Good News Report

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「ⅠⅠテモテ」(30分de一巻 Vol.57)

2018年04月22日 | Good News


世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。(4:6-7)

私達は今迄、パウロ書簡を学んで来たが、今回はパウロについて学ぶのではなく、パウロを理解し、そして感じる。人は理解から感情が生まれ、その感情が行動へのエネルギーとなるからである。単に知的に知っていても、それは本当に知っている事にはならない。パウロを知らない=関わりがない。それではマズイのである。(メッセージより抜粋)
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苦難を乗り越える力 (Kent)
2018-04-22 11:27:25
今日の第二テモテでの学びでは、パウロがどんな人だったかと言う事を知る事が出来ました。パウロと言う名前は「小さき者」と言う意味ですが、それは、パウロの身体的な特徴の事ではなく、彼の謙遜さの表れでした。そして、パウロには、精神的にも、肉体的にも、大きな戦いがあった事を改めて知りました。

そんな苦難の中でも、神様を信頼して、自分の使命を全うする姿勢を持つ事こそが、リーダーとしての歩みである事を学びました。自分にとっての大きな課題の一つは、忍耐を持つ事です。例えば仕事場で嫌な事が起きたり、自分では受け入れられない状況の中に置かれた時に、文句を言ったり、呟いたり、そこから逃げたいと思ったりして、本当に、クリスチャンとしての姿勢を持っていない事に気付かされます。神様がいるのなら、苦難を消して下さいではなく、パウロのさまに、神様と共に、苦難を乗り越えられる姿勢と強さを持ちたいと思いました。
パウロさんのBuket List (Mimita)
2018-04-22 11:48:55
IIテモテは、パウロさんの最後の書簡、つまり愛する弟子、テモテさんに伝えた遺言です。
パウロさんの個人的な心情が書かれていると同時に、
パウロさんが命を賭けて大切にしていた信条も書き記されています。
パウロさんに比べたら(比べることも失礼!)私の信条など、世の中の人と変わらないかもしれません。
ただ、真理の御言葉に留まれるように神様に信頼して、自分のできる事を一生懸命しようと決意を新たにさせていただきました!!
パウロの肖像 (Ako)
2018-05-03 09:11:07
☆今日のメッセージの冒頭で、「今日はパウロを知る、感じる事を意識してください」と言われました。
まさに今日はパウロを知り、感じる時となり、あまりの感動に帰りの車中で涙が止まりませんでした..。感謝!!

パウロが愛弟子テモテに送った最後の手紙。それは殉教を前に、特別な思いをで書き送った大事な大事な手紙..。パウロが建てたアジア州の教会の人々は皆、最後の時に彼から離れ去って行き、誰もパウロを助けようとしなかった。(残ったのはルカだけ)

こうした状況の中で それでもパウロは変わる事なく、キリストの救いとは何かを、誰にでも分かるように伝えられるように、最後の最後まで神様からの使命を全うした。そんなパウロ先生からの遺言状。

テモテの師匠、<パウロの肖像>とは、パウロを知る事。パウロは自らを、使徒の中で、クリスチャンの中で最も小さき者だと言い、(実際にパウロは”小さき者”という意味)そして更に自分は罪人の頭、主の囚人と自らを謙遜を持って表した。自分の実績を決して人々に誇る事なく、謙遜の限りを尽くして、人々を教え続けた。

また、パウロは肉体に咎を与えられていた。それは見る者が思わず目を伏せてしまうような、人々が近づいて来ないほどのものだった。それくらいのひどい傷..。おそらくそれは、リストラの町での石打ちの刑の時に受けたものだと考えられます。しかし、パウロはその事を嘆くのではなく、自分の弱さを誇る者として、主を証し続けた。

パウロは主の奇跡を行い、癒しの賜物を持いて、人々の癒しを何度も行なった。でも、人々の眼に映る彼の姿は癒しの御業を否定する・・。生涯そういった咎を負い続けたパウロは、常に謙虚にされた。高慢には決してなれなかった。今まで何度も学んで来たはずのパウロの肖像・・。えんじぇる師はこう聞き返す。「皆さん、石打ちの刑とは、どういったものだか知っていますか?」と。 

それは、体を胸のあたりまで埋められて、出ているところを死ぬまで石で打ち続けられる死刑方法。パウロは、もう死んでしまったと判断されるほど、石を打ち続けられた。こんな状態で、彼の上半身・特に顔が無傷で終わるはずがありません。おそらくこの時に、彼の目は潰されてしまったと考えられるのです。

石打ちの刑にあったパウロが、それでもひるまずに自分の使命に燃え、主を語り続けた姿。人に気持ち悪がられる姿を主に誇り続けた姿。死ぬまでの石打ちの刑にあったパウロに主は命を与え続けたこと。半殺しになるほどの傷を受けたのに、それをつぶやかず、嘆かなかった。パウロは決して高慢になれなかった。リストラの町で石打ちの刑にあっても尚、主を証し続けたパウロ。その姿を見たテモテは、パウロに一生ついていく事を決め、彼の弟子となる。

などなど・・その時の情景が頭をぐるぐると駆け巡り、イエス様に倣い、最後の最後までイエス様に従い続けたパウロ。今日、パウロを知り、感じられる1日となりました。感謝します。ハレルヤ!!
弟子としての生き方 (Mu)
2018-05-03 16:24:10
パウロ書簡の締めくくりとしてのⅡテモテは、殉教を目前とし、孤独と苦悩の中に置かれながらも神様の救いを確信するパウロ先生の遺言の書であり、息子と呼びこよなく愛したテモテへの最期の言葉。 その言葉は、紙に書かれた第三者のものではない。聖書の奥深さを感じるのは、何千年も前の出来事を通し、「出会う」ことができる経験をすること。神様に出会う、イエス様に聞く、そしてパウロ先生を感じる。それが聖書で語られる「知る」の本当の意味だ。

えんぢぇる師は、いつでもその「知る」ことの大切さを教えてくれる。『安全圏でツラツラ読むだけではダメだ!直接あなたに語られているのだ!!』と。そんな師の叫びが、パウロ先生の言葉に重なり、聞く弟子の思いに浸った礼拝メッセージだった。 愛弟子テモテに最期に語ったその内容は・・
1章:召命の自覚
2章:牧会者としての責任
3章:教会に蔓延る異教に対する警告
4章:真理に留まれ

御言葉が私の日常生活の行動に移らない限り、聖書を読む意味はない。どんなに暗唱聖句できても、知的に知っていても、「知る」ことにならない。関わりを持つことができない。大切なことは、イエス様との関係(RELATIONSHIP)、神様との関係、そして人との関係なのだ。パウロ書簡には、パウロ先生の人生がある。そこから「知り」、「関係」を深める。それが聖化を学ぶことだと感じ、弟子としての生き方を知った。

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。(1:7)
謙虚さを持って・・ ( Kimie )
2018-05-05 11:16:38
死を覚悟してローマへ福音を運ぶパウロ先生の情熱が罪人の私のところにも届いて来ました。パウロ先生ありがとう!

パウロ先生の足元にも及びませんが、私も苦しいところを通って来ました。今年、神様から謙遜・柔和を示され、つい教えたくなる自分に気づかされ、確信があっても救いとは関係ないことは言わない、、と決心しました。

知識豊富なパウロ先生は、石打ちの刑で見映えもなく謙遜にさせられた。テモテを励ましたように私も謙遜を持って、この終わりの時に周囲の人々を励まし、救いに導く使命を全うしていきたいと思っています。マラナタ!!
パウロの謙遜 (ちまこ)
2018-05-08 08:53:15
パウロが残した言葉をただ読むのではなく、ただ聞くのではなく、何が語られているのかをもう一度しっかりと受け止めたいと思いました。

今回は「パウロの肖像」ということでパウロこのことが語られました。パウロは自分を最も小さき者、それもクリスチャンの中で最も小さい者と語りました。その姿に、私はそういう風には実際に思えていない事を思いました。

正直、自分よりも悪いクリスチャンがいることを良く思いますし、また、年齢を重ね、クリスチャン生活を重ねているうちに、段々とまともになって来ていると自分では思っているからです。

しかしパウロは、自分は使徒の中で、クリスチャンの中で、と自分のことをどんどん小さき者として表現しました。この謙遜の限りを尽くしている姿、本当にすごいと思いました。

そのことを思う時、「私は本当に主に悔い改めるという事ができているのか?」、「心から神様にごめんなさいと言えているのだろうか?」と、自分の罪の頑なさを思わずには入られません。

これからはじまる創世記の学びが楽しみです。

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