塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

震災がれきの焼却に関する雑感

2012年05月27日 | 社会考

 福岡県北九州市に搬入された東日本大震災のいわゆる「震災がれき」が、先週25日までに試験焼却を終え、現在のところ周辺の空気中放射線濃度に変化はないとこいうことだ。市町村レヴェルでの受け入れは、静岡県島田市を皮切りにいくつかの自治体で始まっているが、北九州のように今回の原発事故からは遠く無縁のところでも受け入れが実現したことには、東北出身者としてとてもありがたいと感じると同時に驚きでもあった。

 北九州市といえば、古くから八幡製鉄所を中心に工業とともに発展した港湾都市として知られる。反面、他の工業地帯と同様長らく公害に悩まされてきたようで、公害との戦いの歴史が今回のがれき受け入れにつながる土壌となったのかなと感じた。

 もちろん、反対派の激しい抵抗はあったようだ。反対派がトラックによる搬入を実力で阻止しようと取り囲んだというニュースを聞いたときには、やはり難しいのかなと不安になった。しかし、搬入やその後の試験焼却は予定通り行われ、現在のところ騒ぎが拡大したという話は耳にしていない。結局のところ、明確な反対派というのは限定的で、多くの方は懐の大きい方か、あるいは消極的反対・諦観・無関心にとどまっているのだろう。

 いったい、こうした反対派の人たちは何を根拠に反対するのか、あるいは反対運動そのものが目的と化しているのか、私にはよく分からない。別の市での搬入反対運動では、「宮古はがれきを持ち帰れ」などと書かれた紙を掲げていたという。ここまで来ると、運動の是非以前に社会適合性を大きく欠いているように思われる。

 他方で、未成年の子をもつ親やこれから子をつくる予定のある若い人たちが放射線量を気にするのは、ごく自然であろう。実際には、放射線量と病気の発症の関連性についてはほとんど分かっていない。また、この先比較的放射線量の高い地域で癌などの病気にかかったとしても、それが本当に放射能が主要因であるのかどうかは判別不能である。だが、たとえば先に挙げた島田市や北九州市周辺、あるいは関東~岩手までの太平洋側地域で子供が難病や奇病にかかったとすれば、親はどうしても放射能との関連を考えざるを得ないだろう。国や自治体としては、放射線量の事細かな計測および公表と、医療体制の充実によってできるだけ不安を抑えるよう努力するより対処はあるまい。

 搬出する側も、ただこうべを垂れてお願いしますだけではいけない。島田市では、焼却がれきのなかに本来入っているはずのないコンクリート片が混じっていたということで、一時焼却が中止される事態となった。個人的には、津波でひっちゃかめっちゃかにされたがれきなのだから、多少の異物が取り除ききれないままになることはある程度しかたないことのようにも思えるのだが、難しい決断をして受け入れて下さった方々の疑念を招くようなことは極力避けなければならない。

 今回のがれき焼却を好例として私が感じたのは、放射能に対して条件反射的な拒絶を示す人がまだまだ多いという点だ。以前にも書いたが、たとえばがれき焼却によって空気中の放射線量が増えたり、規定値を多少超えた海産物を摂取したとしても、アルコールや薬害、ましてタバコによる害の方がはるかに高いはずだ。タバコをプカプカふかしている人が「放射能怖いね~」などと言っているのは、私にいわせれば言語道断だ。

 結局、放射能というのは「見えないオバケ」なのだろうと思う。スモッグのように目に見えたり、アルコールのように摂取するしないを自分で決められれば、ここまでの拒絶反応には至らないだろう。逆にいえば、どんなに大槻教授が頑張っても墓場を恐がる人をこの世からなくせないのと同じように、放射能オバケを頭の中で咀嚼して考えられない人というのも、残念ながら無くならないということなのだろう。

 ただ、さらに逆をいえば、オバケが怖いという人を一笑に付すこともできない。先の内容を踏襲すれば、子を持つ親ならなおさら子をオバケの出ると噂されるところへは行かせたくないだろう。要は、毎度ながら、選択肢があることが重要なのだろうと思う。この町はオバケが出るかもしれませんが、それでも町に留まっていただけるならこれこれの特典があります。お嫌なら、どうぞ他の町へお移り下さい、という選択肢が。

 私の場合は、オバケに怯えて心を失うなど真っ平御免と考える。向こうで困っている人がいるのに、道中オバケが出そうだからと足踏みするのは嫌だと思う。でも、それは私がそう思うのであって、このオバケにどう接するかという問題には、正解はないのだろう。ただし、何も考えずに条件反射的に逃げるのだけは、絶対に間違いだと思う。