見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ファミリーヒストリーは語る/敗者としての東京(吉見俊哉)

2023-03-12 20:13:08 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『敗者としての東京:巨大都市の隠れた地層を読む』(筑摩選書) 筑摩書房 2023.2

 はじめに2020年春からのコロナ禍によって、都心の空室率の上昇、人口の転出増、商業地の地価下落など、1980年代以来、数十年間にわたって東京が歩んできた方向(=福祉国家から新自由主義へ、効率化のための一極集中)を反転させる可能性が垣間見えることが示される。本書は、これまで明らかに近代化の「勝者」として歩んできた東京を「敗者」の眼差しから捉えなおそうとする試みである。

 そのために本書は、遠景・中景・近景の三つの視点を用意する。「遠景」は地球史的な視座で、縄文時代の南関東の「多島海的風景」を想像するところから始まる。やがて朝鮮半島からの渡来人たちが東京湾岸から上陸し、土着の縄文人と遭遇してクレオール化する。古代から中世へ、東国勢力は徐々に力をつけ、大和朝廷に対する自立性を獲得していく。こういう東国の古代中世史、とても魅力的だ。そして東京につながる巨大都市・江戸を出現させたのは1950年に始まる「徳川の占領」である。

 東京(江戸)は三度の占領を経験している。二度目は1868年の「薩長軍による占領」で、この記憶が「中景」となる。彰義隊・幕臣・博徒(清水次郎長)・貧民・女工など。敗者(あるいは弱者)がどこまで自分の言葉で語ることができたかを慎重に留保しつつも、明治大正の東京には、彼らの語りを成り立たせるメディア的な装置があったことを検証する。同じ著者の『五輪と戦後』でも触れられていたが、女工たちの歴史(逃走→争議→バレーボール!)がとても面白い。

 三度目は1945年の「米軍による占領」である。この占領によって、東京の風景が決定的に変貌したことは、著者が『五輪と戦後』『東京復興ならず』等で詳述しているところだが、本書は著者自身のファミリーストーリーから、戦後東京の「近景」を描いていく。私は長年の著者の読者だが、初めて聞く話ばかりで驚きの連続だった。著者の母親は、両親の離婚後、父(著者の祖父)とソウルで生活しており、終戦後、兄(著者の叔父)とともに子供二人で家出して東京の母に会いに行ったこと。著者の祖母の甥に、ヤクザからヤクザ映画の俳優になった安藤昇がいること。私は彼の名前を知らなかったが、本書にまとめられた安藤昇の生涯は、無法と暴力に彩られている。

 ここで著者がちょっと横道にそれて、丸山眞男が「無法者」のエートスを的確に定義していること(丸山はその生い立ちから右翼系の無法者に接する機会があったこと:苅部直氏の教示)や、エイコ・マルコ・シナワ氏による、近代日本の政治が無法者たちの暴力的行為と深く関わってきたという指摘に言及しているのは興味深い。ただし、近代化と暴力の関わりが明示的だったのは1960年代までで、その後は次第に隠されてきたのではないかとも思う。「サザエさん」など昭和のマンガで覚えた「愚連隊」という名称も久しぶりに聞いた。

 また、著者の曽祖父・山田興松は「水中花」を発明して米国市場に進出したり、造花をカリキュラムにした女子教育に携わったりしていた。著者は2002年に母をなくし、戸籍謄本を取り寄せたのがきっかけでファミリーヒストリーに興味を持ち始め、国会図書館や新聞社のデジタルアーカイブで親族の軌跡を発見したという。著者のいうとおり、同じような体験をする人は、有名無名を問わず、これから増えるのではないかと思う。

 「近景」の最後に著者は、35年以上前、渋谷円山町のアパートで『都市のドラマトゥルギー』を書いていた自分に立ち返り、実は親族たちの軌跡のパターンを模擬的に反復していたのではないかと考える。

 終章では、山口昌男、鶴見俊輔、加藤典洋らを論じ、さらに海外の敗者論を参照する。シヴェルブシュは、敗者が敗北を否認するためのさまざまな方策(勝者への同一化、精神的な勝利の主張、報復の試み、責任転嫁 etc.)を挙げていて面白い。しかし私は、著者が山田太一ドラマを引いて語っているように、「敗者」であることを堂々と受け入れ、自分たちの「無力」に自覚的であり続ける精神に共感と尊敬を抱く。その意味で、「敗者から眺める」ことが東京の未来につながると著者は説くのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年3月食べたもの@広島

2023-03-12 15:26:23 | 食べたもの(銘菓・名産)

木金は広島へ1泊2日の出張。観光の余裕はなかったが、同行者のおかげで食事は充実していた。初日は広島駅構内のお好み焼き居酒屋「広島乃風」で夕飯。名前を聞いてもよく分からない、広島独特のメニューがたくさん。カキのバター焼きが美味しかった。これはチチヤスの乳酸菌飲料「チー坊」をつかったチー坊ハイボール。

翌日の昼は、お好み焼・鉄板焼「いろどり」で昨晩に続いて広島焼を。ふらっと入った小さなお店だが美味しかった。店主のお兄さんは「今年2月にオープンしたお店なんですよ~」とおっしゃっていたが、長く続いていくといいな。機会があったらまた食べに来たい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危機に立つ人類の選択/流浪地球(劉慈欣)

2023-03-09 23:25:39 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『流浪地球』 KADOKAWA 2022.9

 『三体』で知られる劉慈欣のSF短編集。収録作品は2000年から2009年に発表されたものだという。正直に告白すると、私は今年の春節映画『流浪地球2』が好評というニュースを見て、そういえば2019年の映画『流浪地球』も見ていないなあ、と思い出し、まずは原作を読んでみるかと思って、本書を手に取った。そうしたら、標題作はすぐに終わってしまって肩透かしをくらった。「訳者あとがき」によれば、映画が原作を踏襲しているのは基本設定のみで、キャラクターもプロットも別物なのだという。

 しかし、本書を読み始めたことを後悔したかといえば、全くそんなことはない。どの作品も面白かった。奇想天外な設定を、いかにも事実(科学)らしく、緻密な描写を積み上げていく筆力に感服した。

 「流浪地球」は、400年後に太陽が大爆発を起こす、と天体物理学者が予測した世界の物語。人類は滅亡を逃れるため、地上に巨大な「地球エンジン」を建設し、地球の自転を止め、太陽のまわりを回りながら次第に加速し、太陽系を離脱してプロキシマ・ケンタウリを目指すことにした。計画開始からまもなく4世紀、いよいよ太陽系を離れる「脱出時代」に直面して、「太陽は爆発しない、我々は騙された」と主張する人々の反乱が暴発する。劉慈欣の作品世界では、宇宙時代になっても人類は「扇動」に揺れ動き「反乱」を繰り返すのだ。

 「ミクロ紀元」は、人類が移住できる惑星を探査する旅に出た「先駆者」の物語。二万五千年後、彼が地球に戻ってみると、そこには体のサイズを羽虫ほどにミクロ化することで生き残ったミクロ人間たちが新たな文明を築いていた。全宇宙でただひとりのマクロ人間となった主人公は、地球の未来のための選択を迫られる。マクロとミクロ、巨大な存在と卑小な存在の対比も、作者が繰り返し扱っているテーマである。

 「呑食者」では、あるとき、巨大なトカゲのような姿の異星人が地球に現れる。彼は巨大な宇宙船「呑食者」の先触れで、人類を家畜化し、地球そのものを食い尽くすことを宣言する。国連地球防衛軍の大佐である主人公は、異星人の使者・大牙と交渉し、月に人類の避難所をつくることの許可を得る。百年後、一部の人類を載せた月は、核爆弾の推進力によって地球周回軌道を離脱する。しかし地球防衛軍の真の目的は、迫りくる「呑食者」に月をぶつけて破壊することだった。主人公の大佐(最後は元帥)と配下の兵士たちの気高さ、清々しさ。邪悪で狂暴な異星人に見えた大牙が、種族を超えて、人類の戦士たちに共感と敬意を抱くのもよい。軍人嫌いの私が、この物語にはすっかり魅入られてしまった。

 「中国太陽」は、本書の中でいちばん好きな作品。中国西北部の貧しい村に生まれた水娃は、炭鉱や建築現場で働いたあと、北京に出て高層ビルの窓拭き作業員(スパイダーマン)をしていた。そこを中国太陽プロジェクトの主席科学者・陸海にスカウトされ、宇宙空間で中国太陽(人工太陽)の鏡面清掃に従事することになる。小学校しか出ていない彼は、宇宙から地球を眺める体験や、スティーブン・ホーキング博士との交流によって、少しずつ思索と信念を深めていく。そして中国太陽が役目を終えて太陽系の外へ送り出されることになったとき、それに乗り込み、恒星間探査に旅立とうと決意する。これも作者の文脈でいえば、「虫けら」の可能性や創造性を信じる暖かい物語である。

 この作品を読みながら、私はずっと泣いていた。10代の頃に読んだ古典的なSF小説(と、それに影響を受けた日本のSFマンガ)の読後感がよみがえるような気がした。未知の宇宙にあこがれるロマンと、未来を信じる楽観主義。作中で、主人公の水娃が「人類は前世紀の60年代には月に降り立ったのに、なぜそのあと人宇宙開発は後退してしまったんだろう?」と問いかける場面がある。エンジニアは「人間は現実的な動物」「前世紀の中ごろは、理想と信念に駆り立てられていたが、長つづきしなかった」「経済的利益のほうが上だ」「(あのまま宇宙開発を続けていたら)地球はまだ貧困から抜け出せていなかったかもしれない」と答える。そうか、私は物心ついた頃に「理想と信念に駆り立てられていた」時代を記憶している世代だが、その後はずっと「経済的利益」優先の時代を生きてきたのだと思うと、寂しくて胸にこたえた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓所も梅園もあり/本門寺の狩野派展(池上本門寺霊宝殿)

2023-03-07 21:46:46 | 行ったもの(美術館・見仏)

池上本門寺霊宝殿 『本門寺の狩野派展』(2023年2月19日~5月28日. 前期:2月19日~4月16日)

 狩野派には、いろいろな展覧会の影響でじわじわ関心を持つようになった。狩野派の始祖・正信が日蓮宗の信者であったこと、江戸へ本拠を移した江戸狩野の人々が、日蓮上人の入滅の地である池上本門寺(大田区池上)を菩提寺としたことは、以前にも聞いた記憶がうっすらある。

 池上本門寺には一度も行ったことがなかったが、この展覧会のチラシを見て、行ってみようと思った。地下鉄の西馬込駅で下車して、おやこれは10月に太田区立郷土博物館の『勾玉展』を見るために下りた駅だと思い出した。ほとんど縁のなかった大田区へ半年に2回も足を踏み入れるのも不思議な縁である。途中の池上梅園(入園料100円)に寄り道して、裏参道から本門寺に入った。

 宝物殿に展示の絵画作品は30件弱。冒頭には伝・狩野之信(かのうゆきのぶ、1513-1573)筆『花鳥山水図』屏風。水墨の山水に彩色の花鳥を配したもの。正信の子、元信の弟だという。ビッグネームである伝・狩野元信(1476-1559)の『瀧図』2幅もあったが、これは解説にもいうとおり工房作だろう。それから江戸狩野の尚信、常信、周信らの作品が並ぶ。いかにも狩野派らしい顔のトラの絵があると思ったら、『竹に虎図』は徳川吉宗の作だった。なかなか巧い。

 続いて、あまり知らない狩野古信(ひさのぶ、1696-1731)という絵師の大作『琴棋書画図屏風』があった。中国の楼閣の中で、官人(文人)と官女たちが琴棋書画を楽しんでいる。こういうのは男女が別集団で描かれることが多いのではないかと思うが、梅の木の下に敷物を敷いて、官人と官女(皇帝と皇妃だろうか?)が向き合って囲碁を楽しんでいるのを珍しく感じた。古信は吉宗に重用されて古画の模写などに携わったが、現存する作品は少ないそうだ(※参考)。

 印象的だったのは、狩野養信(おさのぶ、1796-1846)の『薬玉に猫図』。白黒ブチの子猫が薬玉の紐にじゃれついている。子猫の身体のやわらかさがよく分かり、のどかな趣きが表現されている。

 絵画以外では、中橋狩野家の最後の当主から本門寺・南之院に寄贈されたという木造毘沙門天立像(江戸時代・17世紀)が出ていた。もとは木挽町狩野家にあったものと見られている。さらに、木挽町狩野家の歴代当主の位牌(尚信夫妻、常信、周信など)、副葬品、さらに狩野養信の遺骨をもとにした立体の復顔像(2001年制作)もあって、びっくりした。

 同寺の境内には約90基の狩野派墓所が残されており、案内パンフレットには奥絵師当主や高弟など34基+記念石造物2基が地図・写真つきで掲載されているが、あまりに多すぎて、誰かの墓所を選んで参拝していくのが申し訳なくなってしまった。しかも探幽や尚信、安信(三兄弟)の墓所は、私が行きに上ってきた大坊坂の途中らしかったので、今回は参拝を止めた。そのかわり、霊宝殿の裏手に英一蝶の墓所があるというので、ここだけ訪ねていこうと思って墓苑の中を探した。しかし見つけることができなかった。

 本門寺の本堂にもお参りしたが、井桁に橘という井伊氏と同じ家紋なのが気になった。調べたら、日蓮が橘氏の子孫であるとの伝承に由来するらしい。また、井伊直政が日蓮宗に帰依して「日蓮と井伊家はもともと同族である」と言い出したとも伝わる。へえ面白い。

 また、自分のブログを検索したら、一坂太郎氏の『仁王』によれば、本門寺の仁王像は、アントニオ猪木の肉体をモデルにしているらしい。次回訪問時はよく見てこよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023木場の河津桜と日本橋のおかめ桜

2023-03-05 18:21:55 | なごみ写真帖

大横川沿いの河津桜が見頃だと聞いたので見に行ってきた。大横川は、我が家の前では東西に流れているが、木場公園の東側で南北に向きを変える。永代通りの沢海橋から北側を眺めると、ピンクの雲のような桜並木が両岸に続いていた。

このあたりは川岸が私有地のため近づけないが、しばらく北上すると遊歩道に出る。

河津桜(カワヅザクラ)は、桜としては濃いピンク色が特徴。細い雄しべがキラキラしてて、工芸品のような美しさである。

桜並木には、ところどころ、薄いピンクの別品種も交じる。

ネットの情報によれば、もともとは静岡県河津町を訪れ本場の河津桜に感激した区民が2000年に区に苗木を寄付したのが始まりで、その後も区が植樹を続け、現在の景観になったそうだ。

木が若いせいか、樹高はあまり高くないが、みっしりと隙間なく花がついている。

散歩の足を延ばして日本橋へ。あじさい通りのオカメザクラも見ごろになっていた。

オカメザクラは、樹高が大きくならず、花も小さいので、狭い庭や盆栽で楽しむことが多いという。確かに河津桜を見てきた後だと、さくらでんぶのように儚げだが、そこが魅力でもある。

我が家の前のソメイヨシノの開花までは、もう少し。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎図さまざま/京都画壇と江戸琳派(出光美術館)

2023-03-04 20:15:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『江戸絵画の華. 第2部 京都画壇と江戸琳派』(2023年2月21日~3月26日)

 エツコ&ジョー・プライス夫妻(プライス財団)から同館に寄贈された作品を公開する展覧会の第2部は、円山応挙など京都画壇と、酒井抱一ら江戸琳派の画家を中心に展示する。

 はじめに円山派の風景画。応挙の『懸崖飛泉図屏風』は4曲・6曲屏風の組合せ。人の姿のない清冽な自然を描く。源琦の『雪松図屏風』は、応挙の屏風(三井記念美術館所蔵)の写しなのか。画面の縦を少し広げているせいか、原本よりものびのびした印象がある。応挙の軸物『赤壁図』は、この直前に『木米』展を見たこともあって、船の中で煎茶を楽しんでいる様子が気になった。

 続くセクションは円山派の動物画を特集。本展のメインビジュアルにもなっている、応挙の『虎図』は意外なほど小さい画面。しかし、毛皮の一筋ずつを丹念に描き込んでおり、その柔らかで滑らかな手触りが伝わってくる。源琦の虎は爬虫類みたいな目をしているし、森狙仙の虎は、バーのマダムみたいなぱっちりお目々だった。江戸時代の虎図は、哺乳類のトラではなく、何か全く別の神霊を描いているようでおもしろい。

 ほか、いろいろな作品がある中で、亀岡規礼の『撫子に蜻蛉図』が印象に残った。朝鮮の草虫図を思わせる作品で、ゆらゆら、たゆたうような撫子の株に蝶や蜻蛉を配する。初めて知った名前の画家だが、京都生まれで円山応挙と山本守礼に学んだそうだ。あと、森徹山の『仏涅槃図』に駱駝(だけ)が雄雌つがいで描かれていたことをメモしておこう。江戸後期、駱駝は夫婦和合の象徴と考えられていたことと関連していると思う。

 後半は江戸琳派。鈴木守一の『扇面流し図屏風』が、デザインも色彩もビビッドで興奮した。酒井抱一の『十二か月花鳥図』12幅対は、たぶん初見ではないと思うが、抱一には多数の十二ヶ月花鳥図があるらしいので、記憶が混乱しているかもしれない。どれも上品な色彩で、手慣れた構図にまとめている。個人的には、花木に小さな虫を配した四月や八月が好き。

 このほか、鈴木其一や中村芳中など、多様な作品を日本に里帰りさせていただいたこと、あらためてプライスさんに感謝したい。ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川古石場で無声映画観賞会

2023-03-01 21:45:01 | 行ったもの2(講演・公演)

江東区古石場文化センター 第775回無声映画観賞会「ふるさと深川で楽しむ小津安二郎の世界」(2023年2月26日)

 日曜の午後、近所の文化センターの催しで、弁士つきの無声映画というものを見てきた。上映作品は2本で、はじめの『子宝騒動』(昭和10/1935年)は喜劇というより、アメリカ風のスラップスティックコメディと呼んだほうがぴったりくる。貧乏子だくさんの福田さんは、産気づいた奥さんのために産婆さんを呼ぼうと奮闘する。無声映画だから可能なナンセンスギャグの連発は、現代の目にも新鮮で面白かった。監督は「喜劇の王様」と呼ばれた斎藤寅次郎だが、無声喜劇のほとんどが散逸しており、現存するのは本作を含む数作品だけだという。

 次の『出来ごころ』(昭和8/1933年)は小津安二郎監督。東京下町の日雇い労働者で男やもめの喜八は息子の富夫と暮らしており、なじみのめし屋のおかみさん、ふらりと現れた若い娘の春江、喜八の隣人の次郎などが登場する。コメディ要素もあるけれど、全体としては、しっとりした人情ドラマの趣き。私は映画の歴史はよく知らないのだが、1930年代前半には、すでに小津安二郎は批評家から高い評価を受けており、本作はキネマ旬報ベストテンの1位にも選ばれているそうだ。

 1930年代といえば、産業化が急速に進み、洋風のライフスタイルが一般化した時代というイメージだったが、映画の中のように、シャツにステテコの長屋暮らしが庶民の多数派だったのかな。工場に仕事に行くときはシャツにズボンだが、ここぞという時は着物に羽織、という描写も面白かった。あと、金策のために喜八が選んだのが「北海道くんだり」まで行って蟹工船に乗ることというのも時代である。

 この無声映画観賞会は、無声映画専門の「マツダ映画社」が、シリーズで各地で開催しているものらしい。同社のページに弁士や伴奏音楽演奏者の紹介も掲載されている。私は人形浄瑠璃とか落語とか朗読とか、ひとりが複数の人格を語り分ける、語りもの文芸が全般的に好きなので、また機会があったら見てみたいと思った。

 鑑賞会のあとは、誘ってくれた友人と「華蔵」で軽く呑み。春らしいおつまみの3点セットが美味しい。

春はもうすぐそこ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする