今月11日で大震災から9か月となり、その翌日には今年の漢字が発表されました。今年の漢字は「絆」だそうで、選考理由をみると、災害や女子ワールドカップなどで絆の大切さを改めて感じた一年であるからだそうです。
しかし私は、この字が今年を代表する漢字として選ばれることにとても違和感を覚えます。とくに、選考理由にある「国内外で発生した自然災害などにより、家族や友といった身近でかけがえのない人物に対する絆を改めて感じたり」とは、いったいどういうつもりで言っているのだろうと思います。災害により身近でかけがえのない人物を失った人たちに対して「絆を改めて感じましたよね」などと、面と向かって言えるのでしょうか。
今年は、震災をはじめ、それに伴う放射能問題や紀伊半島の集中豪雨など、第一に災害にさいなまれた一年でした。とくに、三陸沿岸や紀伊半島では、今もなお普通の生活とは程遠い暮らしを送っている被災者が大勢います。来年の見通しすら立たないこうした人たちにとっては、当然ながら今年は「災」であり「震」であり「難」であり「苦」であり「辛」であり、とにかく耐えることばかりの年であったと思います。もちろん、日本全国世界各国からの支援や家族・友人とのつながりを通して、いろいろなことに感謝したり絆を感じたりすることもあったでしょう。しかし、今年一年を振り返って一字で表せといわれれば、被災地には残念ながらネガティブなものしか出てこないと思います。実際、清水寺の和尚が「絆」の理由を滔々と語るのに対して、被災地でのテレビインタビューでは災害関連の字ばかりが聞かれました。
結局、このようなときにあって「震災とか豪雨とか大変だったけど、「絆」も感じたよね」などといえるのは、災害からは遠く離れて比較的安全なところにいる人間の発想なのだと思います。とくに、今年の漢字を選考する日本漢字能力検定協会本部や字を揮毫する清水寺のある京都は、陸前高田の松の事件の起こった大文字焼きが行われる場所です。あの一件で、被災地の人たちの心は大きく傷つけられたというのに、それを尻目に「絆」とは、私にはとても大きな驚きです。
このように書くとまた京都の方から大バッシングが来そうですが、あのときと状況が異なるのは、その後京都と同じ近畿圏である紀伊半島でも未曾有の災害が起こっているという点です。西でも東でも、自然災害(原発事故は自然災害とはいいにくいですが)により多大な被害が生じ、今なお復興以前の厳しい状況にあるのに、ちょっと離れて直接の関係のないところでは「絆」の一年と謳ってはばからない。私としては、それ自体が絆を損なう言動のように思います。
もちろん私も、絆を感じなかった年というわけではありません。陰に陽に東北を支援して下さった方々には大きな感謝の念を抱いていますし、人と人とのつながりも改めて実感しました。しかし、だからといってそれを、今年を代表する字に選ぶべきかどうかというのは別の話だと思います。今年の漢字というのは一応全国からの公募で決まるそうですが、「絆」と送る前に、被災地で苦しんでいる人たちのことを思い浮かべることはできなかったのでしょうか。
さきほど、公募に対して「一応」と付けたのは、「震」や「災」の字はすでに使われているから省かれたのだという見方もあるのだそうです。今年の漢字は1995年に始まりましたが、第一回の字は阪神・淡路大震災を受けて「震」だったそうです。規模だけからみても、それなら今年の方がよほど「震」の字があてはまりますし、地震以外の災害も含めれば「災」の字がふさわしいように思います。実際には「震」や「災」の方が多かったのに、一度使ったからという理由ではじかれて、わざわざ「絆」の字を使ったというのであれば(勝手な邪推ですが)…日本漢字検定協会に対して憤らざるを得ません。
今年の漢字。今年は自然災害に限らず、政治に対する不信の増大、その裏返しである橋下旋風、世界的経済危機、食材不信や米中との摩擦など、やはりマイナスの衝撃の多かった年だと思います。絆を強く感じたのは事実ですが、やはりそれを今年の漢字に選ぶことには違和感をぬぐえません。私は公募とやらに応募したことがないのでこれ以上は強くいえませんが、皆様はどのようにお考えでしょうか。