信仰の成長に福音理解は不可欠です。しかしその理解は、頭の中の知識だけに留まらせず、実生活にアプライできてこそ、ほんとうに成長するものなのです。信仰生活と実生活は切り離せるものではなく、深く結び合わせて働くのです。
信仰の成長は、実生活における問題の解決能力の成長に繋がります。今回は、私MUが実際に遭遇した身近な問題を例にして、問題解決の7ステップを学びました。
<問題>
ある日、ランチミーティングのためMUが運転して教会へ到着する直前、前方右車輪をパンクさせてしまいました。何とか教会駐車場に辿り着き、トランクを開け、スペアタイヤを取り出し、ジャッキなどの器具も用意して、スカートの裾を引きずりながら、オペレーションマニュアルを片手にパンクしたタイヤを外そうと躍起になっているそこに、教会にいた牧師が気配を察して登場。MUの格闘状況を一瞥した牧師は、タイヤ交換の役をすぐに変わり、炎天下1時間ほど費やしてスペアタイヤを付けてくれ、その後、MUはタイヤ屋さんで完全に修理を終えることができました。
これが前後背景でした。これは、「困った時は教会へ!牧師は何でもお手伝い」の宣伝ではありません。であれば、MUの信仰の成長はゼロです。この状況から、解決への重要な7点を教えられました。
問題は成長の糧となる。
問題が起こったそのことに意味があり、問題は必ず解決できる。
問題自体ではなく、問題解決に、目を向ける。
まず最初の3点。MUにとっても、牧師にとっても、パンクは降って湧いたような災難。これがなかったら、ゆっくりランチを取りながらミーティングができたはずなのに、その日の予定はすべてパア。しかし災難だからと言って、見ない振りをしたり、無視しているだけでは、状況は変わりません。問題が「この時」に起こったことには、神様の必然が働いているのです。対処すべきことに、ポジティブな思いを持って実際的に動くことが必要です。
問題においての、神の領域と自分の領域を分けて整理する。
具体的な知恵を求める。
身近なところに解決のヒントはある。
後半3点。どんなに信仰があったとしても、車の前で祈っているだけではパンクは直らないのです。しばしば人は、「時が解決するさ」という安穏な考えを抱きます。しかし現実はNO! 問題は「洗濯物」です。汚れた洗濯物を積んでおいても、決して勝手にキレイになることはありません。祈ってもだめ。洗濯しない限り、片付きません。問題も同じことです。実際に「自分の領域」において進み出さない限り、自然に解決することはありません。
しかし経緯の内には、人の手に負えない「神の領域」もあります。例えば今回の場合、タイヤのナットが非常に固く、錆と一体化していて、なかなか回らなかったそうです。そこで牧師は、扉の蝶番に用いるオイルのようなものを持ち出して注してみて、同時にナットが緩まる方向が一般的な左回りであるように祈りつつ作業したそうです。人の知恵と神の助け。ナットはようやく動くことができました。
順序と位置を間違えない。
最後の肝心要。問題は解決の出発点や順序を間違えると一向に解決せず、直面している当人にも大きなストレスとなります。今回、牧師がとっととタイヤ交換の役を引き受けたのは、MUが解決の順序を間違え、明らかに今の作業が徒労に終わると見たから。このままではMUがどれだけ一生懸命解決しようとしても効果がなく、結局振り出しに戻ることになって時間とエネルギーだけが無駄に費やされ、MU当人は自分の出発点が違っていたことに気付かないまま、怒りや絶望に飲み込まれる可能性がほぼ100%(牧師の確信)。そして愚かにも人は、「神はいない。私は愛されていない。」と、自分の無知を棚上げして叫ぶようになるのです。しかし、神様はいらっしゃるし、問題は最初のポイントにあるように成長の糧なのです。スタンスを間違わず、そして解決の順序とスタート地点を見極めること。これが問題がスムーズに、そして有意義に片付くステップなのです。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)
月面探査宇宙船のアポロ13号のクルーも握った御言葉です。宇宙船の酸素タンクが爆発し、クルーは電気と水、酸素を失い、絶望的な状態に陥りました。しかし、全員クリスチャンだた彼らは祈り、知恵を求め、着陸船を救命ボートに見立てて大気圏突入を決行して無事地球に生還できたのです。NASAにいたどの頭脳も見出せなかった知恵を彼らは得て、問題を解決しました。神様はいらっしゃいます。そして全力で祈り、自分の領域を果たす時、必ず解決の道へと導いてくださるのです。
信仰の成長は、実生活における問題の解決能力の成長に繋がります。今回は、私MUが実際に遭遇した身近な問題を例にして、問題解決の7ステップを学びました。
<問題>
ある日、ランチミーティングのためMUが運転して教会へ到着する直前、前方右車輪をパンクさせてしまいました。何とか教会駐車場に辿り着き、トランクを開け、スペアタイヤを取り出し、ジャッキなどの器具も用意して、スカートの裾を引きずりながら、オペレーションマニュアルを片手にパンクしたタイヤを外そうと躍起になっているそこに、教会にいた牧師が気配を察して登場。MUの格闘状況を一瞥した牧師は、タイヤ交換の役をすぐに変わり、炎天下1時間ほど費やしてスペアタイヤを付けてくれ、その後、MUはタイヤ屋さんで完全に修理を終えることができました。
これが前後背景でした。これは、「困った時は教会へ!牧師は何でもお手伝い」の宣伝ではありません。であれば、MUの信仰の成長はゼロです。この状況から、解決への重要な7点を教えられました。
問題は成長の糧となる。
問題が起こったそのことに意味があり、問題は必ず解決できる。
問題自体ではなく、問題解決に、目を向ける。
まず最初の3点。MUにとっても、牧師にとっても、パンクは降って湧いたような災難。これがなかったら、ゆっくりランチを取りながらミーティングができたはずなのに、その日の予定はすべてパア。しかし災難だからと言って、見ない振りをしたり、無視しているだけでは、状況は変わりません。問題が「この時」に起こったことには、神様の必然が働いているのです。対処すべきことに、ポジティブな思いを持って実際的に動くことが必要です。
問題においての、神の領域と自分の領域を分けて整理する。
具体的な知恵を求める。
身近なところに解決のヒントはある。
後半3点。どんなに信仰があったとしても、車の前で祈っているだけではパンクは直らないのです。しばしば人は、「時が解決するさ」という安穏な考えを抱きます。しかし現実はNO! 問題は「洗濯物」です。汚れた洗濯物を積んでおいても、決して勝手にキレイになることはありません。祈ってもだめ。洗濯しない限り、片付きません。問題も同じことです。実際に「自分の領域」において進み出さない限り、自然に解決することはありません。
しかし経緯の内には、人の手に負えない「神の領域」もあります。例えば今回の場合、タイヤのナットが非常に固く、錆と一体化していて、なかなか回らなかったそうです。そこで牧師は、扉の蝶番に用いるオイルのようなものを持ち出して注してみて、同時にナットが緩まる方向が一般的な左回りであるように祈りつつ作業したそうです。人の知恵と神の助け。ナットはようやく動くことができました。
順序と位置を間違えない。
最後の肝心要。問題は解決の出発点や順序を間違えると一向に解決せず、直面している当人にも大きなストレスとなります。今回、牧師がとっととタイヤ交換の役を引き受けたのは、MUが解決の順序を間違え、明らかに今の作業が徒労に終わると見たから。このままではMUがどれだけ一生懸命解決しようとしても効果がなく、結局振り出しに戻ることになって時間とエネルギーだけが無駄に費やされ、MU当人は自分の出発点が違っていたことに気付かないまま、怒りや絶望に飲み込まれる可能性がほぼ100%(牧師の確信)。そして愚かにも人は、「神はいない。私は愛されていない。」と、自分の無知を棚上げして叫ぶようになるのです。しかし、神様はいらっしゃるし、問題は最初のポイントにあるように成長の糧なのです。スタンスを間違わず、そして解決の順序とスタート地点を見極めること。これが問題がスムーズに、そして有意義に片付くステップなのです。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)
月面探査宇宙船のアポロ13号のクルーも握った御言葉です。宇宙船の酸素タンクが爆発し、クルーは電気と水、酸素を失い、絶望的な状態に陥りました。しかし、全員クリスチャンだた彼らは祈り、知恵を求め、着陸船を救命ボートに見立てて大気圏突入を決行して無事地球に生還できたのです。NASAにいたどの頭脳も見出せなかった知恵を彼らは得て、問題を解決しました。神様はいらっしゃいます。そして全力で祈り、自分の領域を果たす時、必ず解決の道へと導いてくださるのです。