいと思っています。

 不破団長の発言の一部は当時の「しんぶん赤旗」で紹介されていましたが、報告の詳細がいつ発表されるか、待たれていました。

 昨日は、「日本共産党の理論活動の歴史」が紙面1頁にわたって掲載されました。 不破氏は冒頭部分で、「私たちの党は『1961年に党綱領を制定しましたが、2004年に党綱領のかなり抜本的な改定を行いました。 来年1月が改定した綱領の決定からちょうど10年になるところです」と振り返り、日本共産党の「理論活動の大きな起点となったのは、1950年代に自主独立の立場を確立したことでした」と述べ、自主独立の立場の確立と党の苦難の内容について、次のように紹介しています。

 「私たちは『1950年にソ連の党と中国の党の共同による激しい干渉を受け、党が分裂し、国外から武装闘争路線を押し付けられるという、たいへん苦難に満ちた経験をしました。 その前の1949年の総選挙で35議席を得ていたものが、その干渉を受けた時期の1952年の選挙では全議席を失うという困難な事態も経験しました」

 「その苦難の時期を抜け出したときに、自主独立の立場、すなわち、相手がどんな大国であっても外国からの干渉を許さない、どんな問題でも日本の党の方針は自分の頭で考えて決定する、この立場を確立しました」

 私が、党活動に参加したのは、「61年綱領」が制定されて間もない時期でしたが、「自主独立の立場」の重要性は、その後のソ連、中国・毛沢東派の日本共産党への干渉・分裂攻撃と直接たたかう事態となり、理論と実践の両面で身に付けなければならなっかことを思い出します。

 その後の理論活動、綱領の改定が、ソ連、中国・毛沢東派や、アメリカのベトナム侵略戦争とのたたかい、90年代初頭のソ連の崩壊等歴史の激動のなかで鍛えられ、発展させられてきたものであることを、改めて感じさせられました。