橋下徹大阪市長と週刊朝日および朝日新聞とのバトルが話題になっていますね。普段は反橋下市長の記事を書いている私ですが、今回の件については朝日側が無思慮すぎたように思います。本人を批判しようと思えばいくらでもできるはずなのに、わざわざ「血」を責める必要がどこにあるのか理解に苦しみます。同様の攻撃は市長選のときにもあったように記憶していますが、本人でなく血縁を攻めるというのは、卑劣極まりないうえに批判能力の無さを自ら露呈するものであると考えています。
他方で、橋下氏の対応にも問題があったように思います。橋下市長は、朝日側の横柄な謝罪方法に対して「鬼畜集団」という言葉を使って批判しました。たしかに朝日側の謝罪はいつもどおり謝る気があるとは思えないものですが、だからといってそれを指弾するのに「鬼畜集団」という表現はどうやっても当てはまらないように思います。おそらくは、噴飯収まらぬなかで勢い余った口から飛び出た言葉なのでしょう。ですが、相応しい表現であるかまったく顧慮しないまま思いつくまま強い言葉を吐き連ねるというのは、公職の一トップにいる方としていかがなものかと思います。
さて、導入が長くなりましたが、無思慮な発言という点で先週から怒りを覚えていることがもう1つあります。それは、原発事故を題材としたという園子温監督の映画『希望の国』についてです。
園監督は、全国公開に先だって『希望の国』を気仙沼で無料上映した。この無料上映自体は今月初旬に行われたそうで、私も映画の存在は知っていたものの無料上映について知ったのは先週のことだった。上映後に監督が1人で登壇して観客からの質問に応え、普通は監督1人で質疑応答というようなことは滅多にないということで、私が見た報道では園監督の「本気」を褒めそやしていた。
しかし、私はその報道での園監督のある発言がどうしても引っかかっている。それは原発問題を「風化」させないために映画の撮影および気仙沼での上映を思い立った、というものだ。「風化」という言葉は、すでに過去のものとなった事象がだんだんと忘れ去られていくようすを指して使われる。
だが、当然ながら福島第一原発の事故は過去のものどころか現在進行形であり、今後数十年にわたって我々を悩ませ続ける問題であることが明らかとなっている。まして、津波の被災地である気仙沼にとっては原発も含めあらゆる震災の問題が進行形で未解決の懸案だ。そのような人たちを集めて「風化させないため」とは、どのような神経をもっていたら言えるのだろうと思う。
よしんば、非被災地の人たちの間で原発問題が徐々に話題に上らなくなっているようすを指して発言したものだとしよう。であるならば、「風化させないため」には風化が起こっている場所、かつ問題喚起の高い効果が望める場所でこそ無料上映されるべきであり、それは決して被災地気仙沼ではなく、東京や大阪などの大都市圏であると思われる。
結局、ここから透けてみえるのは、園監督にとって原発問題は他人事でしかないということだろう。震災直後によくみられた「災害を踏み台にする人」を、久方ぶり目にしたような気がする。このように、原発問題ですら「材料」としてしかみていないような人物がもてはやされている限り、この国で原発のあり方について本質な議論が進展する見込みは少ないように思われてならない。
ここで1つだけ付け加えておきたいのだが、聞くところでは気仙沼の上映会では『希望の国』に対する反応は賛否半々くらいだったそうだ。社会問題を扱った問題提起作品として、賛否が半々というのはベストであり、作品として大成功といえるかもしれない。
しかし、忘れてもらってはならないのは場所が東京や大阪などではなく、三陸だということだ。震災直後に記事にしたことがあるが、三陸の人々の優しさ・寛容さ・忍耐強さは日本有数だ。あれほどの災害に見舞われて暴動ひとつ起きなかったのは日本人の国民性の素晴らしさだとメディアでは盛んに報じていたが、実際には国民性ではなく三陸の「県民性」の賜物である。三陸の人々には、他人を困らせまいとする過剰なほどの気遣いや、たいがいひとまず受け入れてしまうような寛容性があるのだ。
したがって、気仙沼で賛否が半々だからといって、額面通り受け取って小躍りしてもらっては困る。三陸で50%ということは、もし被災地が三陸以外であったならば、批判の割合が8~9割くらいに跳ね上がる可能性があるということだ。園監督は被災地でもロケを行ったということだが、そのような三陸人の寛容性や気遣い気質を感じ取ることはできなかったのだろうか。
最後に蛇足だが、故若松監督だったらどうするだろうかと考える。私は園監督も若松監督も実はよくは知らないのだが、見聞きする限りでは若松監督は社会に対する怒りを原動力としていた方だそうだ。そのような方が社会への問題喚起の作品をわざわざ被災地で上映して、「風化させないように」などと配慮に欠ける発言をするだろうか。若松監督の遺作『千年の愉楽』が公開されたら、中上健次作品が好きということもあるので、じっくり鑑賞しながらいろいろと考えてみたいと思う。