見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

強面と弱腰の二面性/文部科学省(青木栄一)

2021-04-14 16:54:34 | 読んだもの(書籍)

〇青木栄一『文部科学省:揺らぐ日本の教育と学術』(中公新書) 中央公論新社 2021.3

 本書は、教育行政学を専門とし、文科省の所轄機関である国立教育政策研究所に在籍したこともある著者が、文科省の内部に分け入り、また外部との関係から、その真の姿に迫った著作である。批判ありきで書かれたジャーナリスティックな文科省研究と異なり、データの点でも組織理解の点でも、納得できることが多かった。

 文科省は(一般にはあまり知られていないと思うが)2001年に文部省と科学技術庁が統合されて発足した組織であり、本書はこの経緯を重視する。旧文部省は「機会均等」を機関哲学(組織の大目標)としていたが、官邸や自治体からの外圧に加え、科技系からの内圧により、「選択と集中」路線が強まっている。文科省の主要組織は、教育三局(総合教育政策局、初等中等教育局、高等教育局)と研究三局(科学・技術政策局、研究振興局、研究開発局)で、教育三局は各局の独立性が高いが、科技庁由来の研究三局では政策の調整や統合を行いやすい(分かる)。高等局と研究三局は、文部系と科技系が混じり合う「汽水域」となっている。なぜなら、文部系からみれば国立大学は「学術」の中心地であるが、科技系にとっては「科学技術」に貢献する国立研究機関と同様の「手足」の一つであるからだ(すごく分かる)。

 私は主に高等教育まわりに興味があって本書を読み始めたのだが、初中等教育の話も新鮮で興味深かった。特に予算に関して、文科省が教員給与(義務教育費国庫負担制度)と学校施設(公立学校施設整備費負担金)に基づく安定的な財政支援によって「世界に誇る義務教育」を維持してきた意義はよく分かった。しかし著者は、これらの制度を評価しつつも、文科省がその成功体験に安住し、政治家、財界、国民等から、新たな支持を調達することを等閑視してきたため、「ときどき降ってわいてくる外野からの思いつきの教育改革案に振り回されてしまう」と厳しい。実際に、1990年代以降、財政制度見直しが本格化し、文科省は大きなダメージを追ってしまった。

 文科省は伝統的に義務教育と国立大学を重視してきたが、その間にある高校教育にはあまり関与してこなかった。しかし民主党政権下で高校無償化がうたわれ、続く自公政権で見直し(所得制限)が加えられたものの、経済的な就学支援が制度化された。それとともに文科省は高校教育への関心を強め、はじめて初中等教育と高等教育を包括する戦略を扱うようになった。今さらかい!と思うが、そういえば「高大接続」という耳慣れない言葉が流行り始めたのはこの頃だったかも。

 大学について。法人化した国立大学では、学長への権限集中が推奨されているが、大学の財政基盤が弱体化した現状では、権限が集中した学長が行えるのは、限られたパイの中での合理性追求だけで、疲弊した自治体で公務員の人件費削減を訴えて当選する「改革派首長」と同じこと、という皮肉の効いた批判には苦笑した。国立大学法人化の失敗の原因は、国立大学の準備不足、覚悟不足もあるが、文科省にも一因がある。そもそも文科省の多くの職員が国立大学を知らない。国立大学の博士課程の醍醐味を知っている(博士号を有する)職員をもっと増やすべきだし、国立大学の教員(職員ではない)が文科省職員として一定期間働く仕組みをつくってはどうか、という提案も面白いと思った。

 それから、文科省は国立大学協会を相手にしていれば業務に支障がないので、その外側に「応援団」をつくる努力を払ってこなかったという。学校教育における教育委員会にも似たところがある。官邸や財務省にはからきし弱いのに、教育委員会や国立大学には強い姿勢をとる「内弁慶の外地蔵」と揶揄されるゆえんで、文科省は、最前線が受けるしわ寄せには目をつぶり(しばしば理念先行で資源制約を考えない)、無責任な「間接統治」をおこなっているとも言える。

 本書は、この「間接統治」の構造を打破するために、文科省には「金目の議論から逃げない」「(予算と人員を獲得するための)ロビイング活動から逃げない」「政治(政治的支持連合づくり)から逃げない」という3つの姿勢が必要と説く。文科省だけでなく、大学や学校の職員の立場でも胸に刻みたい提言だと思う。

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人の心に潜むもの/あやしい絵(国立近代美術館)

2021-04-10 23:14:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立近代美術館 企画展『あやしい絵』(2021年3月23日~5月16日)

 予想外に混んでいた。実は、予約優先制を取っていることを知らずに先週行ってみたら、当日入場希望者がすごく並んでいたので、あきらめて今週リベンジしたのだ。ニッチなテーマの展覧会だと思っていたので、人気ぶりにちょっと驚いた。本展は、幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿絵などから、退廃、妖艶、グロテスク、エロティックなど「単なる美しいもの」とは異なる表現を紹介するもの。

 私が、この手の絵画に本格的な関心を持ったのは、2018年に千葉市美術館で見た『岡本神草の時代展』あたりからで、同展で甲斐庄楠音や稲垣仲静の作品も見た。さらにミュージアムショップで、松嶋雅人さんのムック本『あやしい美人画』(東京美術、2017)を買って帰り、強烈な図版の数々をうっとりと眺め暮らし、北村恒富や島成園の名前も覚えた。以上は、いずれも今回の展覧会で作品に出会うことのできる画家たちである。

 会場の冒頭には、不思議なフォルムの猫の絵があった。混んでいて近づけなかったので分からなかったが、図録を見ると、稲垣仲静の描いたものだ。彼の代表作『太夫』と並べてみると、色合いと歪み具合がどこか似ていて興味深い。それから、国芳、芳年、芳幾など、江戸の「奇想」と血みどろの錦絵。スポットライトを浴びて浮かび上がるのは官女姿もあでやかな、安本亀八の生人形『白瀧姫』(桐生歴史文化資料館所蔵、写真)。河鍋暁斎の大作『地獄極楽図』に祇園井特の『美人と幽霊図』2幅。いや、ちょっと欲張り過ぎで、質の違う「あやしさ」を集め過ぎではないかと思う。おもしろいけど頭が混乱した。

 やがて近代化が進むと、個性が花開き、人間の心に潜む感情や欲望がさまざまに表現されるようになる。当時の日本人に刺激を与えたミュシャやビアズリーなど、海外の作品もあわせて展示。海外の影響そのままのバタ臭い作品もある中で、藤島武二の描く女性はいいなと思った。

 興味深く感じたのは、「あやしい絵」には文学作品とかかわるものが多いこと。会場全体を通して、壁に和歌や歌謡の一節がそっと控えめに掲示されていた。さまざまな画家が題材にした作品のひとつが「道成寺」で、木村斯光の『清姫』は、一見ふつうの美人画なのに、思いつめた表情の異形性がぞっとするほどよいなあ。泉鏡花の「高野聖」にもこんなにオマージュ(?)作品があったとは。橘小夢は、弥生美術館所蔵のモノクロ作品より、初めて見た個人蔵作品が好きだ。裸の美女にまといつくような馬。谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』ももちろん好きな作品。鏑木清方の『妖魚』は4/4まで展示だったのか!残念。橘小夢は、谷崎の『刺青』を題材にした小品(個人蔵)も描いている。裸の少女の背中を覆う、グロテスクな女郎蜘蛛の刺青。えぐいほどのエロティシズム。

 そしていよいよ!あやしい絵のクライマックス。北村恒富の『淀君』、島成園の『無題』(痣のある自画像)。梶原緋佐子の『唄へる女』『老妓』もよかった。甲斐庄楠音は『横櫛』(図録を見ると、へえ、同じ題名で類似の作品もあるんだ)『畜生塚』『幻覚(踊る女)』『舞ふ』4点を見ることができた。未完成のデッサンのような女性の裸体群像で構成された『畜生塚』は前衛的でインパクト大。岡本神草は『拳を打てる三人の舞妓の習作』が出ていてなつかしかった。このへんは、京都や大阪の美術館に所蔵されているものが多く、東京で見る機会をつくってもらったのはありがたい。このほか、挿絵画家として活躍した高畠華宵、蕗谷虹児、小村雪岱なども取り上げられていた。雑誌『新青年』に掲載された横溝正史「鬼火」の挿絵(竹中英太郎)も独特の雰囲気。

 目配りの広い展覧会だが、展示替えが多くて、一回では全貌が把握できないのは残念。個人的には、松岡映丘の『伊香保の沼』が入っていないのは解せない。あと山本芳翠や牧島如鳩は、私の中では「あやしい絵」の範疇に入っているのだが、やっぱりちょっと趣旨が違うのかしら。

 平常展『MOMATコレクション』も久しぶりに見てきた。菊池芳文の『小雨ふる吉野』、川合玉堂の『行く春』など、この時期らしい作品が出ており、岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』には、練馬区立美術館の『電線絵画展』を思い出した。前田青邨の墨画絵巻『神代之巻』(海幸・山幸の物語らしい)は飄々として面白かった。

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鎌倉の至宝(鎌倉国宝館)+海蔵寺の海棠

2021-04-08 21:28:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

鎌倉国宝館 特別展『鎌倉の至宝』(2021年3月20日~5月9日)

 久しぶりに鎌倉を訪ねた。調べたら、鎌倉国宝館の記事を書くのは、2019年5月の特別展『知られざる円覚寺の至宝』以来のようだ。そういえば昨年は、一度も鎌倉に行かなかったかもしれないかもしれない。本展は、国宝・重要文化財ななどの名品を一堂に展示する、年に一度の特別展である。

 平常展示「鎌倉の仏像」は、だいたいいつものレギュラーメンバーだが、左右に炎を噴き出すような、珍しい宝冠をかぶった仏様がいらっしゃった。建長寺の宝冠釈迦如来坐像である。頭髪を高く三角形に結い上げ、その前面に骨だけの扇を広げたような、金属席の宝冠をつける。顔立ちは福々しく温和。よく見ると小柄なのだが、長い袖が台座を覆って垂れているので、ひとまわり大きく見える。円覚寺伝宗庵の地蔵菩薩坐像も珍しいのではないかと思った。黒っぽくて動きの少ない、やや威圧的なお姿。衣紋は深く力強く刻まれている。襟元や左袖に土紋があしらわれているのが鎌倉風。

 後半の書画そのほかは、所蔵寺院別にまとめられていて分かりやすかった。光明寺の『当麻曼荼羅縁起絵巻』は定番だが、『当麻曼荼羅』が展示されるのは珍しいのではないか。同じく光明寺の『阿弥陀聖衆来迎図』も記憶にないものだったが、色鮮やかで可愛かった。今回のポスターになってるのは、円覚寺の絹本著色『虚空蔵菩薩像』。幻想的で、うっとりするほど美しい。これは確か、宝物風入れのときに見たことがある、と思って自分のブログを探したら、2014年の風入れの茶席の写真(※頂相三幅の奥)に写っていた。2018年にも同様にプレミアムルームで拝観している。浄永寺の絹本著色『日蓮聖人像』(室町時代)も初めて見た。上下にアイラインを引いたような、くっきりした目が印象的。浄永寺は小田原市にあるそうだ。

海蔵寺(鎌倉市扇ガ谷)

 そのあと、雨が落ちてきそうな空を気にしながら、扇ガ谷の海蔵寺に向かった。桜が終わって、藤やツツジが咲き出す前のこの時期、鎌倉の花といえば海棠である。ちょっと調べたら、「鎌倉の三大海棠」は、妙本寺、光則寺、安国論寺を言うそうだが、私がいちばん好きなのは、海蔵寺の海棠である。

 しかし私が鎌倉の隣りの逗子に住んでいた頃(ほぼ20年前だ)に比べると枝ぶりが小さくなり、花の色も桜と間違えるほど薄くて、別の木を見るようだった。

 「三大海棠」についても「以前は、光則寺と安国論寺、妙本寺の海棠が、鎌倉三大海棠と呼ばれていたが、安国論寺では、数年前に枯れていることが確認され、妙本寺の海棠も、昔の面影はなくなってしまった」という記事を見つけた(タウンニュース鎌倉版 2016/3/11)。「年年歳歳花相似たり/歳歳年年人同じからず」と言うけれど、花の命も永遠ではないのだな。

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巧さとぎこちなさ/与謝蕪村(府中市美術館)

2021-04-07 16:51:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 企画展『与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家』(2021年3月13日~5月9日)

 恒例「春の江戸絵画まつり」。昨年の『ふつうの系譜』展は、前期だけは行けたが、後期が始まる前に緊急事態宣言が発出され、中止になってしまった。その悔しさがあったので、行けるうちに行っておこうと思い、3月中に一度見に行った。

 与謝蕪村(1716-1784)は江戸時代中期の俳人で、画家としても知られている。府中市美術館のツイッターがこの展覧会の最初の告知として、「ぎこちない」をキーワードに蕪村絵画の魅力を探ると発信したのを読んだときは、ちょっと不思議な感じがした。確かに蕪村には、力の抜けた、楽しくて可笑しい俳画作品が多数ある。しかし、私が蕪村と聞いてまず思い出すのは俳句(発句)で、「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」とか「さしぬきを足でぬぐ夜や朧月」とか、古典の教養に基づき、鮮明な絵画的情景を詠んでいて、その措辞の妙たるや、巧い!巧いなあ、と感歎するしかない作品の数々である。絵画に関しても、記憶に残るいくつかの作品、たとえば『夜色楼台図(夜色楼台雪万家図)』や『鳶烏図』を思い出して、ぎこちないかな?と首をひねった。

 蕪村は大阪で生まれ、江戸や北関東、京で暮らし、39歳で丹後に赴き、およそ3年間を過ごしたのち、京へ戻ってほぼ生涯を暮らした。今日、蕪村が画家として評価を受けているのは後半生の作品だが、本展は、あえて丹後時代から50歳前半頃の作品をはじめに取り上げる。正直、これ展示しちゃうの?という、ゆるゆるの出来栄え。『田楽茶屋図屏風』では、関節があるのかないのか分からない人々が歩いている。しかし楽しい絵であることは間違いない。ちょんちょんと筆先で目鼻を置いただけの人物の表情にも愛らしさがある。

 京へ戻った蕪村は、当時の流行に倣い、中国風の人物画や山水画を多く制作する。人物はどれも独特で、描きたいものを描きたいように描くという姿勢が貫かれており、ゆるいようで、他人に媚びない厳しさも感じられる。山水画はバリエーション豊富。ひょろひょろした線と淡水で描かれた木々がメインの、湿り気の多い穏やかな風景(和臭がすると言われる)もあれば、中国絵画の教科書のような堂々とした山水もある。私はどちらのパターンも好き。

 身近な風俗を題材にした俳画は、ほぼ無地の背景に人物や動物を置いて、その形態を純粋に愉しむものが多い。『又平に』や『雪月花』(弁慶と義経)は、以前の「江戸絵画まつり」でも見た記憶のあるもの。初めて見て可愛い!と思ったのは、群れ飛ぶコウモリを描いた『よい夢の』だが、これは呉春画・蕪村賛なのだな。『涼しさに』蕪村自画賛は、半纏みたいな短い着物を着て杵で臼をつくウサギを描いたもの。賛には、蕪村が旅先に泊まった家で、夜中に麦をつく老人(名は宇兵衛)に出会った話が書いてある。この卯兵衛(宇兵衛)さん、例によって関節がなさげなのと、とぼけた表情がかわいい。

 大作『山野行楽図屏風』は、たまに東博に出ているのを見たことがあり、好きな作品である。登り坂をゆく人々は大変そうだが、老いも若きも楽し気で「Climb Every Mountain」の歌を思い出したりする。もうひとつ個人蔵の『春野行楽図屏風』は初めて見た。二曲一双屏風のほぼ全面は、金銀の砂子の雲を散らした縹渺たる空で、画面の下側、わずか四分の一かそれ以下のところを小さな人物たちがぽつりぽつりと歩んでいる。この屏風は、ガラスケースに収めない露出展示なのも嬉しかった。

 いま図録を楽しく拾い読みしているが、後期に出る『山水図屏風』(個人蔵、金地墨画淡彩)をぜひとも見たい。昭和36(1961)年に『国華』に掲載されて以来、広く紹介される機会がなかったものだという。行かねば!

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遊び心とその影響/椿井文書(馬部隆弘)

2021-04-06 22:02:18 | 読んだもの(書籍)

〇馬部隆弘『椿井文書:日本最大級の偽文書』(中公新書) 中央公論新社 2020.3

 2021年の新書大賞第3位に輝いた話題作。絶対面白いに違いないと思っていたが、読んでみたらやっぱり面白かった。椿井文書(つばいもんじょ)とは、江戸時代後期の国学者で山城国相楽郡椿井村出身の椿井政隆(1770-1837)が、依頼者の求めに応じて偽作した文書類である。厳密には、古文書とは差出人と宛先が記されたもので(それ以外は古記録)、差出人を偽ったものを偽文書と呼ぶが、椿井文書には由緒書や系図・絵図も含まれ、数百点が流布しているという。

 椿井政隆がなぜ大量の偽文書を作成したかはよく分からないが、伝統的な利権をめぐって村と村の争いのあるところに出没することが多い。論争を有利に導く文書(エビデンス)が必要とされたためだ。椿井は地域の中核となる神社や史蹟に立脚し、中世の年号が記された文書を近世に写したという体裁で、その由緒書等を創作する。対象が目に見えるかたちで実在するので、真実味を帯びやすい。さらに関連の系図や連名帳・書状などを芋ヅル式に創作して、信憑性が担保されるように見せかける。すごい。

 果てはカラフルで細密な絵地図まで創作しており、その精力的な創作欲に驚く。中には「空想を楽しんでいるとしか思えない」ものもあり、「悪意というよりも、遊び心をもって自己満足のために作成する椿井正隆」の姿が想像できる。即売を前提とせずに作成されたものもあり(椿井家に残されていたが、のちに流出)「椿井正隆の偽文書創作は趣味と実益を兼ねたものであったが、彼個人としては前者に重きを置いていたのではななかろうか」と著者はいう。確かに「日本最大級の偽文書」と言いながら、おどろおどろしい印象は全くないのだ。

 椿井文書は、近江・山城・大和・河内など近畿一円に分布しているが、知識人の多い都市部(奈良市中・京都市中)は意識的に避けていたようだ。明らかに書札礼を無視した文書、未来年号(改元前に次の年号を使用する)など、明らかに偽文書であることが分かるように作られたものも多く、発覚したときの言い訳が考えられていたのではないかという指摘も興味深かった。

 悩ましいのは、現在に及ぶ影響である。戦前、関西では椿井文書に疑惑の目が向けられていたが、戦後歴史学には十分に情報が継承されなかった。しかも分野の細分化が進み、現物を見ずに活字史料のみを用いる研究者が増えたこと、加えて、地域史の隆盛によって、椿井文書は自治体史等に利用されるようになる。カラー絵地図の見栄えのよさも幸い(災い?)した。ついには史蹟に立つ説明版に図版が用いられたり、自治体のホームページから発信されることも…。こうなると椿井政隆の遊び心を、のどかに受け入れてはいられない。

 著者は枚方市の非常勤職員として勤務していた経験があり、「偽史を用いた町おこし」に誠実な批判を加えているが、「行政」や「市民感情」の壁は厚いようだ。自分の住んでいる地域が、偉人や伝統、歴史上の重大事件と結びついたものであってほしいという気持ちは、なかなか捨てられないのである。

 本書を読んでよく分かったのは「式内社」(延喜式神名帳に記載された神社)というのが、近世に再構築された伝統であること。そうだよなあ、そんなに何もかも古代の伝統が継承されてきたはずがない。並河誠所(1668-1738)は『五畿内志』で多くの式内社を比定しており、椿井政隆もこれを利用し、補完しようとしているが、三浦蘭阪(1765-1844)のように並河に批判的な知識人もいた。しかし、新たな由緒を主張すれば、名所づくりによって実利を生むことができるが、批判は、どんなに真っ当でも実利を生み出さないので嫌われる。そして行政のお墨付きを得た「〇〇スゴイ」の偽史だけが残るのは、悲しいかな、今も昔も変わらない構図である。

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2021大横川さくらクルーズ

2021-04-04 20:05:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

 土曜日、友人につきあってもらって、日本橋クルーズのさくら周遊クルーズ(大横川60分コース)に乗った。大横川に面したアパートに住むようになって4年、桜の季節がめぐるたびに乗ってみたいと思っていたが、いちばん忙しい年度末/年度初で、なかなか実現しなかった。昨年は予約していたのに、新型コロナの影響で運航中止。今年は、そのリベンジのつもりで楽しみにしていた。

 日本橋の南東の橋詰めにある乗船場からスタート。しばらくは高速道路の下を進む。

 兜町で高速道路と分かれる(後ろを振り返った風景)。ちょっとおしゃれな白いビルディングは日証館(渋沢栄一邸・事務所跡地)である。

 倉庫街の水路の護岸には、カモメとミヤコドリが群れていた。干潮で取り残された小魚などを食べるのだそうだ。大柄で脚とくちばしが黄色いのがカモメ、やや小柄で脚とくちばしが赤いのがミヤコドリ(ユリカモメ)と教えてもらった。ミヤコドリは、夏羽に変わると顔が黒くなり、やがてシベリアへ渡っていくそうだ。

 船は隅田川へ。大型船や高速艇が運航しているので、その横波でけっこうボートが揺れる。永代橋の下をくぐり、佃島に向かってしばらく南下。

 大島川水門から大横川に入る。桜の季節にしか通らない、レアなコースとのこと。

 残念ながら、桜の盛りは過ぎてしまったが、いつも岸から見ている風景を水上から眺めるのは新鮮で面白かった。川岸の「ヤマタネ」が山種美術館の山崎種二氏の会社であることも初めて確認できた。大横川の水深が、このときで160cmくらいしかなく、干潮時は運航できないこともあるとか、桜は水面の反射光と温かさを知覚して川面に向かって枝を伸ばすらしいとか、解説のおじさんが物知りで楽しかった。

 木場のギャザリア近く、大横川が平久川と交わる水路の交差点でUターン。同じコースを戻る。最後に「今日は特別」に、日本橋の下を東から西へくぐり、もう一度、西から東へくぐって、乗船場に着岸した。この日、4月3日は、1911年(明治44年)日本橋が木橋から現在の石橋に架け替えられ、開通式が行われた記念日なのである。そして驚いたのは、南西側のアーチの石が、黒ずんでぼろぼろであること。実は、関東大震災のとき、燃える船がぶつかって焼け焦げた跡なのだそうだ。衝撃。

 とても楽しかったので、久しぶりにフォトチャンネルもつくってみた。次回は、神田川クルーズも乗ってみたい。東京湾クルーズも。

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