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アダムとイブの罪 (AHC・8/16/12 Application)

2012年08月29日 | Good News
 アダムとイブの罪の話しは、聖書の一番初めの書:創世記の天地創造の直後に書かれている話しであり、クリスチャンなら馴染みのある話しだと思います。AHCで改めて学び直し、特に創世記3章は、わたしたちの救い主イエス•キリストが最初に預言された大事な箇所であることに気付かされました。

 アダムは神が創造された最初の人でした。神は、彼を愛され、エデンの東に設けた園に住まわせ、アダムにこう命じました。これは、神と人との間に交わされた最初の契約で、「エデン契約」と言われているものです。(創世記 1:28-2:17・以下、聖書箇所は全て創世記です)

 1).地に広がりなさい。
 2).地を管理しなさい。
 3).地上の生物を管理しなしなさい。
 4).園のすべての木から取って食べなさい。
 5).地を耕し守りなさい。
 6).善悪の知識の木は決して食べてはならない。
 7).食べると死んでしまう。
 
 そして神は、アダムに助け手を与えようと、野と空のあらゆる動物を彼のもとに連れて来ましたが、アダムに合う助け手は見つかりませんでした。そこで、神はアダムを眠らせ、彼の脇の一部を抜き取り、女を創造されました。もうひとりの人を見て、アダムはとても喜び、彼女をイブと名付けました。2人は神にかたどって創造されたのです(1:27)。

 こうして人は神のもとで地上の支配権をいただき、自由意志も与えられていました。但し、園の中央にある善悪の知識の木は「神の権威」を示すもので、人の介入は許されない領域でした。 そこに、動物の中でもっとも賢い蛇が登場します(3:1)。蛇がエバに話しかけました。私たちの想像力で考えると、蛇を見ただけでも驚き、恐ろしいと思います。蛇はヘブル語で「蛇」、「光り輝くもの」という意味があります。エバ と対話をした蛇は、 光り輝く、 魅力的な存在だったのかもしれません。

 蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」と切り出します。この蛇をしゃべらせているのは、サタンです。神に対する反逆者であるサタン(エゼキエル28章)は、神が人に優れた権限を与えられたのを知り、人を陥れようとしていました。サタンは、神が人とどんな契約を結んだのか、もちろん知っていました。でも、サタンはエバ自身に契約の内容を言わせようとしたのです。

 エバは、彼女が理解している契約を話しました。園の木の果実を食べてもよいが、「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」(3:3)と神が言われたからだと答えました。イブの答えが完全に正しいものではないのを聞いて(神は「触れてはいけない」とは言わなかった) 、すかさず、サタンはこう言いました。「決して死ぬことはない。」(3:4)

 サタンは神の言った事を否定し、イブを惑わせようとしました。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(3:4) サタンは責任の言い逃れができるように、巧みにうそと真実を話し、エバをだまそうとしたのです。 エバはその木の実を改めて眺めました。いかにも美味しそうで、美しく、賢くなりそうに見える果実でした。エバが果実を手に取ると、確かにサタンの言う通り、エバは死にません。そして、エバはその実を食べてしまいました。

 ヨハネが、世の欲は「肉の欲、目の欲、生活のおごり」であると警告しています(Ⅰヨハネ2:16)。イブが食べた木の実は、この全ての条件を持ち合わせた果実だったのです。イブは自分の欲を抑えきれず、 サタンの誘惑に欺かれてしまったのです。

 エバは自分が食べた実を、一緒にいた夫アダムに渡しました。そして、アダムもその果実を食べてしまいました。ここで見落とせないことは、アダムはエバと一緒にいたということです。エバと蛇とのやり取りを一部始終見て聞いていたわけです。アダムは、神から直接契約を語られていながら、神の言いつけをやぶろうとしているエバを止めも、忠告もしませんでした。アダムはエバの選択に同意し、共に神との契約を破ってしまったのです。

 アダムとエバは目が開け、自分たちが裸であることを知り、いちじくの葉をつづり、腰にまきました。 園に風が吹く頃、神が、アダムとイブといっしょに過ごすためにやってくると、二人は神を避け、木の間に隠れました。いつもなら神を喜んで待っているはずの二人が、隠れているのです。神は全てをご存知なのに、アダムに「どこにいるのか」と問いかけました。これは聖書に記された、神から人への最初の言葉でした。

 神は、愛するアダムとイブの心が神から離れてしまったことを知っていました。「どこにいるのか?」このアダムに対する問いかけは、私たちの心の所在の問いかけでもあります。神は、私たちの心がいつも神と共にあることを望んで止まないのです。

 神は、アダムに罪の告白を誘発する問いかけをしたのです。アダムは、裸であるので隠れましたと答えました。食べてはいけない木の実を食べたことは明らかですが、アダムの答えは神の望む答えではありませんでした。神はアダムに罪の告白のチャンスを与えるために、もう一度質問をしました。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

 アダムは、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」と答えました。アダムは罪の告白をしましたが、その責任を神と女に負わせたのです。アダムは、言い逃れをしようとしたのです。神の主権ではなく、自分の主権を選択し、神に対して罪を犯したのです。 神はエバに向かっても問いかけました。神は、彼女の後悔、悔い改めを表す告白を望んでいました。でも、エバは、「蛇がだましたので、食べてしまった」と、責任逃れをして謝罪をしませんでした。

 神が蛇に下された罪の判決はサタンへの判決でもありました。天地創造の時から神の業に介入したサタンが、神様が最も愛する人との関係にも介入してきた、その罪の結果は、サタンにとって破滅的なものとなりました。この判決の中で、人間を罪から救うために、神は既にこの時点において、イエス•キリストによる救済計画を、3:15(原福音/Prot-Evangelium)で預言されています。

 自分の意志で神様の御心に反する罪を犯したアダムとイブにも、当然、罪の判決がくだされました。 女の妊娠、出産の苦しみは増加され、夫を慕い、夫が妻を支配するものとされました。Ⅰテモテ2:13-14でパウロは、男女の秩序関係を語っています。アダムが最初に造られ、エバが造られました。それぞれ違う 役割をもっていましたが、二人とも神にかたどって創造されたのです。

 しかし、この秩序を理解せず、自分の主権を優先する時、人はサタンの誘惑のターゲットになってしまいます。 Ⅱコリント11:3でパウロが語るように、私たちは、エバのようにサタンに欺かれることがないように気をつけなければいけません。サタンは、常に私たちをキリストに対する愛と従順から切り離そうと努力しているからです。

 最後に、神はアダムの罪の報いについて語られました。エバと共犯し、罪を選んでしまった彼の罪は重罪でした。アダムの罪により、人類は完全なる園から追われてしまい、自然界も呪われたものとなりました。そして、人は死と向き合わなければならなくなったのです。

 しかし、神は愛の神です。神の栄光を表す姿に造られたアダムとエバ、そして続く子孫である私たちも、神が愛してやまない存在なのです。ですから、イエス•キリストによって人類を罪から完全に救い、神と人の関係を回復することを、アダムとエバの時から預言されたのです。アダムによってすべての人が死ぬことになりましたが、キリストによって全ての人が生かされるようになるのです(Ⅰコリント15:20-22)。

 また、ローマ5:12-21で、アダムによってもたらされた罪はすべての人に及んだけれど、イエス•キリストによる恵の賜物とは比較にならない、パウロは語っています。 一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス•キリストの恵の賜物とは、多くの人に豊に注がれるのです。罪が死によって私たちを支配していたように、神の恵みも義によって支配し、私たちの主イエス•キリストを通して永遠の命に導いてくれるのです。神の勝利を賛美します! (めぐみ)

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