宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

”明治時代から始まった戦前の時代”とはどんな時代だったのか

2018年03月03日 | 日本の近現代史

 安倍首相は、1月22日の施政方針演説で、150年前にはじまった明治時代を3人の名前を挙げ、「国難」を乗り越えた礎をつくったと紹介しました。

 施政演説の冒頭には、山川健次郎東京帝国大学総長が紹介されています。 個別の経歴や実績は記録に委ねたいと思いますが、安倍首相がなぜ、山川を取り上げたのか、その意図は、首相が指摘した「国の力は、人にあり」に込められているように思います。 

 そして、演説の「おわりに」のなかでは、「50年、100年先の未来を見据えた国創りを行う。 国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です。 各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において、議論を深め、前に進めていくことを期待します」 「私たちの子や孫たちのために、今こそ新たな国創りを、共に、進めていこうではりませんか」

 憲法遵守義務を負う最高責任者が、国会の壇上から、改憲を呼びかける異常な事態です。

 現憲法のどこに、どのような不備や不足があるのか、どのような未来をめざすのか、一切具体的に語らないまま、”新たな国創り”のために”新たな憲法”が必要だと宣言したのです。

 しかし、演説全体の特徴から浮かび上がってくるのは、”戦前型の憲法”の姿ではないでしょうか。

 戦前の日本社会の特質について、日本共産党綱領は、次のように記述しています。

 「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた」

 「この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた」

 そして、日本が行った15年に及ぶ侵略戦争と日本共産党のたたかいの意義について、次のように記述しています。

 「日本帝国主義は1931年、中国の東北部への侵略戦争を1937年には中国への全面侵略戦争を開始して、第2次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。 1940年ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、1941年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第2次世界大戦の推進者となった」

 「帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。 党の活動には重大な困難があり、つまづきも起こったが、多くの共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。 このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため命を奪われた」

「他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって、不滅の意義をもった」

 私は、こうした、日本共産党を含む日本国民のたたかいと世界の反ファシズムのたたかいが合流し、現憲法が制定され、今日、その意義と役割は一層大きくなっていると考えています。