熊野旅行記の第三回。熊野本宮での大社以外の大きなスポットとして、温泉と熊野古道があります。古道は、いわずと知れた世界遺産ですが、温泉もとてもすばらしく、湯の峰温泉と川湯温泉が熊野本宮の2大湯元です。他に渡瀬温泉というのもありますが、比較的新しいのか、宿泊施設は民宿が1軒とクアハウス付属のバンガロー村のみです。
湯の峰温泉は開湯1800年といわれる歴史と泉質で、川湯温泉は河原を掘れば湯が湧き出るという特徴で有名です。規模でいえば、川湯温泉の方が大きいように思えます。川湯温泉では、夏場にはスコップ片手にマイ露天風呂づくりに勤しむ客でにぎわうようです。冬になると、今度は「仙人風呂」という巨大野天風呂が出現します。
私が泊まったのは湯の峰温泉の方で、こちらはこじんまりとした谷間の秘湯といった感じです。ホテル調の大きな宿はひとつもなく、古き日本の湯治場の風景をよく残しています。源泉は90℃もあり、川端に設けられた湯筒というスペースで温泉卵や茹で野菜を作ることができます。
湯の峰温泉の中心部
湯の峰温泉は、熊野本宮のお膝元にあり、歴史も長いことから多くの言い伝えをもっていますが、もっとも著名なのが小栗判官伝説終焉の地というものです。小栗判官伝説については、詳しくはネットで調べていただけばよいと思うのですが、簡単に説明すると、まず茨城県の豪族小栗助重(その父の満重とも)が相模の横山氏の娘照手姫と恋に落ちる。2人の結婚に反対する照手姫の父によって助重が毒殺される。助重は全身不随ないし餓鬼の姿でよみがえり、閻魔大王のお告げを聞いた偉い上人に車に乗せられて熊野を目指す。途中で下女として働いていた照手姫も、助重とは知らずに車引きに加わる。何とか熊野に着いた助重は、湯の峰温泉で49日湯治した後に全快する。照手姫と助重は再会してハッピーエンド、というものです。
河原にある小さな浴場「つぼ湯」は、助重が湯治をした湯殿と伝えられています。つぼ湯は、定員2~3人の、天然岩で囲まれただけの、文字通りの湯の壺です。とはいえ、普通に料金を払って誰でも入ることのできる立派な公衆浴場です。古来、熊野詣の湯垢離場でもあったつぼ湯は世界遺産にも登録されており、実際に浸かれる世界遺産の温泉浴場としては唯一のものなのだそうです。
世界遺産「つぼ湯」
つぼ湯のお湯は、1日に7回色が変わるといわれているそうです。とはいえ、入浴料金が750円と少々高いので、7色すべてを拝むためには最低でも5250円かかります(笑)。これは、つぼ湯の他に共同公衆浴場の入浴料も含まれているためです。つぼ湯は、湯壺を建屋で囲っただけの湯屋で体を洗うこともできないため、基本的な入浴のプロセスを全うするには、共同浴場にも入ってもらわないとアカンということだそうです。つぼ湯のお湯は共同浴場のお湯と若干泉質が異なるようにも思えるので、強制的に両方のお湯に入ることになるというのも、まぁ悪くはないかなとは感じました。つぼ湯は、どこからともなく絶えず底から湯が湧いているようで、水でうめてもうめてもすぐに熱々になります。このお湯のためだけに熊野を訪れる価値も十分に見出せるような、すばらしいお湯でした。
温泉街の末端には、広い駐車場が完備されています。日が暮れると、共同浴場目当てに多くの客が車でやってきます。夜の共同浴場は地元の方々で大いに盛り上がっています。と、自分の隣で湯に浸かっていた坊主頭のおじさまに声をかけられました。この方は一番上の写真に写っているお寺の住職さんで、坊主頭どころか本職でいらっしゃいます。この寺の裏手には小さな茶屋があり、この住職さんが経営していらっしゃいます。普通のお土産品や酒類も多数販売していて、寺が直接こんな世俗的な店を開いて大丈夫なのだろうかと心配にすらなります(笑)。この日、私は本宮から「大日越」という、後に述べる熊野古道の一ルートを息を切らしながら歩いてきました。で、湯の峰に着くなりこの茶屋でコーヒーを一服しながら休憩したのです。不思議な縁というか、こういった地元との触れ合いが共同浴場の醍醐味の1つですね。
ちなみに、現在湯の峰へ向かう幹線道路の橋が台風被害で落ちてしまっています。このため、迂回路はあるものの、大きな車両は入れません。そのため、本宮大社と湯の峰を結ぶ臨時の市営送迎バスを利用しなければなりません。訪れる際にはご注意ください。
さて、ここからは熊野古道へと話を移します。とはいっても、私なんぞが書かなくとも、古道を紹介するソースは星の数ほどあると思います。その上、今回私が歩いたのは前述の大日越の2㎞ほどと、本宮から北の本ルート3㎞ほどのわずか5㎞程度に過ぎません(汗)。ただ、そんな爪の先ほどを歩いただけでも、世界遺産になるだけの歴史と神秘さをもった古道であること、流行りの表現を使えばパワースポットであることは十分に感じられました。
熊野古道(伏拝~祓所間)
同上
自分は断続的に中山道歩き旅もやっているので、熊野古道も同じような街道なのだろうと考えていたのですが、これは大きな間違いでした。中近世のメインロードの1つであった中山道ができるだけ起伏のないルートを選んでいるのに対し、熊野古道は容赦ない山越えの連続です。まさに修験の道と言わんばかりの、峠越え尾根越えの山道が続きます。かつて藤原定家が熊野詣に出向いた際には、途中で足を挫いて自力で歩くことを断念し、家来に輿を担がせて参詣したのだそうです。さもありなむと納得すると同時に、情けない貴族の輿を延々担いで山道を歩き続けた家来の苦労がしのばれます。
熊野古道は山越えの多い道ではありますが、山の中の道なので眺望の開けたところはあまりありません。だから…なのか本宮大社の北の山中に、古道から少し脇道に入る形で展望台が新たに設けられています。森を切り開いた峰の先端の展望台からは、一面に広がる熊野の山並みが望めます。熊野が信仰の郷、修験の郷であることがよく分かる風景です。
本宮大社北の展望台からの風景
中央に見える鳥居と森は大斎原(旧大社跡地)
歴史に触れながら温泉とハイキングが楽しめる世界遺産・熊野。京阪神はもちろん、東京からのアクセスも決して悪くないので、被災地支援を兼ねてぜひお越し下さいませ。