〇国立近代美術館 企画展『あやしい絵』(2021年3月23日~5月16日)
予想外に混んでいた。実は、予約優先制を取っていることを知らずに先週行ってみたら、当日入場希望者がすごく並んでいたので、あきらめて今週リベンジしたのだ。ニッチなテーマの展覧会だと思っていたので、人気ぶりにちょっと驚いた。本展は、幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿絵などから、退廃、妖艶、グロテスク、エロティックなど「単なる美しいもの」とは異なる表現を紹介するもの。
私が、この手の絵画に本格的な関心を持ったのは、2018年に千葉市美術館で見た『岡本神草の時代展』あたりからで、同展で甲斐庄楠音や稲垣仲静の作品も見た。さらにミュージアムショップで、松嶋雅人さんのムック本『あやしい美人画』(東京美術、2017)を買って帰り、強烈な図版の数々をうっとりと眺め暮らし、北村恒富や島成園の名前も覚えた。以上は、いずれも今回の展覧会で作品に出会うことのできる画家たちである。
会場の冒頭には、不思議なフォルムの猫の絵があった。混んでいて近づけなかったので分からなかったが、図録を見ると、稲垣仲静の描いたものだ。彼の代表作『太夫』と並べてみると、色合いと歪み具合がどこか似ていて興味深い。それから、国芳、芳年、芳幾など、江戸の「奇想」と血みどろの錦絵。スポットライトを浴びて浮かび上がるのは官女姿もあでやかな、安本亀八の生人形『白瀧姫』(桐生歴史文化資料館所蔵、写真)。河鍋暁斎の大作『地獄極楽図』に祇園井特の『美人と幽霊図』2幅。いや、ちょっと欲張り過ぎで、質の違う「あやしさ」を集め過ぎではないかと思う。おもしろいけど頭が混乱した。
やがて近代化が進むと、個性が花開き、人間の心に潜む感情や欲望がさまざまに表現されるようになる。当時の日本人に刺激を与えたミュシャやビアズリーなど、海外の作品もあわせて展示。海外の影響そのままのバタ臭い作品もある中で、藤島武二の描く女性はいいなと思った。
興味深く感じたのは、「あやしい絵」には文学作品とかかわるものが多いこと。会場全体を通して、壁に和歌や歌謡の一節がそっと控えめに掲示されていた。さまざまな画家が題材にした作品のひとつが「道成寺」で、木村斯光の『清姫』は、一見ふつうの美人画なのに、思いつめた表情の異形性がぞっとするほどよいなあ。泉鏡花の「高野聖」にもこんなにオマージュ(?)作品があったとは。橘小夢は、弥生美術館所蔵のモノクロ作品より、初めて見た個人蔵作品が好きだ。裸の美女にまといつくような馬。谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』ももちろん好きな作品。鏑木清方の『妖魚』は4/4まで展示だったのか!残念。橘小夢は、谷崎の『刺青』を題材にした小品(個人蔵)も描いている。裸の少女の背中を覆う、グロテスクな女郎蜘蛛の刺青。えぐいほどのエロティシズム。
そしていよいよ!あやしい絵のクライマックス。北村恒富の『淀君』、島成園の『無題』(痣のある自画像)。梶原緋佐子の『唄へる女』『老妓』もよかった。甲斐庄楠音は『横櫛』(図録を見ると、へえ、同じ題名で類似の作品もあるんだ)『畜生塚』『幻覚(踊る女)』『舞ふ』4点を見ることができた。未完成のデッサンのような女性の裸体群像で構成された『畜生塚』は前衛的でインパクト大。岡本神草は『拳を打てる三人の舞妓の習作』が出ていてなつかしかった。このへんは、京都や大阪の美術館に所蔵されているものが多く、東京で見る機会をつくってもらったのはありがたい。このほか、挿絵画家として活躍した高畠華宵、蕗谷虹児、小村雪岱なども取り上げられていた。雑誌『新青年』に掲載された横溝正史「鬼火」の挿絵(竹中英太郎)も独特の雰囲気。
目配りの広い展覧会だが、展示替えが多くて、一回では全貌が把握できないのは残念。個人的には、松岡映丘の『伊香保の沼』が入っていないのは解せない。あと山本芳翠や牧島如鳩は、私の中では「あやしい絵」の範疇に入っているのだが、やっぱりちょっと趣旨が違うのかしら。
平常展『MOMATコレクション』も久しぶりに見てきた。菊池芳文の『小雨ふる吉野』、川合玉堂の『行く春』など、この時期らしい作品が出ており、岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』には、練馬区立美術館の『電線絵画展』を思い出した。前田青邨の墨画絵巻『神代之巻』(海幸・山幸の物語らしい)は飄々として面白かった。