宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
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南北首脳会談を考えるー「民族の気概を内外に誇示」を宣言(1)

2018年09月26日 | 国民主権・国家主権

 「9月平壌共同宣言」は、第4節で「南北は和解と団結の雰囲気を高め、わが民族の気概を内外に誇示するため、多様な分野の協力と交流を積極的に推進する」として、3項目を列挙しています。 その中で、(3)として、次のことが記述されています。

 「(3)南北は10・4宣言(07年の南北平和宣言)11周年を意義深く記念する行事を開催し、3・1運動100周年を南北共同で記念し、このための実務的な方策を協議していくことにした」

 2007年10月4日、韓国のノムヒョン大統領と北朝鮮の金正日国防委員長の間で合意さ「南北関係の発展と平和反映のための宣言」が発表されました。 この「宣言」には8項目にわたる合意が明記され、今年4月の「板門店宣言」のベースにもなっていると考えています。

 10・4宣言の第3項は、「南と北は軍事的な敵対関係を終息させ、朝鮮半島で緊張緩和と平和を保障するため緊密に協力することにした」として、「南と北は朝鮮半島でのいかなる戦争にも反対し、不可侵義務を順守することにした」とも述べています。

 そして、第4項では、「南と北は停戦体制を終息させ、恒久的な平和体制を構築しなければならないという認識を共にし、直接関連する三者、もしくは四者の首脳が朝鮮半島地域で会い終戦を宣言する問題を推進するために協力していくことにした」と述べ、さらに次のように書いています。

 「南と北は朝鮮半島の核問題の解決のために、六者会談「9・19共同宣言」と「2・13合意」が順調に履行されるよう共同して努力していくことにした」

 「9・19宣言」は2005年9月19日に発表され、2007年2月13日に「共同声明の実施のための初期段階の措置」(2・13合意)として朝鮮半島の非核化を実現するために北朝鮮、韓国、中国、ロシア、米国そして日本を含む関係6カ国による重要な合意文書です。

 南北の首脳がはじめて会談を行ったのは2000年6月でした。 朝鮮戦争が休戦状態になって47年、およそ半世紀後のことでした。 その成果として、「6・15共同宣言」が出されたました。 全体は5項目から構成されています。 その第1項には次のように書かれています。

 「南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士、互いに力を合わせ自主的に解決していくことである」

 2000年の第1回首脳会談、2007年の第2回首脳会談、そして、今年2018年の4月、5月、9月と3回の首脳会談。 そして、年内にも4回目の南北首脳会談が開催される可能性が生まれています。

 幾多の困難、挫折、逆流を乗越え、どのような民族的経験と知恵が結集されここまで歴史を前進させてきたのでしょうか。 

 朝鮮半島の2つの国が、8000万人の民族が朝鮮戦争を最終的に終息させ、共同して国民生活と経済の発展に本格的に取り組むことになれば北東アジアの戦後70年余り続いている戦争の危機を平和の方向に根本的に転換することになることはまちがいないでしょう。、


いまもなを、朝鮮・韓国の植民地支配を反省できない日本の支配層

2018年03月02日 | 国民主権・国家主権

 3月1日は、日本では、「被災64年2018年3・1ビキニデ―集会」が静岡県焼津市内で開催され、1800人が参加し、核兵器廃絶の願いを語り、ヒバクシャ国際署名の取り組みの飛躍を誓い合いました。

 韓国では、日本の植民地支配に抗した「三・一運動」の記念式典が文大統領出席のもとで、はじめてソウル市内の西大門刑務所歴史館(刑務所跡地)で開かれました。

 「読売」紙2日付「社説」は、「歴史を歪曲する『反日』体質」の見出しで、文大統領演説を批判しました。 その内容で、特に、見逃すことができないと感じたことは次の主張です。

 「文氏は植民地支配からの解放について、『我々の先祖の独立運動は世界のどの国よりも熾烈だった』と語り、『外から与えられたものではない』と語った。 第2次世界大戦での日本の敗戦が独立につながった歴史的事実に反する」と述べています。

 第2次世界大戦で日本が敗北し、ポツダム宣言を日本が受諾したたことが、韓国・朝鮮の日本の植民地支配からの解放につながったことは、歴史の事実の重要な側面であったことは、同感できます。 しかし、それだけで、その後の韓国の主権回復・独立が実現できたのか、この点での冷静な分析・検証が必要ではないでしょうか。

 故吉岡吉典氏(元日本共産党政策委員長、常任幹部会員・元参議院議員)の「『韓国併合』100年と日本」のなかで、次のような指摘がされています。(同書93ページ)

 「終戦必至となった1945年5月14日に開いた政府と軍部による最高戦争指導会議構成員会議で、ソ連に『和平』の斡旋を依頼しようとし、そのための『対ソ交渉方針』を決めますが、その際の条件として、『我譲渡範囲』を『場合に依りては千島北半を譲渡するも止むを得ざるべし』といいながら、『但し朝鮮は之を我方に留保すること』を決めていました」(「日本外交年表並主要文書」下、612ページ)

 このことについて、吉岡氏は、次のように書き遺しています。

 「日本の歴史的領土である千島列島の北半分(「千島北」)はソ連に譲っても、植民地支配下の『朝鮮』は戦後も確保しつづけるという方針を決めていたのです。 ところが、ポツダム宣言受諾によって、朝鮮の解放、独立を認めることになったのです」

 「日本政府がポツダム宣言を受諾した戦後になっても植民地支配を美化・合理化する『朝鮮半島認識』を考えるうえで、戦争末期にこういう決定があったことに注目しておきたいと思います」

 文韓国大統領は、記念式典の演説で次のように、「三・一運動」を語っています。(「しんぶん赤旗」2日付、栗原千鶴 記者)

 「先祖たちの独立運動は世界のどの国よりも激しかった。 光復(日本の植民地支配からの解放)は外から与えられたものではない」

 「三・一運動の経験と記憶が、その後の独立運動の『精神的土台になった』と表明。 2017年に朴クネ前政権を倒した市民の『ろうそく集会』が『三・一運動で始まった国民主権の歴史をよみがえらせた』と語りました」

 そして、文氏は、次のように表明しました。

 「朝鮮半島の平和は、国民の力でつくることが可能である」「今後、光復100年に向け、朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければならない。 分断がこれ以上、私たちの平和と繁栄の障害にならないようにしなければならない」

 朝鮮半島の民族が平和と民主主義を生かし、繁栄し、自主的な統一を展望していることに、大変勇気づけられています。