塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

名古屋城本丸御殿復興計画に対する問題提起

2010年08月11日 | 歴史

 今週もさまざまな重大ニュースが続いていますが、今年の10大ニュースの1つともいえる出来事が先日起こりました。小生、ケータイを新しく買い換えました。普通なら「そんなん大した話でもないじゃん」というところでしょうが、私のことをよく知っている人なら、これがいかに大事件かお分かりでしょう。小生、ケータイを買い換えるのは10年弱ぶりなのです。最後に写真を載せておきますが、今まで愛用してきた端末は白黒画面で通話とメール以外何もできません。当然カメラも付いていません。おかげで今は新しい機能を覚えるのに四苦八苦しております。

 さて、みなさんは名古屋城の本丸御殿の復元計画をご存知でしょうか。名古屋城の天守と本丸御殿は太平洋戦争の戦災で焼失しましたが、金鯱を戴く天守閣は昭和34年に鉄筋コンクリート造で再建されました。対して、本丸御殿の復元計画は、近年の城の復元ブームに乗り、できるだけ当時の工法や建材に近い形で進められています。最近、この本丸御殿復元計画について、2つの動きがありました。


名古屋城天守と本丸御殿跡(手前)


 1つは、当時の伝統工法にこだわる学者と耐震上の規格に合わせるために工法を変更した名古屋市との間で軋轢が生じているというものです。古式に忠実な工法と現実の規格とのはざまという同様の話は、名古屋に限らず、また城に限らず、各地で見られます。私の故郷の仙台でもまったく同じ問題がありました。仙台城の櫓の復元計画に際して、何が何でも伝統守れの学者と、復元城郭を観光の目玉としたい行政や経済界で意見が対立し、結局計画そのものがおじゃんになってしまいました。

 失われた歴史的建造物は、どんなに忠実に再現しようとしたところで100%の復元は不可能です。建材だって当時と同じものを揃えることはできませんし、工法だって本当に当時同じ技法が使われていたかどうか確証はありません。もしかしたら、床の間の裏に誰も知らない秘密の抜け道があったかもしれません。とくに城の場合は、たいていの建物は明治維新までに、長く残っていても太平洋戦争までには失われています。これらを復元しようとした場合、手掛かりとなるものとして重視されるのが古写真と設計図です。これに大工が完成イメージとして組み立てる木型があれば最良とされ、これら3つを城郭復元の三種の神器と呼ぶこともあります。木型は残っている例がきわめて少なく、実際には古写真と設計図が重要となります。逆にいうと、高価でそんなにパシャパシャ撮れるものではなかった写真数枚と、内部構造しか分からない設計図が手掛かりというわけですから、完璧な復元は根本的に無理なのです。

 そこで、結局どこまでが「忠実な復元」でどこからがそうではないのか、という境界の問題に収束します。この問題に答えを出すには、まず一体復元とは何なのかについて考える必要があります。繰り返す通り、復元建造物に100%往時と同じものというのは存在しません。とすれば、厳密に捉えればいかなる復元建造物も疑似的なもの、あるいは模擬建造物、もっといってしまえばレプリカということになります。みなさんは、実際には見られないもののレプリカ、たとえばマンモスの実物大想像模型などを見て何を思うでしょうか。間違っても「これが本物かぁ」などという錯覚は起こさないでしょう。おそらく「大昔にはこんな生物がいたんだなぁ」と自分が知りえるはずのない遠い過去を想像することでしょう。つまり、レプリカとは実物を想像するよすがなのです。それは復元城郭もおなじことで、あくまで当時の城のようすをうかがい知るための手掛かりなのだといえます。

 とすれば、復元計画において重要なのは、「どの程度当時に忠実か」ではなく「どの程度忠実に復元しようと努力したか」という点にあるのだろうと思います。資料がたくさんあれば、それだけ実物に近づけることができるでしょうし、使える資料があまり多くなければ、想像で補わなければならない部分がいくつか出てしまうでしょう。だからといって、きちんとした議論や考証を経ていれば、後者が前者に価値で劣るということは決してないと私は思います。

 平成の築城ブームということで、各地で城の復元計画が持ち上がっています。中には、写真はあれども設計図がないという理由で文化庁などの許可が得られないといった事例もあると聞きます。しかし、じゃあ何と何と何があればOKなのかといった条件がきちんとあるのかといえば、許可と不許可の差は曖昧といわざるを得ません。さらに、規模の大きい歴史的建造物である近世城郭の復元には、文化的目的だけでなく、観光や経済上の目的もあります。こうした様々な目的の兼ね合いの中で、本来歴史的建造物の復元計画は進められるべきであると思います。

 この話は例を挙げだしたらキリがないのでこの辺で止めますが、名古屋市には自己満足に走る学者に足を引っ張られすぎることなく計画を進めてもらいたいものです。

 と、ここまできて2つ目の動きについて話が移ります。名古屋城本丸御殿復元に際して、流通大手イオンは「名古屋城WAON」なる電子マネーカードを発行し、使用額の0.5%を復元費用として寄付すると発表しました。当然市長のお墨付きということですが、私は人様の財布をあてにする名古屋のやりかたに大きな疑問を感じています。

 この疑問は、昨年ちょうど私が名古屋城を訪れた際に湧きおこりました。名古屋城は、入城料を払わないと天守や本丸どころか二の丸にすら入れません。そして、中に入ると入城料とは別口で御殿復元のための寄付を求めるボックスが堂々と設置してあります。私はこれまで数々の城を訪ね歩いてきましたが、復元のための費用を観光客から巻き上げようとする城には初めて出くわしました。城というのは、たいていその土地のシンボルとなるものです。平成の築城ブームの特徴の1つは、大都市だけでなく地方の小都市や町村などにも波及していることです。こうした小さな自治体は、苦しい行政の財布の中から、なんとか「おらが町のシンボル」を再建しようと懸命に努力しています。他方で、名古屋のような大都市が、自分のふところを痛めず、よそからやってきた観光客の財布にたかって費用をせしめようとするとは、城郭ファンの私としては噴飯ものです。これが噂に聞く「もってゃ~にゃ~」の「名古屋精神」というものなのでしょうか。

 そこに今回のWAONの話です。買い物をするたび強制的に寄付をさせられるとは、随分なやり方だと私は思います。買い物客のなかには非名古屋市民もいるでしょうし、また名古屋市民であればすでに市民税という形で費用を負担しています。そもそも名古屋城よりも寄付を必要とする文化財は他にいくらでもあると思うのですが、もしイオンが本丸御殿復元計画を支援したいというのであれば、こんな回りくどいやり方などせずに最初から寄付金を経費に計上すれば良い話です。

 他方で、この問題を考えていてとっさに思いついたのですが、名古屋の河村たかし市長は市議会議員の給料を半分にするとか何とかいって議会との対立を招いています。そりゃあ、とりあえず半額などといきなり言われたって反発を食らうのは当たり前です。そこで、給料を半分に減らすのではなくて、給料の半分を復元費用として寄付するという条例を提案してみてはいかがでしょうか。これなら、紛糾の種となっている市議会議員の高額給与の問題も解決し、「とりあえずバッサリ」という市長の主張に比べて市議会側も呑める余地が生まれると思われます。人様の財布をあてにするほど復元費用の捻出が困難ということであれば、まさに一石二鳥の手法ではないかと思うのです。

 以上、名古屋城本丸御殿復元計画に関して最近2つほど話題が出てきたので取り上げてみました。この2つの問題が解決されないのであれば、私は復元なんかしなくたっていいと思っています。それに、個人的には本丸御殿以前に、コンクリートにエレベーター付きの天守閣を何とかしろやという気持ちもあります。このように名古屋城は、復元とは何ぞや、観光資源とは何ぞや、という2つの問題について考えさせてくれる良い材料となっているように感じます。

 
おまけ:10年近く愛用してきたPHS





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5 コメント

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Unknown (穴太衆)
2010-09-10 22:35:52
名古屋城は市長が昨年の今頃、「木造で天守を再建するだぎゃー」なんて言ってましたね(笑)。

仙台の話が流れたのはそういう経緯があったのですね。金沢城も色々と復元されつつあり木造ですが中にバリアフリー目的のエレベーターがあるらしいですね。

>じゃあ何と何と何があればOKなのかといった条件がきちんとあるのかといえば、許可と不許可の差は曖昧といわざるを得ません

確か高松城も色々と史料・古写真が揃っているのに許可が出ないらしいですね。かと言えば、城郭ではありませんが奈良・平城京の大極殿は特別史跡で世界遺産区域で、古写真は勿論、設計図なんて残っていなのに、当時から現存する寺社やわずかに残る瓦などから”推定・想像”して再建しちゃってます。おまけに基礎部分は耐震構造だそうですよ。
ほんと、どこに基準があるんだかさっぱり?!
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Unknown (穴太衆)
2010-09-14 22:13:44
平城京大極殿は免震でした。
http://www.nabunken.go.jp/site/daigoku.html
羅城門というのは朱雀門でしょうか?あれも実は2層でなく1層であったという説もあります。見た人も絵図もないからそれっぽい物を作ってしまった勝ちですが・・。

お城好きなので、それが鉄骨であろうと模擬であろうと、城っぽいのがあれば何だかワクワクして、町中で城郭風建築あると目がいく反面、オリジナルにこだわる自分もいる、という幅があります。
少し前にこんな記事がありました。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20100415/zsp1004151206001-n1.htm

原型の復元・修復が一番ですが、こだわる余り天災などで倒壊してしまったら元も子もありませんから、防災という点では仕方ないと思います。姫路城であっても地下の基礎はコンクリート、スプリンクラー設置、階段も増設されていますからね。金沢城もエレベーターはちょっ残念に思うのですが、足腰の不自由な方が現存の城郭などで中まで見られないという意見も見た事があるので、観光・技術の展示を多くの人に、という意味では英断なのかも知れません。

大極殿のように現存史料から目一杯頑張って推定して当時を想像(妄想)出来る物を平成の人々が作って、先々残っていけばそれはそれで良いと思うのです。
が、より確実な史料がある高松城を否とし、推測てんこ盛りの大極殿を可とするのか、基準と説明がはっきりしないとスッキリしません。

仙台城の件については、学者さん達が位置にこだわるなら、その時代になかった一番手前の石垣も撤去しないといけなくなると思うのですが。他の城も、当時から色々と増改築・改変していきているので、破壊とかあからさまな改変でなければ平成の再建だと思えば許容範囲だと考えます。
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Unknown (うじょう)
2010-09-15 01:52:13
>穴太衆さん
 そうです、朱雀門でした。羅城門は平安京ですね(汗)。2層で復元したものの、後になって単層説が有力になってきちゃって「どうすりゃいいんだ」とう話ですよね。

 もちろん正確であることに越したことはありませんが、こうした復興建造物は趣味で建てているわけではなくて、経済上の目的がやはり上位にあります。学者やコアなファンが経済上の損益を承知の上で「それでも造り直せ」とか「俺が納得するクオリティじゃなきゃダメだ」というのであれば、僕は「じゃあまずあなたが金を出しなさい」ということになるんだと思います。

>足腰の不自由な方が現存の城郭などで中まで見られないという意見も見た事がある

 このバリアフリーについては、僕は少々行きすぎを懸念していたりします。そもそも城というのは敵を防いで中に入れないための施設であり、天守の急な階段はその端的な例です。それを、どんな障害がある人でも見学できるようにしなければならないというのは、ちょっと我儘の過ぎた無理難題のような気がします。その理屈でいえば、将来的には祖谷渓のかずら橋や鎌倉大仏の胎内もバリアフリーにしなければならないはずです。ここまで極端な例を出せば分かるように、観光施設が訪れる人を選ぶ場合が生じることは仕方のないことです。もし自分が下半身不随になったとしても、エレベーターを設置してもらってまで城の建物に入りたいとは思わないでしょうね。

 仙台城については、まったくおっしゃる通りです。結局、現在の3期石垣の上に櫓を建てても、「本当はもっと内側にあった櫓ですが、景観上の観点からこの位置に復元しました」と一言書き添えれば済む話なのです。

 所詮復元は復元に過ぎず、本物を再現することはできないのだと、もうすこし割り切って考える姿勢が必要ではないかと思います。
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Unknown (穴太衆)
2010-09-22 00:45:17
世が世なら「学者風情がー!」って叩き斬られますね。ほんと、そんなに当時とか歴史にこだわるのなら、城内に入れるのは政治家(国・地方)や公務員、つまり当時の役人に当たる人間だけの許可制にしてしまっても良いんでしょうね。勿論、丁髷、和服で。

皮肉はさておき、別の方の意見を読んだ事があるのですが、江戸城、名古屋城などの天守の再建というのは資金もさることながら「資材(木材)」の確保が大変なんですよね。
京都のお寺(西本願寺の御影堂か、別の寺の本堂か?)の解体修理でも梁になる木材がなかなか見つからなかったというドキュメントを見た事があります。
日本は山が多くて一見、簡単に見つかりそうですが、巨大建築物のための資材となると良・質、共に易々とは見つからないと思います。それに加えて山林を管理する人の高齢化や後継者不足で山が荒れているそうですから尚更。

伊勢神宮の式年遷宮では数百年後の事も考えて山や木の管理をしているそうですから、資料もあるし、資金もあるから、さあ再建、なんて簡単では無さそうです。
再建したはいいけど、いつかまた中規模、大規模修理の日は来るのですから、建物の再建だけじゃなく、山林そのものの再建、人材の育成、建てるだけでなく残していくための技術の伝承・・・・・50年、100年、200年と見据えて考えていかなければなりませんね。
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Unknown (うじょう)
2010-09-22 21:41:22
>穴太衆さん
 姫路城の昭和の大改修のとき、それまでの大天守の大黒柱は一本材でしたが、それだけの長さと太さをもった木材が見つからず、太さの合う木を2本組んだのだそうです。平成の大改修が始まりましたが、おそらく今回も一本材は無理だと思われます。歴史的建造物に限らず、日本の林業をどう立ち行かせていくかというのは、もう待ったなしの問題でしょうね。
 写真や設計図が完璧に残っていても、材料が調達できないことも十分考えられる事態ですね。昔プロジェクトXで、首里城を再建するのに、赤い瓦の作り方がどうにも分からず四苦八苦したという例を見た記憶があります。
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