見もの・読みもの日記

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「天道」思想と一向宗とキリスト教/戦国と宗教(神田千里)

2016-10-26 23:16:41 | 読んだもの(書籍)
○神田千里『戦国と宗教』(岩波新書) 岩波書店 2016.9

 戦国時代の庶民、武士、大名たちの宗教と信仰について、多角的に考える。はじめは、戦いに生きた戦国大名にとっての宗教がテーマ。戦場に向かう武士たちは、名号や法号を記した守りや本尊を携行し、鎧甲に神を勧請することも行われた。キリシタンが十字架を記した旗指物を用いたのも同じ心性による。当時の戦争は、多分に呪術を含むものであり、「軍配者」と呼ばれる軍師は、占いや祈祷によって戦国武将に仕えた。この一例として、山本勘助(勘介、菅助)の名前が挙がっている。最近のドラマでの「軍師」の描かれ方は、近代的解釈に過ぎるかもしれないな。

 また、戦国大名は、しばしば敵の調伏祈念を神社や寺院に依頼し、返礼に寄進を行った。これが神社や寺院の経済的基盤となっていた。宣教師フロイスが織田信長を評して「神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的卜占や迷信を軽蔑していた」と記したことは有名だが、実際には、信長が神社や寺院に送った「祈祷の礼状」が多数残っている。フロイスが描いた「合理主義者」としての信長像は、だいぶ割り引いて考えたほうがよさそうである。

 次に一向一揆について。一向一揆は、加賀の大名富樫政親を倒し、三河の徳川家康に抵抗し、石山合戦で織田信長と戦ったことから、反権力的な一揆と見なされている。また、信仰を重視して現世の権力を相対化する点から、一向宗は支配者層に警戒されたと言われている。しかし、これには根拠がない、と著者は一蹴する。たぶん「権力者の歴史」を否定して「民衆の歴史」をつくりたい、という思いが強すぎて、こういう説が生まれたのだろう。

 実際は、信長が一向宗(本願寺門徒)との和睦を何度も受けれているとか、一向宗は延暦寺など他宗派と共存・友好関係にあったとか、いろいろ興味深い中でも、山伏、神官、陰陽師などの民間信仰者が「一向宗」の名前で呼ばれていたというのには驚いた。彼らに共通するのは、死霊の供養が期待されていた点であるという。戦国期は「家族の絆が一般的に意識されるようになり、先祖や家族の死者の供養が問題になった時代であった」というのは面白い。逆にいうと、それまでは問題でなかったのだということに気づかされる。

 次にキリスト教。キリスト教が流入した当時、日本の仏教は形式に流れ、信仰は低迷し、僧侶も戒律を守らないなど「堕落」した風潮にあったので、それに飽き足らない人々がキリスト教に惹かれたという説があるが、著者はこの通説も否定する。仏教は多くの日本人を惹きつけていた。イエズス会宣教師の報告によれば、彼らは京の人々が仏教の教理をよく知っていることに着目し、日本で説教する宣教師は、諸宗の宗旨を勉強し、議論に備えておくことが必要であると記録している。当時の京都人(庶民と呼んでいいのか)の高い教養、知的な素養が垣間見える。たぶん僧侶の説法や(もしかしたら)芸能を通じて、仏教の教理を学んでいたのだろう。

 また、宣教師の観察によると、日本のキリスト教徒たちは、亡くなった父母や妻子、その他の死者を地獄から救い出したいと強く願っており、「地獄に堕ちた者にはいかなる救いもない」という説明を聞くと深く悲しむという。西欧の個人主義と日本人の家族主義って、この頃から対立しているんだなあと感慨深かった。しかし、イエズス会も、日本人の信仰のかたちを全く無視したわけではなく、「諸死者の日」(万霊節→ハロウィンか?)を導入したり、日本人信者が盆行事の一部に参加することを黙認したという。結局、「(日本の)この時代に固有の、一般的にみられた人々の信仰の形に合致したからこそ、仏教も、キリスト教も、人々の信仰を得ていった」というのが、シンプルな真理なのだろう。とても納得できる。

 この「信仰の形」を、著者は「天道(てんとう)」という言葉で説明する。正直、公正、上の者への尊敬、下の者への慈悲などを実践することで、神仏の加護を得ることができる。天道は日月の運行を通じて感得されると考えられ、多くの宗教美術に日月が表された(参詣曼荼羅など。これ美術史的に面白い指摘)。また、天道の摂理は人間に理解しえないとの認識から、自らの信仰を他者に強要すべきではないという考え方が生まれ、宗論(宗派どうしの論争)は規制されることが多くなった。天正15年(1587)、秀吉が発布した伴天連追放令も詳しく見ていくと面白い。

 秀吉は「天道」の論理に従い、イエズス会による信仰の強制と、日本の諸信仰への排撃を処罰しようとしたと考えられる(日本の僧侶との協調を受け入れるなら、退去を強要はしていない)。なお、秀吉に伴天連追放令を出させたきっかけが伊勢神宮の訴えであるというのは、初めて知る話で興味深かった。また、諸宗派の共存を良しとする「天道」思想は、いかにも日本的と考えてしまいそうだが、著者は、ヨーロッパ近世社会でも異なる信仰コミュニティが共存していた例を挙げて、「特に『日本的』と決めつけるわけにはいかない」と説く。この周到さはとても素晴らしい。日本の歴史のどこが「日本固有」で、どこがそうでないかは、よくよく気を付けて見なければならないと思う。

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