塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

上田・塩田・佐久~信濃の3平旅行~ :後編

2012年05月23日 | 旅行

 先日は金環日食でしたが、皆さんいかがだったでしょうか。私も見るには見たのですが、どうもいつもの太陽とそう違うようには見えませんでした…。カメラで撮っても肉眼で見ても、暗くもないし輪っかとやらもはっきりそれと分かるようには見えず。むしろ日食途中の方がきれいに望めました。というわけで、部分日食状態の写真を一枚。

 
三日月じゃないよ、太陽だよ♪


 さて、前回に続いて信州東部旅行の続きです。2日目は、上田からやや南下して佐久平へ向かいました。とはいっても、実際に行ったのは佐久平の入口の小諸まででしたが。

小諸といえば、「小諸なる 古城のほとり…」で始まる島崎藤村の詩で有名ですね。その小諸城址は、現在懐古園として整備されています。懐古園は、天守の無い城跡としては珍しく入園料がかかります。私から見れば他の城址公園とさほど違いはないのですが、一応動物園や小規模遊園地が併設されているので、そのための料金と理解しました。

 懐古園の写真として一般的なのは、駐車場から入ってすぐのところにある三の門でしょう。料金所のすぐ外にあるので、お金を払うほどじゃないな~という人でも見学することができます。この門は、近代の城にしてはやけに低まったところにあります。小諸城は穴城とも呼ばれ、城が城下町よりも低いところにあるのが特徴なのです。かつては、城下町から城内全体が望めたといいます。城内を見透かされるのはNGというのが城のセオリーとされるなかで、とても珍しい構造といえます。

 
小諸城三の門


 また城の話かと飽きられてしまいそうなので、このあたりでやめておきます(笑)。遊園地にはさすがに行きませんでしたが、動物園にはルート上だったこともあり寄ってきました。鳥類がやや多めで、ダチョウやフラミンゴや、なぜか屋根つきの小屋に押し込められているトンビなどがいました。そんななかで気になったのがこちら。

 

 クマ…のはずなんですが、どうにもやる気が感じられません^^;八幡平のクマ牧場事件より前のことだったので当時はそれほど気になりませんでしたが、今思えば空腹で襲ってきたらどうしようと心配になります。

 ところで、三の門と駐車場の間に、草笛というそば屋があります。ここが本店で、周辺にいくつか支店があるようなのですが、ここのくるみそばが何ともいえず絶品です。ここに限らず、くるみそばは今回の旅行中あちこちで見かけたので、上田から佐久にかけての名物なのでしょう。この草笛という店が発祥であると店先には書いてありましたが、どこまでが本当かは分かりません。ただ、その美味しさは間違いありませんでした。甘めに味のついたくるみペーストをそばつゆで伸ばして食べるのですが、くるみの濃厚さと甘みが絶妙で、どれだけ食べても飽きの来ない味でした。このくるみペーストを買えば家でもできるんじゃないかと思って、帰る道々探したのですが、なぜか見つけられませんでした。地元の秘伝、ということなのでしょうか。

 上田から小諸までの道中、北国街道海野宿に立ち寄りました。あまり知られた宿場町ではないと思うのですが、かなり本格的に復元&保存されています。うだつの上がった豪壮な商家から土蔵造りの家まで道の両側にずーっと連なっており、普通に居住しているお宅もあれば、店舗となっているものも数多くあります。私が訪れた時はあまり人が歩いていなかったのですが、その分中山道馬篭宿などと違ってゆっくり落ち着いてみて回ることができました。ひとつだけ不満だったのは、駐車場が市営の有料駐車場しかないことです。観光客を呼びたいのなら、駐車場くらい無料にして然るべきと思うのですが…。

 
北国街道海野宿


 ちなみに、皆さんうだつって分かりますか?日本式商家の両サイドの、ひさしの上に張り出している衝立のような部分のことです。もともとは隣家からの延焼を防ぐ火除けの壁でしたが、いつしか装飾としての意味合いが強くなったものです。うだつを建てられるということは財力があることの証左とされたため、転じて「うだつのあがらない」という慣用句が生まれたと考えられています。海野宿で見かけたうだつは、これまで私が見てきたもののなかでもとりわけ立派なものでした。

 
うだつの上がった商家
両サイドのひさしの上のでっぱりがうだつ


 おまけですが、海野宿のある東御市は江戸時代の伝説的相撲力士、雷電爲右衛門の出身地だそうです。市内には雷電にちなんだ道の駅があり、雷電の資料スペースや銅像がありました。せっかくなので(?)、雷電の銅像で今回の旅行記を〆たいと思います。

 
さらにせっかくなので(?)、後ろ姿でアップ(笑)