塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

報道の正義?:日テレ取材班遭難事故と江川紹子さんのサンデーモーニング降板

2010年08月05日 | 社会考
  
 言うまでもなく猛暑が続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は最近飲むアイス「クーリッシュ」にハマってます。ただ、普通は吸うと同時にアイスのシャリシャリした舌触りを楽しむのでしょうが、僕の場合少し異なります。日当たりの良いところにしばらく放置して完全に溶かし、アイスクリームじゃなくてただのクリームになったところを飲みます。最近これが美味くてたまりません。。

 さて、今週に入り報道側関連の気になるニュースが2つありました。1つは日テレ取材班の遭難事故、もう1つはジャーナリスト江川紹子さんのTBSサンデーモーニング降板です。

 日テレ取材班遭難事故は、すでに警察が入山の自粛を求めていた山になぜ軽装で入ったのか、という点を中心に多くの議論を呼んでいます。僕に言わせれば、軽装ももちろん気になりますが、なぜ自粛要請が出ているような険しい山中にたった2人で入ったのかという点からして不思議でなりません。亡くなった方を責めるのも詮方ないことですが、たった2人軽装で深山に分け入るなど、考えなしといわれても仕方のないように思います。

 このニュースを聞いてふと思い起こしたのが、何週間か前だったか、ほとんど普段着の男性が思いつきで富士山に登り、動けなくなって救助されたという話です。こちらは本当の考えなしでしたが、このときマスコミはこぞって男性の無謀をあげつらい、軽装での登山の危険さを説いていたように覚えています。さらに遡れば、北海道大雪山でツアーの登山客が多数低体温症にかかり死亡した事故がありました。このときも、ガイドの判断や登山客の装備が問題視され、盛んに報道されました。

 これだけ遭難事故が発生する度に登山時の装備や判断に注意を促しておきながら、今回の日テレ取材班遭難事故は報道の側が先例の教訓を無視した末に起きてしまった事故のように思われます。なぜテレビ局はたった2人で現場に行くことを認めたのか、なぜ即興でも揃えられるような最低限の登山の装備すら整えなかったのか、なぜガイドの判断に従わなかったのか。こうして見ると、富士山で遭難した先の男性とほとんど判断の甘さでは遜色ないようにすら思えます。

 率先して範を示すべき報道側の人間が、こうして短絡的な行動の末に命まで落としてしまった。この背景には、おそらくは「なんとしても現場を押さえなければ」という使命のようなものがあったのでしょう。こういうものを何というのか知りませんが、とりあえず「報道の正義」とでも呼んでおきましょう。報道の正義のためならば、たとえ警察の勧告を振り切っても、命を危険にさらしてでも駆けつける。それは一方では純粋で高邁な精神なのかもしれません。ただ、一歩間違えれば他人を無視した身勝手となりかねない危険な思想であると僕は思います。

 たとえばこの正義感が殺人事件などの取材に向けばどうなるか。執拗に加害者や被害者の周辺の取材に奔走し、他者をどんなに傷つけようとも報道の正義、知る権利の名のもとに正当化する。事件関係者のプライバシー侵害や、周辺住民の生活妨害として問題視されるこうした報道のエスカレートした行動も、実は今回の遭難事故と根は同じ、報道の正義の裏表であると思うのです。

 今回遭難死されたお2人については、ご冥福をお祈り申し上げますが、テレビ局など報道各位にはこれを奇貨として報道のあり方を今一度考えなおしてもらいたいものです。

 さて、もう1つの江川紹子さんのサンデーモーニング降板についてですが、こちらも報道の姿勢という観点からかなり問題であると思います。事の仔細はいまだ明らかではありませんが、江川さんがスポーツのコーナーで野球解説者の張本勲氏と意見衝突し、張本氏が江川さんの降板を要求したため、TBSがこれに応じたということのようです。

 これが本当とすれば、一番の問題は出演者が意見衝突したからといって、番組がどちらか一方の肩をもつということが許されるのかという点です。これはすなわち、張本氏の意見に常にYESと言う人でなければ出演させませんと番組側が表明したに等しいことになります。そんな不公平が堂々と罷り通るものなのでしょうか。野球の話ですから、意見がどちらに転ぼうがさほど影響はないのでしょうが、これが政治や社会に関する話だとしたら、番組が特定の意見に肩入れしているとして大いに問題視されたことでしょう。

 いま1つ問題に思うのは、スポーツコーナーの意見衝突ごときで人を降板させるという番組の態度です。ことに、ジャーナリストである江川さんに視聴者が期待しているのは、野球ではなく社会や政治に関するコメントであろうと思われます。そんな江川さんが、ちょっと野球について的外れなコメントをしたり、一般と異なる意見を口にしたからといって、それでやれ降板させろと訴えるような視聴者などまずいないでしょう。明らかに番組側の反応は過敏過剰であり、特定の個人に肩入れしすぎた不公平なものと言わざるを得ないでしょう。

 先の「報道の正義」とまで膨らませて良いか分かりませんが、少なくとも「報道の中立」からは大きく外れていると思います。

 以上、このところの報道側の気になる話題を2つ挙げて、つらつらと述べさせていただきました。両方とも、全容はまだ明らかではなく進行形の話題ですので、今後の動向に引き続き注目したいと思います。

  



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