塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

北杜夫さん訃報にふれて

2011年10月29日 | 徒然
    
 先日、小説家の北杜夫さんが亡くなりました。私が若年の頃、北さんの作品にはたいへん影響を受けたので、御歳だからいづれはとは思っていましたが、いざ亡くなるとショックなものです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 北さんの作品との出会いは、たしか中学生のときの塾の教材だったと思います。最初に読んだのは『幽霊』だったと思いますが、これは少年のうちに読んでおいて本当に良かったと思っています。一般的には、『どくとるマンボウ』シリーズでおなじみということで、こちらから入る方が多いようですから、ずいぶん斜角から入ったという感じでしょうか。

 思えば、塾の教材には良い作品・著名な作品が多く取り上げられていたように思います。学校の教科書の内容はほとんど(というかまったく)覚えていないのですが。もちろん塾の教材ですから、現場では問題を解くための読み方をするわけですが、そこで「あ、なんか面白い内容だな」と思うと、後日本屋で探してみるということをよくしていました(当時はアマゾンなんかありませんでしたからね)。私が最も尊敬する小説家の1人の梶井基次郎も、最初の出会いは塾教材でした。

 小説に限らず、普段自分からは手に取ることのないようなエッセイや新書の類も、塾教材が発端で読んでみたということがしばしばありました。なかには、そこから原書内に登場する映画や芸術作品などへと関心が派生することもありました。人間、どこに出会いが待っているか分からないものです。

 かと思えば、いざ本として買って読んでみたら、娼婦の話だったり凄惨な死のドラマだったりして、中学生にはたいへんな衝撃だったこともあります(笑)。当然、教材には無難な場面の短い部分だけが抜粋されている訳ですから、そのような本だと知ったときの驚きは、ひとしおでした。

 とまぁ、こんなわけで、私の場合は多くの知識を学校以上に私塾から得ていたように思います。このように書くと、学校側は「私塾は受験専用の知識を提供する場所で、学校は受験勉強にとらわれない幅広い知識を得る場所だ」などと反論することでしょう。ですが、受験勉強を超えた知識というのも、今から思い返すと、やはり私はもっぱら私塾から仕入れていました。今回の話は科目でいえば国語科に絞られたものですが、学校教師および学校教材制作サイドにはもう少し奮起してもらいたいところです。それだけ多くの優良な作品を取り上げるということは、受験用の問題制作が目的とはいえ、それだけより多くの作品に目を通しているということでしょうから。

 さて、話を少し無理やりとばしましたが、北さんの逝去には改めて時代の転換を感じます。訃報にふれた日の私のカバンのなかにライトノベルが入っていたのを見て、よりいっそう感じてしまいました(笑)。