宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「日本の3大メガバンクが核兵器企業と取引」 民間の平和団体(PAX)が公開ー神奈川新聞が報道

2014年12月30日 | 核廃絶・平和

「神奈川新聞」30日付1面トップで「日本の金融関連6社」「核兵器企業と取引」と次のように報じました。

 「民間の国際平和団体、PAX(オランダ・ユトレヒト)は29日までに核兵器製造に関連する会社と金融取引をしている銀行や年金基金など411社・団体のリストを公開した。 日本企業は、大手銀行をはじめ6社が含まれている」

 「報告書が核兵器関連企業と見なしたのは開発や製造に携わる28社で、米国のロッキード・マーチン、バブコック&ウィルコックス、欧州のエアバスグループなど」

 「核兵器関連企業に取引の実績がある企業には、日本から三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ、オリックス、三井住友トラスト・ホールディングス、千葉銀行が挙がった。 海外勢では英国のHSBC、米国のゴールドマン・サックスなどグローバルな金融機関が並んだ」

 「PAXは、企業や団体が公開している決算資料や民間の企業データベースなどを使い、独自に調査。2011年以降に核兵器関連の企業に融資した実績があったり、発行済み株式の0・5%以上を保有したりしていることなどを基準に選んだ」

 「三菱UFJ、三井住友、みずほ各FG、三井住友トラストは報告書について、『個別取引については応えられない』としている。 千葉銀は『核兵器関連企業と認識しての融資ではない。 いまは融資していない』という」

 「オリックスは、『当社が90%の株式を保有するオランダの資産運用会社の金融商品に、指摘された会社が入っていると思われる』(広報担当者)と説明」

 「PAXは2013年もリストを作成しており、国内勢では三井住友トラストを除く5社が含まれていた。 報告書では、欧州企業の年金基金など8社・団体が、核兵器産業には資金を出さない投資方針を公表しているとたたえた」

 来年は被爆70周年を迎えます。 5月には、国連で核不拡散条約の再検討会議が開かれます。 被爆国の日本の3大メガバンクがそろって核兵器産業と取引をしていることが明らかになったことに驚きました。

 こうした事態の背景には、歴代の日本政府が、アメリカの核使用を含む、核抑止力政策を支持し続けていることにあるといえるでしょう。

 安倍政権は、憲法を改悪して日本を戦争できる国に変えようと暴走しています。 その先にあるのが核兵器の使用を含む戦争=核戦争も視野にいれているとすれば極めて重大だと思います。


「沖縄・新段階の『島ぐるみ闘争』」 ”沖縄で始まり、沖縄で終わる”

2014年12月24日 | 戦争と平和

 今年1月の沖縄名護市長選挙、沖縄いっせい地方選挙、同知事選挙そして総選挙。 沖縄県民は辺野古への新基地建設を許さない意思を今年だけでも4度にわたり明確に示しました。 しかし、安倍政権はこうした県民の声を無視して、辺野古への新基地建設をすすめようとしています。

 「しんぶん赤旗」12月23日は、連載の4回目でした。 「誇り貫く真の『保守』」の見出しで紹介されたのは、沖縄4区で当選した仲里利信氏(77)です。

 「保守政治家同士の一騎打ちとなった沖縄4区は、保守の激突と『オール沖縄』の流れを象徴する選挙区として全国的な注目の的。 仲里氏は西銘氏を『保守を名乗る資格がない政権の使い走り』と批判、自らを政府に対して言うべきことは言う『沖縄の保守』と位置づけ、5000票以上の差で”師弟対決”を制しました」

 「そんな仲里氏が『オール沖縄』の原点とみるのが、2007年に開かれた教科書検定意見撤回を求める県民大会です。 沖縄戦の『集団自決』の記述から日本軍の強制を削除した政府に、復帰後最大の11万6000人が怒りの声をあげました。 仲里氏は実行委員長を務め、保守・革新を超えた大会の実現に尽力」

 「仲里氏は、時々のテーマは違っても、『オール沖縄」の流れの根底に基地のない平和な沖縄を求める県民の心があると指摘します」

 子どもの時期に、沖縄戦を体験した仲里氏は、「『戦争につながるものは一切ノーだ』。 仲里氏は自民党時代から憲法9条の『絶対死守』も主張してきました」

 「公約を守り、自らの誇りと良心を貫く『沖縄の保守』。 仲里氏は語ります。 『住民福祉の向上という究極の基点に立てば、共産党もわれわれもそんなに違いはない」

 安倍政権が強権をふるって沖縄県民に辺野古への巨大な軍事基地を押し付けることは、沖縄県民のそして本土の国民との新たな大きな連帯を広げ、安倍政権を孤立させるでしょう。

 


「対日戦の終結」スターリン秘史第24章、”関東軍将兵のシベリア抑留の謎”の解明

2014年12月22日 | 綱領関連

 「スターリン秘史」は第24章になりました。 不破さんの連載予告では、「前衛」誌で2年間ぐらいかかるだろうという事でしたが、丸2年となりました。 しかし、連載は終了する気配がありません。 どんな「秘史」が解明がされるのか、期待が高まるばかりです。

 第24章では、「ポツダム会談」中でのアメリカの原爆の完成という大きな情勢の変化なども取り上げられています。 

 この章の最後に取り上げられている、「満州でなにが起こったか」について紹介したいと思います。

 「8月8日、ソ連軍が攻め込んだ満州では、何がおこったでしょうか。 ここでは、三つの異常な大惨害が日本の軍隊と居住の日本人を襲いました。 第一の惨害は、ソ連軍が、各地で起こした略奪・強姦・殺戮の惨劇でした。 ソ連軍は、東ヨーロッパやドイツにおけると同様、社会主義の軍隊であるどころか、人間性を欠いた無法で野蛮な武装部隊ーー少なくともその部隊を有力な部分として含む軍隊であることを、満州でも実証しました」

 「第二の惨害は、関東軍の数十万の将兵がポツダム宣言の条項を無視して、シベリアに抑留され、長期にわたって強制労働で使役されたこと」

 「第三の惨害は、当時、満州にいた百数十万の一般日本人が、満州に遺棄されたこと、です」と不破さんは指摘しています。 その上で、第二、第三の惨害について解明しています。

 第二の惨害の部分を紹介します。

 「関東軍の将兵のシベリア抑留の経過については、事情を知るもののあいだで、以前から大きな謎とされてきた問題がありました」(「前衛」誌1月号220~221頁略)と記述したあと、「この謎を解くカギは、その間の関東軍首脳部とソ連極東軍との交渉にありました」として、全国捕虜抑留者協会の会長を務めた斎藤六郎氏が入手したソ連崩壊後の1993年、「ソ連国防省のアルヒーフから、関東軍がソ連側に提出した諸文書」、「その後、日本側で明らかになった資料」も含めて、敗戦前後に満州を舞台におこなわれた関東軍とソ連極東軍の交渉の経過が再現されています。(同誌222~225頁)

 不破さんは、こうした資料による検証によって、明らかになった事実を踏まえ、次のように指摘しています。

 「シベリア抑留の元凶がソ連でありスターリンであることは言うまでもありませんが、大本営と関東軍が最初からすすんでこれに協力し、シベリア抑留の推進者となったこと、その意味では、シベリア抑留はソ連と日本の戦争指導部が”合作”で引き起こした悲劇であったことも、疑問の余地がない歴史の事実です。 ここにも、日本国民にたいする日本の戦争指導部の、見逃すことのできない犯罪的役割があることを、あらためて強調しなければなりません」

 「三つの異常な大惨害」の影響は、今日も日本人の私たちの記憶に生々しく引き継がれています。 そして、「社会主義・共産主義」への不の元凶の一つともなっています。 その克服のための活動は、総選挙での躍進後さらにい重要性を増してきているように思います。

 

 

 


”全党の苦闘が総選挙の躍進に実った” 神奈川の苦闘は続く、首都圏唯一の県議会空白克服へ総力発揮を

2014年12月19日 | 選挙

 16日付「しんぶん赤旗」に中央委員会常任幹部会声明が掲載されました。 声明の中で、特に、考えさせられたのは、次のところでした。

 「日本共産党を封じ込めようとする勢力は、この間さまざまな反共戦略をすすめてきました。 この10年余の総選挙を振り返ってみても、2003年以来の『二大政党づくり』の動き、それが破たんしたのちの『第三極』論など、偽りの対決の構図に国民をおしこめる策略によって、日本共産党は前進を阻まれてきました。 しかし、これらの攻撃と不屈にたたかうなかで、いま本格的な『自共対決』の時代をきりひらきつつあるのです。 この間の全党の苦闘が、今回の総選挙の躍進に実ったのです」

 「神奈川新聞」17日付、「照明灯」に畑野君枝衆議院議員のことが取り上げられていました。

 「再選を逃した参院議員の畑野君枝さんは重苦しい雰囲気の選挙事務所で取材に応じた。 悔しさをにじませて『再出発を目指す』と決意表明した。2004年7月11日の夜のことである▼子育て支援などへの政策提言を中心に任期中の活動への評価は高かった。そんな畑野さんがこの選挙以降、7連敗を喫するとは予想していなかった。05年参院補選、07年参院選、09年総選挙、10年参院選、12年総選挙、13年参院選・・・。あと一歩で議席にとどかない」

 「浪人中の街頭演説の際に『しんどくはないですか』と思わず尋ねたことがある。『戦っているのは私一人じゃない。家族やみんなが支えてくれますから』▼『再出発』から10年、8度目の戦いとなった今回の総選挙で議員バッジを取り戻した。『まさに七転び八起きでした』との振り返りに実感がこもる。-中略ー▼『やらねばならぬことがあるから国会に戻る』畑野さんが選挙中に繰り返した訴えだ。議員になることは手段であり目的ではない。原点に立ち返れば、落選期間は勉強のための貴重な機会へと転じるだろう」

 18日開かれた日本共産党国会議員団総会での志位和夫委員長のあいさつが、19日付「しんぶん赤旗」に掲載されました。(全文は中央委員会ホームページでお読みください)

 志位委員長は、国民に対する責任の重さを強調した後、三つの力点を指摘しました。

 第一に、論戦力ー安倍政権の急所をつく大論陣を張ろう

 第二に、提案力ー建設的、説得的な提案で政治を動かそう

 第三に、国民共同を発展させる力ー国民との共同で安倍政権を包囲しよう

 最後に、志位委員長は、「国民にたいする責任ということを強調しました。 論戦力、提案力、国民との共同を広める力という三つの力を大いに発展させようということを話ましたが、私は、衆参の32人の躍進した議員団は、そういう国民にたいする責任を立派に果たせる、資質と能力をもったベストチームだと確信しております」と訴えました。

 いよいよ、いっせい地方選挙が本番を迎えます。 首都圏で唯一県議会が空白という事態を克服し、県民の声が県議会にしっかりと届けられ、県民運動と共同した力で県民要求を大きく前進させたいと決意しています。


「スターリン秘史ー23章」「亡命幹部たちの”知的衰弱”」とは

2014年12月17日 | 綱領関連

 第23章は、「コミンテルン解散の虚実」には、「フランスの抵抗闘争」「ギリシアの解放を襲った悲劇」「軌道をはずれたアメリカ共産党」など新しい歴史に出会うことが出来たように思います。

 この章の中で、特に注目させられたのは、「ドイツ問題ー亡命幹部たちの”知的衰弱”」の項です。 この項は不破さん独自の分析的評価です。 以下、紹介します。

 「スターリンがトリアッチやトレーズにあたえた路線転換は、それぞれ成功をおさめて、イタリアでも、フランスでも、共産党が戦後政治で有力な地位を得ることに貢献しました。 スターリンが求めた路線転換に共通していいるのは、反ファシズム闘争の成果を強引に社会変革に結びつけることに固執せず、資本主義的政治体制のもとで共産党がしかるべき政治的地位を獲得するという限定的な目標を、わりきって追求した点にありました」

 「イタリア問題で、トリアッチに、国王の即時退位要求の撤回、バドリオ政権への参加を指示したのも、フランス問題で、トレーズに、ドゴール政権の成立という新事態に適応してレジスタンス部隊の解散要求に応じるよう指示したのも、そこから引き出された指示であって、それがそれぞれの国の政治の現実的要請にあっていたことは、その後の経過が証明したところでした」

 「問題は、この路線転換が、どちらの場合にも、すべてスターリンの直接の指示で、いわば”一夜漬け”でおこなわれたことです。 スターリンが指示するまでは、トリアッチもトレーズも、その相談にあずかっていたディミトロフも、その国の現地の党組織と緊密な連絡をとりながら、まったく反対の、現実性を欠いた政策を立案していたのです」

 「ディミトロフはもちろん、トリアッチもトレーズも、1935年のコミンテルン第7回大会の時期には、人民戦線政策の確立とその実践で、それぞれなりに指導的役割を果たした幹部たちでした。 その人々が、なぜ情勢の要求にこたえる政策的立場を生み出す力をここまで失ってしまったのか? 私は、そこに、モスクワでの長い亡命生活、とくに『大テロル』以後の、方針の最終的決定者はスターリンだけという専決体制下での生活と活動の中で、これらの幹部たちの”知的水準の衰弱”が現れていること、そして、そのことが、スターリン専決の体制の一つの基盤ともなってきたことを、強く感じるものです」

 不破さんは、「亡命幹部たちの”衰弱”ぶりを示す典型的な実例として、『ディミトロフ日記』から一つのエピソードを紹介しておきたいと思います」として、「ディミトロフの日記」の「1945年6月7日」、同「6月8日」分を紹介しています。(前衛12月号218~219頁)

 この項で、不破さんは、「これは、すべての政治的判断をスターリンに任せきってきた旧コミンテルン幹部たちが、どんな政治的、知的実態におちいっていたかを、もっともあからさまな形で示したものではないでしょうか」と指摘しています。 

 今日の日本の激動的情勢の発展のなかの党の対応についても、教訓となるような指摘ではないか、と感じています。


総選挙、審判下る。共産党21議席 比例606万票、11・37%獲得 はたの君枝さん比例選出10年ぶり国会へ

2014年12月16日 | 選挙

 はたの君枝さん、10年ぶりに国会へ。 何度一緒に選挙たたかったことでしょう。 感慨ひとしおです。 この10年間、神奈川県出身の日本共産党の国会議員が一人もいない長い時間が過ぎてきました。

 米軍基地への抗議要請に何度行っても門前払い。 外務、防衛省への要請にも責任ある対応はありませんでした。 衆議院3分の2を占める巨大与党に立ち向かう確かな足場が国民との共同のたたかいによって築くことができた、という思いを強く感じています。 

 今度の選挙で何年かぶりに不破哲三さんが街頭演説に立ちました。 10日京都で、11日に沖縄で。 投票日の朝、ようやく不破さんの動画を視聴しました。 年明けには85歳になる不破さんの声に張りがあり、闘志がみなぎっていました。 革命家不破哲三を再発見しました。

 沖縄1区では、赤嶺政賢氏が見事当選しました。 沖縄の選挙は新しい日本をつくる上でもはじめての経験であり、大きな教訓をつくりました。

 安倍暗黒・暴走政治が日本列島を覆っていますが、今度の総選挙はこの暗雲を吹き払い、希望と勇気の光が、沖縄から、北海道から、首都圏から、近畿圏から、全国各地から差し込み始めたよう感じています。

 選挙中、ブログを書く時間が取れず申し訳ありませんでした。 今日から再開します。