○加藤陽子『戦争まで:歴史を決めた交渉と日本の失敗』 朝日新聞社 2016.8
大きな反響を呼んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009)の続編と言っていいだろう。前作は神奈川県の男子校で、中学一年生から高校二年生までの17名の生徒を相手に行った講義だったが、今回はジュンク堂書店池袋本店の企画で、さまざまな学校の高校生・中学生が参加している。
初回は、歴史(学)とは何かという総論から始まる。シラバスのお手本みたいだ。日本という国家が最初に書いた歴史書『日本書紀』は、白村江の戦いの後に成立した。これは、戦勝国の唐に対して、倭国が日本という新しい国に生まれ変わったことを主張するために書かれたのだという。「ある意味で、自ら憲法原理を書き換えたということになりますね」と著者。え~この視点は知らなかった。注を見たら、東大の大津透さんが論じているらしい。そして、昭和天皇も、太平洋戦争に負けた翌年、日本が負けたのは初めてではない、663年、白村江の戦いに敗北し、その後に改新が行われ、日本の文化の発展の転機となった、ということを述べているのだそうだ。こういう「長い時間のものさし」で世の中を見ることの大切さを著者は説くのだが、それにしても天皇家のものさしは見事に長いなあ…。
2回目以降は、近代日本が世界と「斬り結ぶ」体験をした3つの事件を時代順に取り上げる。「満洲事変とリットン報告書」「日独伊三国同盟」「(日米開戦前の)日米交渉」である。共通した感想は、こんなに重要な事件なのに、日本人である私が、基本的なことをほとんど知らないという事実。リットン報告書といえば、日本の主張を否認し「満州国は民族自決によって作られた国ではない」と結論したことで、日本が国際連盟を脱退するきっかけとなったもの、と理解してきた。しかし、本書の紹介によると、中国側の非も指摘しており、具体的な調停案は、かなり日本に譲歩する内容となっている。にもかかわらず、当時の日本の新聞が「支那側狂喜」と報じていたというのは、やれやれという感じだ。
一方、昨今、一部の人々に見られるように、リットン報告書が示している日本への同情を過大に評価するのもいかがなものか。リットンは、満州国の実態が「傀儡」であることを承知しながら、日本に対して、お前は侵略者だろう、と指さすのではなく、日本が交渉のテーブルにつける条件を準備したと著者は述べている。本書には、こういう驚くほど我慢強い、老練で老獪な外交官や政治家がたくさん登場する。世界の歴史は、子供のケンカのような単純な二分法で動いてきたわけではないのだ。
なお、昭和天皇は、リットン報告書の調停案を先取りするように、満洲国に新政権をつくり、張学良をトップに据えることは不可能か、と陸相らに問いかけている。これはすごいわ~。天皇がいかに「日支親善」を心底望んで、具体案を考え抜いていたかが分かるように思う。
日独伊三国軍事同盟は、さらにさまざまな思惑が絡んでいてややこしい。まず軍事同盟の三要素 (1)仮想敵国の設定 (2)援助義務 (3)それぞれの勢力圏、の説明がある。今後の安保関連法制を見て行くためにも覚えておきたい事柄。三国同盟の仮想敵国はアメリカであり、アメリカが日独伊いずれか一国を攻撃したら、日独伊も参戦することとした。より重要なのは、日本の勢力圏として掲げられた「大東亜」で、第二次世界大戦がドイツの勝利で終結した場合、日本はフランス、イギリス、オランダの旧植民地を手に入れるつもりでいた。つまり、三国同盟は「戦後のドイツ」を牽制するために結ばれたのである。これは河西晃祐さんの説とのこと。目からウロコが落ちる。
日米交渉については、「ハル・ノートはアメリカの罠」「駐米日本大使館員の怠慢による対米通告の遅れ」などの風聞をばさばさと退ける。しかし、アメリカは日本の真珠湾攻撃を予測できなかった。石油生産でもGDPでも圧倒的な差があるにもかかわらず、戦争を仕掛けてくる不合理な国があることを見落としていた。この失敗は、戦後、アメリカにとって「ソ連の不合理な行動を予見するプログラム」を開発する際の重要な歴史的教訓となったという。たぶん今も、たとえば北朝鮮の行動を評価するときも日本の教訓は生かされているんだろうな。
そして日本人として考えなければいけないのは、なぜ日本は勝ち目のない戦争に走ってしまったのか。「やっぱり民衆の声が大きかったのですか」という質問に対し、著者は「これを避けるための一つの知恵は教育だと思うのです」と答える。戦前は、普通の子どもたちにとっての天皇は、修身の授業で習う神話の中の天皇だった。本当の古代史を教えてもらえるのは旧制高校に入ってからで、100人に1人くらいしかいなかった。それでは正しい「歴史のものさし」は持ちえないし、最適解は選べない。本当にそうだと思う。いま小中学校で、道徳教育の拡充を図る動きがあるけれど、そんな余裕があるのなら、史料に基づく歴史を学ばせたほうがよほど有意義なのではないだろうか。
大きな反響を呼んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009)の続編と言っていいだろう。前作は神奈川県の男子校で、中学一年生から高校二年生までの17名の生徒を相手に行った講義だったが、今回はジュンク堂書店池袋本店の企画で、さまざまな学校の高校生・中学生が参加している。
初回は、歴史(学)とは何かという総論から始まる。シラバスのお手本みたいだ。日本という国家が最初に書いた歴史書『日本書紀』は、白村江の戦いの後に成立した。これは、戦勝国の唐に対して、倭国が日本という新しい国に生まれ変わったことを主張するために書かれたのだという。「ある意味で、自ら憲法原理を書き換えたということになりますね」と著者。え~この視点は知らなかった。注を見たら、東大の大津透さんが論じているらしい。そして、昭和天皇も、太平洋戦争に負けた翌年、日本が負けたのは初めてではない、663年、白村江の戦いに敗北し、その後に改新が行われ、日本の文化の発展の転機となった、ということを述べているのだそうだ。こういう「長い時間のものさし」で世の中を見ることの大切さを著者は説くのだが、それにしても天皇家のものさしは見事に長いなあ…。
2回目以降は、近代日本が世界と「斬り結ぶ」体験をした3つの事件を時代順に取り上げる。「満洲事変とリットン報告書」「日独伊三国同盟」「(日米開戦前の)日米交渉」である。共通した感想は、こんなに重要な事件なのに、日本人である私が、基本的なことをほとんど知らないという事実。リットン報告書といえば、日本の主張を否認し「満州国は民族自決によって作られた国ではない」と結論したことで、日本が国際連盟を脱退するきっかけとなったもの、と理解してきた。しかし、本書の紹介によると、中国側の非も指摘しており、具体的な調停案は、かなり日本に譲歩する内容となっている。にもかかわらず、当時の日本の新聞が「支那側狂喜」と報じていたというのは、やれやれという感じだ。
一方、昨今、一部の人々に見られるように、リットン報告書が示している日本への同情を過大に評価するのもいかがなものか。リットンは、満州国の実態が「傀儡」であることを承知しながら、日本に対して、お前は侵略者だろう、と指さすのではなく、日本が交渉のテーブルにつける条件を準備したと著者は述べている。本書には、こういう驚くほど我慢強い、老練で老獪な外交官や政治家がたくさん登場する。世界の歴史は、子供のケンカのような単純な二分法で動いてきたわけではないのだ。
なお、昭和天皇は、リットン報告書の調停案を先取りするように、満洲国に新政権をつくり、張学良をトップに据えることは不可能か、と陸相らに問いかけている。これはすごいわ~。天皇がいかに「日支親善」を心底望んで、具体案を考え抜いていたかが分かるように思う。
日独伊三国軍事同盟は、さらにさまざまな思惑が絡んでいてややこしい。まず軍事同盟の三要素 (1)仮想敵国の設定 (2)援助義務 (3)それぞれの勢力圏、の説明がある。今後の安保関連法制を見て行くためにも覚えておきたい事柄。三国同盟の仮想敵国はアメリカであり、アメリカが日独伊いずれか一国を攻撃したら、日独伊も参戦することとした。より重要なのは、日本の勢力圏として掲げられた「大東亜」で、第二次世界大戦がドイツの勝利で終結した場合、日本はフランス、イギリス、オランダの旧植民地を手に入れるつもりでいた。つまり、三国同盟は「戦後のドイツ」を牽制するために結ばれたのである。これは河西晃祐さんの説とのこと。目からウロコが落ちる。
日米交渉については、「ハル・ノートはアメリカの罠」「駐米日本大使館員の怠慢による対米通告の遅れ」などの風聞をばさばさと退ける。しかし、アメリカは日本の真珠湾攻撃を予測できなかった。石油生産でもGDPでも圧倒的な差があるにもかかわらず、戦争を仕掛けてくる不合理な国があることを見落としていた。この失敗は、戦後、アメリカにとって「ソ連の不合理な行動を予見するプログラム」を開発する際の重要な歴史的教訓となったという。たぶん今も、たとえば北朝鮮の行動を評価するときも日本の教訓は生かされているんだろうな。
そして日本人として考えなければいけないのは、なぜ日本は勝ち目のない戦争に走ってしまったのか。「やっぱり民衆の声が大きかったのですか」という質問に対し、著者は「これを避けるための一つの知恵は教育だと思うのです」と答える。戦前は、普通の子どもたちにとっての天皇は、修身の授業で習う神話の中の天皇だった。本当の古代史を教えてもらえるのは旧制高校に入ってからで、100人に1人くらいしかいなかった。それでは正しい「歴史のものさし」は持ちえないし、最適解は選べない。本当にそうだと思う。いま小中学校で、道徳教育の拡充を図る動きがあるけれど、そんな余裕があるのなら、史料に基づく歴史を学ばせたほうがよほど有意義なのではないだろうか。