イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。他の人は『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。(ルカ14:16-20)
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先週のメッセージの中の人々のことを自分の立場に置き換えて考えてみる機会が与えられました。
神様は、何事も無理強いはされません。
救いは、すべての人に与えられているけれど、受け取るのは、その人の意志と決断に委ねられています。イエス様の弟子になるのもその人の意志と決断です。
その決断が、どんな思いから来るのか?
私たちは、自分自身の動機を吟味する必要があります。
私たちは、人生のいろいろな出来事の中で、選択を迫られています。
神様を第一にしたいと願いながら、実際の行動は、神様を微笑ませるどころか、神様を落胆させていることがなんと、多いことか…。
正しいことをできない自分をみじめだと言ったのは、かの行動力の人、パウロさんでした。
パウロさんですら、そうなのですから、私たちは、もっと神様の力に頼らなければ、何もできません。
日々、自分の努力ではなく、聖霊様の導きに従いつつ、神様を微笑ませる人生をあゆんでいきましょう。
「神様の弟子になるということは、親にお使いを頼まれた子供と同じ。」
と言う牧師のたとえがとても納得いきました!
神様は、私たちにできないことをさせない、私たち自身は、できないかも…と思ってしまうけど、神様は、私たちより私たちのことをよくご存じで、必要なものは、全て、用意してくださっているのだから
家族の問題は本当に難しいですよね。家族同士でカップリングすることが実はどれだけ危険なことか。。イエス様はご存知だったのですね。共依存は危ないです。家族内で殺人や性暴力が起きやすいのはこのためです。家族という場所が治外法権化されてやりたい放題になるのです。イエス様につながっていることの大切さがよくわかります。この聖書箇所はそう言う意味だったのですね。イエス様の先見の目を深く感じました。
また、教会での問題もありますよね。私の知り合いの教会でも若い人は大事にされます(たいして若くもないんですが..)教会はお年寄りが多いから。なんか威張ってますよ。ちょっとおかしい、正直バカだと思う。
家族のことで少し落ち込んでいましたが、メッセージで元気が出ました!! 自分の力でどうにかしようと思ってました。聖霊の導きに任せます。自己中というのは人間のどうしようもない本質ですね。私もこの世に未練ないですが、使命は果たして日々の生活をしていきたいと思ってます。全てをイエス様に委ねます。amen