Good News Report

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Awakening House Church (8/16/12)

2012年08月14日 | Good News
聖書は「光」で始まり、「光」で終わる

信仰の成長は聖書理解と比例します。何故なら、神と私たちを結ぶものは「言葉」であり、この言葉を理解しなければ、正しい交流は出来ないからです。ですから、聖書を正しく理解するには、聖書全体的を把握し、捉える必要があります。

 さて、創世記は何で始まり、何で終わっているでしょうか?“神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。”創世記は「光と命」で始まり、「闇と死」(ヨセフの死)で終わっています。

 では、聖書全体は、何で始まり、何で終わっているでしょうか?“もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。”(黙示録22:5) そう、聖書は「光」で始まり、「光」で終わってるのです。 


聖書のプロローグ
 
 「初めに、神は天地を創造された。」と完了形で書かれてあり、最後にラフィア(終止符)が打たれていることから、1節は独立した節であり、神の創造は完了(完璧に)されたということが分かります。にも係わらず2節、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」主の創造が完璧であったにもかかわらず、何故地は混沌としていたのでしょうか?これについては、以下の3つの解釈がありまが、AHCでは、Gyap Theoryの立場を取って学んで行きます。


1).Orijinal Creation View 
 神は最初に混沌を創造された後、天地を創造された。(1節は創造第一日目の中に含まれる)

2).Pre Creation View
 神の創造の前から、混沌が存在していた。(混沌からの創造)

3).Gyap Theory
 1節と2節との間に、何かが起こった。(サタンの介入と神の裁き)


 日本語の聖書では全て、2節の冒頭は「地」ではじまっていますが、原語では「Now、さて」という接続詞ではじまっています。また、「混沌であって /was」ではなく、「混沌となった /became」が原語に忠実な訳です。また、通常ヘブル語は、動詞から名詞という順序ですが、ここでそれが逆に書かれているのは、「地の異変に注目せよ!」という意味が込められてます。つまり、「地は混沌となってしまった…しかし!」という語りかけなのです。

 「カオス・混沌」と訳されている「トーフ・ワ・ボーフ」という言葉、(イザヤ34:11、エレミヤ4:23) は、全て神の裁きを表しており、その後の「闇」という言葉も、神の裁きによる結果です。しかし、2節で、神によって「深い淵・テホーム」が、「水・マイム」に回復されている経過が記されています。この水はもはや闇の深淵・テホームではなく、命ある水・マイムへと変えらているのです。

 この、「神の霊が動いていた」の「動く・メラへフェット」という言葉は、「ふるえる」「羽ばたく」「宙に舞う」という、鳥の動作を表現した言葉で、そこには、意志、情熱、愛という能動的な意味が込められています。単に「動く・覆う」と言った無機質な動作のことではないのです。このことは、イエス様が洗礼を受けられた時の光景とオーバーラップします。 イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降ってくるのを御覧になった”(マタイ3:16) この聖霊が鳩のように降られたという表現こそ、イエスがメシアであることの証明なのです。

 そして3節、神は言われた「光あれ」こうして光があった” 太陽は創造の第4日目ですので、この光は太陽のことではありません。では、この光はいったい何なのでしょうか? それは、「シャカイナグローリー」神の光、神の栄光、神様の臨在とともに発せられる光のこと。この神の光と共に、人間回復の物語が始まるのです! ( AKo)

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