塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

熊野路の旅<1>:熊野本宮大社

2012年03月04日 | 旅行
  
 3月に入りました。まもなく3.11。東日本大震災から1年となります。その時には何か節目の文章を書かなければならないと思いながら、当時の記事を読み返しつつ、あれから何が変わり何が変わらなかったのだろうなどと自問しています。

 さて、話は変わりまして紀伊半島の熊野へ旅行に行ってきました。熊野古道で知られ、世界遺産にも登録された景勝地ですが、昨年の台風による被害で観光資源が損壊したり、交通手段が途絶したりしていました。私が熊野旅行を思い立ったのは、昨年末ごろに幹線道路が仮復旧されたものの、観光客の呼び戻しには時間とPRが必要だろうという報道をテレビで見たのがきっかけでした。

 たしかに、台風12号襲来も未曾有の災害だったにもかかわらず、その被害の大きさに比べると、報道量は少なかったような印象を持っています(私の勝手な思い込みかもしれませんが)。東日本大震災から1年近くが経った東北では、観光地も落ち着きを取り戻しつつあり、さまざまな形で観光PRが進み、旅行客も戻りつつあると思います。ごくごく一部の繁華街では、復興特需さえ起きているそうです。他方で、紀伊半島では道路は復旧したものの宣伝は十分ではなく、観光面・経済面での復興はまだ始まったばかりという状況と思われます。そこで、震災以来の東北支援に対する御恩返しも込めて、もう1つの被災地である熊野を訪れ、こうしてブログで紹介させていただくというのも、ひとつの復興のお手伝いになればと考えた次第です。

 古来の熊野路は紀伊田辺から始まり、東の山中へ分け入って熊野本宮を目指し、さらに東(南東)の那智へ抜けて新宮へと至ります。熊野本宮大社と熊野那智大社、そして新宮の熊野速玉神社の三社を指して熊野三山と呼びます。残念ながら時間の都合で今回那智は断念し、本宮と新宮を訪れました。以下、数回に分けて旅行記を掲載しますが、まずは本宮をとりあげることにします。本宮へは、東京からは羽田から飛行機で南紀白浜空港へ飛び、そこから直通の特急バスを利用するのが便利と思われます。関西からであれば、京都や新大阪から特急オーシャンアロー号に乗れば1本で行けます。

 熊野本宮は、その名の通り熊野本宮大社の門前町です。大社は、バス停の目の前の石段を上った先に鎮座しています。直接本殿の写真を撮ってはいけないとのことだったので、下には門の手前からの写真を載せます。本宮大社の大きな特徴のひとつは、屋根の檜皮葺(ひわだぶき)です。平成22年から、この桧皮葺の葺き替えが始まり、私が訪れた時にはちょうど本殿のみ作業が完了していました。葺き終ったばかりの新しい屋根と、その他の古い屋根とのコントラストがなかなか美しく、参拝するには良い時期ではないかと思います。

 
熊野本宮大社。屋根は檜皮葺。


 ところで、熊野三山の神紋は八咫烏とされています。日本サッカー協会のシンボルマークに用いられていることでも知られる三本足のカラスです。八咫烏は熊野の神の使いとされ、熊野の山々に多数棲んでいるそうです。熊野の神に誓いをたて(牛王神符と呼ばれる護符の裏に誓いを書く)、これを破ると八咫烏が3羽死に、誓った本人も吐血死するといわれています(なので牛王神符は求めましたが何も書いていません)。私はこの八咫烏というのがデザイン的に好きで、いろいろと八咫烏グッズを買い漁ろうと企んでいたのですが、残念ながらなかなか気に入ったモノが見つかりませんでした。ないわけではないのですが、なんというかデザインを生かしきれてないような商品が多かったように思います。3本足のカラスなんてなかなか思いつくものではなく、古来からあるマークとしてはかなり優れたデザインだと思うので、ぜひこれを前面に押し出して商品開発を図ってもらいたいものです。

 話が少々それました。本宮大社から河原の方へ少し歩くと、大きな鳥居が見えます。事実、日本一大きな鳥居なのだそうですが、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる静かな林の入口に立っています。大斎原は、もともと本宮大社が鎮座していた所です。明治22年に大洪水があり、大斎原にあった大社も被災し、上四社・中四社・下四社と計12柱を祀った12の社殿のうち、上四社以外が流されてしまったそうです。そして、残った上四社を山上に遷座・再建したものが、現在の本宮大社であるということです。大斎原には、流されてしまった社殿の神々を祀った石の祠が建てられています。

 
大斎原と日本一の鳥居


 
遷座前の本宮大社。現地説明板より。


 大斎原は、熊野川と支流の音無川に三方を囲まれた中州にあり、旧絵図をみると現在の位置にあるよりも神聖で厳かな雰囲気が伝わってきます。当時川には橋が架かっておらず、参拝客は必ず川に足を濡らして渡ることで禊をするシステムになっていたそうです。ですので、今からでもまた元の場所に遷した方が観光上も伝統上も良いのではないかと率直に感じました。ところが、そんな考えは街中のお店に入り、店内に掛けられた写真を見たところで打ち砕かれました。そこには、台風12号水害の時に町全体が完全に水没した姿が写っていました。

 話を聞いたところ、1階まで完全に水に浸かったとのこと。調度品を全て取り替え張り替えして、ようやく最近営業を再開したのだそうです。そう聞いてよくよく街並みを見てみると、どの家もとりあえず玄関が真新しく、その他に塀や障子などが順次新品に張り替えられていました。台風が襲来した当時、橋が落ちたとか山崩れで堰き止め湖が発生したなどという報道は見ましたが、町全体が水没するほどの大洪水だったという話は、たまたまなのか知らなかったので衝撃でした。「これじゃ津波と被害は同じじゃないですか。」と驚きを口にしたところ、「建物は残ってたし、ゆっくり水かさが増えたので逃げる時間もあったから津波よりはマシだと思いますよ」と笑顔で返されてしまいました。馬鹿な軽口をしたもんだと反省しています。

 
熊野本宮の街並み。この1階部分まで水没しました。


 実は、日本有数の神社の門前町にしては少々寂しいかなと思っていたりもしたのですが、先の洪水のようすを知っていれば当たり前のことです。復興はやはり始まったばかりで、なかにはプレハブの小屋でとりあえず営業を再開している茶屋や土産屋もありました。肝心要の大社が山上に遷っていて被害を免れたというのは、せめてもの不幸中の幸いだったのでしょう。被災地としての熊野のようすについては、次回にまとめます。

 余談ですが、本宮大社では(他の三山にもあると思いますが)日本サッカー協会とタイアップしていると思われる@「サッカーお守り」があります。先に紹介したサッカー協会の八咫烏のマークが入った青いお守りです。私はサッカーと縁がある訳ではありませんが、せっかくなので日本代表の躍進を祈りつつ1つ求めました。とくにサッカープレイヤーやサッカーファンの方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。