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わたしは必ずあなたと共にいる。この事こそ、わたしがあなたを遣わす印である。(3:12)
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エジプトで暮らしていたヤコブ一家が死に、彼らの事を知らない王がエジプトを支配するようになり、一族はまた奴隷に逆戻りと言う、時代が逆行してしまったような状態から話しは始まる。
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エジプトで特権階級にいた彼らが何故、また奴隷に逆戻りしてしまったのか?
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その様な状況から一族を救いに導いたのが、ヨセフでもユダでもなくレビだった。神は何故、裁かれていたレビを用いたのか?
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何故モーセは、神からの召命を三度も拒否したのか?
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嫌がるモーセの手を取るようにして導かれた神が何故、モーセを殺そうとされたのか? (4:24-26)
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その理由を考えつつ、出エジプト記を読んで来てください
あんなに嫌がるモーセを荒野から導き出し、イスラエルの民をエジプトから導き出そうとされる神様が、なぜ、モーセを殺そうとされたのか?
そこには、神様の一貫性が表されていました。
アブラハムとの契約が、何百年も経ったモーセにも適用されていること、それが、この状況に至った結果でした。
しかし、モーセの妻、ツィポラは偉い!
と思いました。
ツィポラは、イスラエル部族の出ではありませんが、彼女は、神様がモーセを殺そうとされた時に、
アブラハムとの契約が自分たちの子供にも及んでいることを理解し、とっさの判断とすばやい実行力で
夫と息子を救った賢妻です。
見習わなければ・・・と深く反省・・・
神様との契約の証しは、旧約の時代においては、割礼によるものでした(ローマ4:11)が、新約の時代においては、聖霊によるもの(エフェソ1:13-14)となりました。
神様と出会い、罪を悔い改め、信仰を告白し、バプテスマ(洗礼)を受けた私たち、クリスチャンは、神様と契約した者です。
この契約を私たちから破棄することがないように天国に行くまで、大切にして、与えられている人生を歩んでいこうと思わされました。
そして今日は「召命」について。神様はイスラエルの民が礼拝するため、モーセを召命された。礼拝も割礼もせずに過ごす内に、イスラエルの民はそのアイデンティティを喪失し、奴隷に落ちぶれた。アイデンティティの回復=礼拝の回復。
今、集会禁止命令のために礼拝、集会ができない中、真の礼拝、エクレシアの大切さを痛感した。クリスチャンは聖霊の証印をいただいた者で、だからこそ神様の計画を担う。礼拝も神様ご自身がこの地で現される貴重な機会であり、その遂行の重要性を再認識した。神様から信仰をいただいた者として、日々の礼拝を守り、その時に備えよう。
1.なぜ奴隷になったのか?
おそらく、ヨセフは国政を与ってのその位置にあったため。彼の人格によるところが大きかったと思います。その時のファラオが亡くなったら国を取ってしまおうと思えばできない位置ではなかったと思います。彼はそのような事をする考えはなかったため新しいファラオをその王族から出るのを妨げなかった。そのためヨセフの事を知らないファラオが立って、異邦人のイスラエル人をだんだんと奴隷の身分にしていったと思われます。
2 なぜ出エジプトにレビ族が用いられたのか?
モーセとアロンはレビ族アムラムとヨケべドの間に生まれた。レビ族はのちには領地は無く祭祀を司るようになった。このレビ族からイスラエルの民を率いてエジプトを脱出させた事の神の意図は分かりません。レビは戦いに向いていたことが関係しているのかもと思いますが。
3.なぜモーセは3度も召命を拒否したのか?
おそらく3:11にある「・・・しかもイスラエルの人々をエジプトから導きださねばならないのですか」の言葉でしょうね。田中先生のメッセージにもあるように、イスラエル民族に対する思い、情熱が失せていたと思います。それほど辛かったのでしょう。
4.なぜ神はモーセを殺そうとしたのか?
メッセージより創世記17:11の契約のしるしに関しての事なのですね。モーセの第二子のエリエゼルが割礼をしていなかったことによった。モーセは神からつかまれた時は怖かったことと思います。気絶する位。ツィポラも。「血の花婿」とツィポラが言うまで少し時間があったと思います。この間モーセは本当に忘れていたイスラエル民族への情熱と神からの使命を自覚したと思います。神の御心も。心に刻まれたと思います。
エジプトで殺人を犯し、なに不自由の無い生活を同胞の裏切りにより奪われ、命の危険を味わいながら荒れ野へ逃亡している間の気持ちはどの様だったのでしょうか。心にイスラエル民族だと言う同族愛、人としての弱者への憐みなど消し飛んだのかもしれないと思わせられます。そして、社会の底辺の牧童になっている間・・・。。貴族から一度に貧しい身分になった事を味わい練られていったのですね。
マタイ5:3を体現したのですね。「霊的貧しさ」これなくしては神様のお役には立てないのですね。神様に「モーセほど遜ったものはいるか」と言わしめたほどになっていたのですね。ものすごく「砕かれた心」だったのですね。ものすごい霊的試練だったのですね。考えられません。大変な方です。60万人を導くだけの方ですね。
主のくすしき御業に驚きます。主を賛美します。
初夏のペルガモ市より アンデレ
それと、モーセが十戒を授って、山を降りた途端、
偶像礼拝で浮かれていた民衆をモーセは怒って、3千人を粛清したという事件が起りますが、その時の刺客がレビ族。それはピハネス(アロンの孫)が、シケムでミディアン人の女性と偶像礼拝していた同胞を槍で突き刺してレビ族に対する神の憤りを取り去っという事と重なりますね(ヤコブの遺言メッセージを参照)。
聖書という膨大な資料の点と点を結ぶという事が、聖書解釈のコツです。
ありがとうございます。主題は礼拝ですね。神の民と自覚して神と共に歩み、そして民族を作り上げる事、なのですね。私たち一人ひとりの神の民としての自覚と、私たちの共同体としてのエクレシアなのですね。
金の仔牛事件でレビ族が集まりました。レビ族の良く知っている者たちが粛清されました。すごいことです。私にはとてもできないと思いますが、それが神への忠誠なのですね。今はイエス様、聖霊様がおられて、本当に幸せです。
そして、マタイ5:3は私の生涯への主から与えられたお言葉です。すぐ高ぶります。傲慢ですので。ヤコブの遺言のレポートを出した後に、イスラエルは、イエス様だと言う事が分かりました。「私はエジプトからわたしの子を呼び出した(マタイ2:15)」、「あなたはわたしの僕、イスラエル、あなたによってわたしの輝きは現れる」「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした(ホセア11:1)」今までどこを読んでいたのでしょうか。読み飛ばしてました。 主を賛美します。