2011年3月11日、あの日から3年が経ちます。田中牧師が最初に被災地を訪れたのは、震災後まだ間もない頃で、被災状況や、放射能汚染についてはまだ良く分かっていない時期でした。同行した放射能に詳しい方から、福島県に入ると直ぐに、実際の原発からは何十キロも離れた地点で、「マスク着用」を勧められ、彼は「え?」という思いを抱きつつも、とにかく指示に従ったそうです。放射能は影もなければ形も、においもなく、あるかどうか分からない。私たちは、知らない内にその見えない「毒」の只中にいることがあるのです。知らないということは、実に恐しいことです。
道なき道を行き、街灯の光のない闇の中を進み、彼は陸前高田に降り立ちました。到着した夜は何も見えず、朝になって自らがいる場所を確認した彼は、SF映画の世界そのものを見ました。すべてが混乱し、瓦礫の山が果てしなく続いている、道の真ん中にへばりついている魚、曲がりくねった線路、言い尽くせない深い悲しみと絶望の涙。「これが黙示録の世界か・・聖書が語る終末は本当にある..」と、これらの光景が彼の魂に告げていました。
家族を失い、家を失い、仕事もなく、復旧の目途は立たない、ないない尽くしに苦しむ人々にとって、本当は何よりも大切な『魂の救い』は生活の次になってしまいます。「神様がいるなら、なぜこんなことが!?」と激高する人に、机上の理論は通用しません。しかし遣わされた牧師は、支援活動と共に、ゲリラ路傍伝道を展開し、本当に福音を必要としている人たちに福音を告げ、少なからず人々を救いに導くことができました。
彼が祈りと共に頼りにしていたのは、「私は一人を救い、そしてできればもう一人の人を救いたいと願っているだけです」と言う、マザーテレサの言葉でした。一人一人に必要な復興支援をしつつ、本当に必要なものは福音であり、イエス・キリストが人生の生命線であることを、一人、そしてまた一人と告げ知らせることができたのです。 その被災地での活動の中で、田中牧師は3つのことを考えました。それは・・
人生には、全く想定外のことが実際に起きてくる
人は、人と人とのつながりを求める
人は、希望にすがりついて生きようとする
未だ30万人近い人々が避難・転居状況にあり、その内の約半数が仮設住宅での生活を余儀なくされています。3年経った今も先は見えておらず、避難生活における体調悪化や精神的圧迫などによる『関連死』という、実に深刻な問題が続いています。被災三県には、交通難民、医療難民の方々が大勢おられます。このような実情について、主要メディアは積極的に取り上げようとせず、被災地が国の足を引っ張っているかのような印象すら感じさせられます。しかし、3-11は決して「終わったこと」ではなく、問題は依然、山積みとなって残されたままなのです。
田中牧師は、この被災3県の状況は、『将来の日本の縮図』であると考えています。誰の人生にも、自分の想定外のことが必ず起きてきます。このような難題に直面した時にどう出るか?その時に、その人の真価が問われるのです。今日は、田中牧師が被災地の現場で考えたこと、教えられたことを、聖書を通してシェアしてくれました。
今を生きる!
与えられた環境に感謝しつつ、精一杯、今を生きること。「いつ死んでも良い」と言える人は、自分に与えられた状況の中でベストを尽くして生きている人です。人は、自分の人生の目的を設定してそれに向かって生きていますが、もし、何らかの想定外の出来事によって、それが達成できなかったとしたら、人生は目的のための準備だけで終わってしまうことになります。
『せめて学校に入ったら、せめて仕事に就いたら、せめて結婚したら、せめて家を建てたら、せめて借金を返したら・・・』それだけで日々が終わって行く..実はこれが多くの人々の人生の現実です。ですから、人生の『目標』と『目的』は別にしなければならないのです。
例えば、「結婚」を人生の目標にすることは問題ありませんが、日々の人生の「目的」は、「たとえ今は自分が思う状況でなかったとしても、神様は今も生きて働いていてくださる。私は神に愛されている」このような信念(信仰)に生きる時、神がその人を創造された目的は、既にその時点において成就されているのです。これが、日々私たちが生きている目的であり、それが『神の栄光が現されている』と言うことなのです。
本当に大切なものは目に見えない
『かもめ食堂』という映画の中で、旅先でスーツケースを失くした女性が、やっと見つかったスーツケースを開けると、その中は光輝くキノコでいっぱいだった!?という象徴的なシーンがあります。旅にスーツケースは必要不可欠です、ですが、実はスーツケースの中には、私たちの人生において、これがなければ生きていけないというようなものは、一つも入っていないのです。しかし、私たちはスーツケースにとらわれ、スーツケースのために働いています。無論、生きていくための道具は必要です。ですが、それは生きていく「目的」ではないのです。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(Ⅱコリント4:18)
ぶれない人生には真理が不可欠
実は聖書には、どこにも「人から信頼されるような人になりましょう」とは書かれていません。信頼とは、真理に従って生きて行く時、自然に周りから得られていくものだからです。
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:8)
「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16:13)
ピラトは言った。「真理とは何か?」(ヨハネ18:38)
真理を知らない人は、結局、自分の命をも失う結果になってしまいます。あなたの命を守るために、どうぞ聖書から「真理」を見極めてください。それがあなたの人生に揺るぎない希望をもたらしてくれます。聖書をもっと知りたい方、希望の証しを聞きたい方、教会にお出でください!それこそが、神様が今、あなたに望んでおられることなのです
今週の教会ご飯/パスタ入りミネストローネ
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!
☆Good News Stationのメインページはこちら!
道なき道を行き、街灯の光のない闇の中を進み、彼は陸前高田に降り立ちました。到着した夜は何も見えず、朝になって自らがいる場所を確認した彼は、SF映画の世界そのものを見ました。すべてが混乱し、瓦礫の山が果てしなく続いている、道の真ん中にへばりついている魚、曲がりくねった線路、言い尽くせない深い悲しみと絶望の涙。「これが黙示録の世界か・・聖書が語る終末は本当にある..」と、これらの光景が彼の魂に告げていました。
家族を失い、家を失い、仕事もなく、復旧の目途は立たない、ないない尽くしに苦しむ人々にとって、本当は何よりも大切な『魂の救い』は生活の次になってしまいます。「神様がいるなら、なぜこんなことが!?」と激高する人に、机上の理論は通用しません。しかし遣わされた牧師は、支援活動と共に、ゲリラ路傍伝道を展開し、本当に福音を必要としている人たちに福音を告げ、少なからず人々を救いに導くことができました。
彼が祈りと共に頼りにしていたのは、「私は一人を救い、そしてできればもう一人の人を救いたいと願っているだけです」と言う、マザーテレサの言葉でした。一人一人に必要な復興支援をしつつ、本当に必要なものは福音であり、イエス・キリストが人生の生命線であることを、一人、そしてまた一人と告げ知らせることができたのです。 その被災地での活動の中で、田中牧師は3つのことを考えました。それは・・
人生には、全く想定外のことが実際に起きてくる
人は、人と人とのつながりを求める
人は、希望にすがりついて生きようとする
未だ30万人近い人々が避難・転居状況にあり、その内の約半数が仮設住宅での生活を余儀なくされています。3年経った今も先は見えておらず、避難生活における体調悪化や精神的圧迫などによる『関連死』という、実に深刻な問題が続いています。被災三県には、交通難民、医療難民の方々が大勢おられます。このような実情について、主要メディアは積極的に取り上げようとせず、被災地が国の足を引っ張っているかのような印象すら感じさせられます。しかし、3-11は決して「終わったこと」ではなく、問題は依然、山積みとなって残されたままなのです。
田中牧師は、この被災3県の状況は、『将来の日本の縮図』であると考えています。誰の人生にも、自分の想定外のことが必ず起きてきます。このような難題に直面した時にどう出るか?その時に、その人の真価が問われるのです。今日は、田中牧師が被災地の現場で考えたこと、教えられたことを、聖書を通してシェアしてくれました。
今を生きる!
与えられた環境に感謝しつつ、精一杯、今を生きること。「いつ死んでも良い」と言える人は、自分に与えられた状況の中でベストを尽くして生きている人です。人は、自分の人生の目的を設定してそれに向かって生きていますが、もし、何らかの想定外の出来事によって、それが達成できなかったとしたら、人生は目的のための準備だけで終わってしまうことになります。
『せめて学校に入ったら、せめて仕事に就いたら、せめて結婚したら、せめて家を建てたら、せめて借金を返したら・・・』それだけで日々が終わって行く..実はこれが多くの人々の人生の現実です。ですから、人生の『目標』と『目的』は別にしなければならないのです。
例えば、「結婚」を人生の目標にすることは問題ありませんが、日々の人生の「目的」は、「たとえ今は自分が思う状況でなかったとしても、神様は今も生きて働いていてくださる。私は神に愛されている」このような信念(信仰)に生きる時、神がその人を創造された目的は、既にその時点において成就されているのです。これが、日々私たちが生きている目的であり、それが『神の栄光が現されている』と言うことなのです。
本当に大切なものは目に見えない
『かもめ食堂』という映画の中で、旅先でスーツケースを失くした女性が、やっと見つかったスーツケースを開けると、その中は光輝くキノコでいっぱいだった!?という象徴的なシーンがあります。旅にスーツケースは必要不可欠です、ですが、実はスーツケースの中には、私たちの人生において、これがなければ生きていけないというようなものは、一つも入っていないのです。しかし、私たちはスーツケースにとらわれ、スーツケースのために働いています。無論、生きていくための道具は必要です。ですが、それは生きていく「目的」ではないのです。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(Ⅱコリント4:18)
ぶれない人生には真理が不可欠
実は聖書には、どこにも「人から信頼されるような人になりましょう」とは書かれていません。信頼とは、真理に従って生きて行く時、自然に周りから得られていくものだからです。
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:8)
「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16:13)
ピラトは言った。「真理とは何か?」(ヨハネ18:38)
真理を知らない人は、結局、自分の命をも失う結果になってしまいます。あなたの命を守るために、どうぞ聖書から「真理」を見極めてください。それがあなたの人生に揺るぎない希望をもたらしてくれます。聖書をもっと知りたい方、希望の証しを聞きたい方、教会にお出でください!それこそが、神様が今、あなたに望んでおられることなのです
今週の教会ご飯/パスタ入りミネストローネ
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!
☆Good News Stationのメインページはこちら!