見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

怪獣と超人の記憶/特集・特撮と東京 1960年代(雑誌・東京人)

2016-07-31 21:20:02 | 読んだもの(書籍)
○『東京人』2016年8月号「特集・特撮と東京 1960年代」 都市出版 2016.8

 この週末に公開された新作ゴジラ映画『シン・ゴジラ』の話題がSNSで盛り上がっている。今月号は、たぶんそれに合わせた特集なのだろうが、私はむしろパラパラとページをめくって、1960年代の特撮ドラマの写真やデータの豊富さに惹かれて、買ってしまった。冒頭で、1963年生まれの竹内正浩さんが「1960年代は怪獣が跋扈した時代だった」と振り返り、「怪獣や特撮ヒーローのとりこになった子どもたちは数知れず、彼らに心をわしづかみにされたまま大人になった人も少なくない」と書いているのは、まさに私もそのひとり、1960年代の子どもである。

 竹内さんは、テレビに怪獣が登場する前は、年に一、二度の映画の封切でしか怪獣に会えなかったと書いているけど、私にはこの記憶はない。我が家は(怪獣に限らず)映画を見に行く習慣があまりなかった。ただ、気がついたら、テレビを通じて、毎週、新しい怪獣に出会う生活になっていた。1970年代になっても、夏休みに「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の再放送があると、繰り返し見ていたなあ。

 本書は、雑誌『東京人』らしく、特撮の舞台となった東京の街を考える。撮影には、ロケとミニチュアが合成で使われた。東京タワーや後楽園遊園地など、実在のランドマークをそのまま取り入れたものもあれば、川崎市の長沢浄水場本館(山田守設計)のように、モダンな外観を活かして、架空の「科学センター」として撮影されたものもある。ジャミラを悼む場面は代々木体育館なのか、なるほど。

 竹内正浩さん作成の「ウルトラマン怪獣『出現』地図&図鑑」によると、怪獣の出現地はずいぶん山の手に偏っている。私は東京の下町育ちだが、隅田川の東は、夢の島に出現したスカイドンしかいない。一方、京浜地帯の海岸線の出現率がすごく高くて、横浜港にはゲスラ、葉山にはラゴン、城ケ島にはガマクジラ、熱海にはギャンゴ…。水辺の戦いが特撮的に「絵」になるからか、それとも異人(怪獣)は海の彼方から現れる、という民俗的な記憶に基づくのだろうか。

 「ぼくらは特撮で大きくなった。」と題した鼎談(泉麻人、矢部俊男、樋口真嗣)では、これまでの怪獣映画とともに新作『シン・ゴジラ』の裏話も少し語られている。昔は「百尺規制」といって、百尺(31メートル)までのビルしか建てられなかったので、身長50メートルのゴジラの首が、ビルより少し上に抜けて歩く姿が絵になった。80年代以降は、ゴジラの設定を100メートルにした。それでも新宿の高層ビル街では、ゴジラが「冷蔵庫売り場で迷子になった子どもみたいに見えちゃう」という発言に笑った。なるほど~。『シン・ゴジラ』では蒲田が舞台になるらしい。あと品川神社が出てくる(実際の撮影場所は市谷亀岡八幡宮)とか、相模原から鎌倉に入っていくシーンも、鎌倉在住の庵野秀明総監督の鎌倉愛があふれているそうで、これは見たい。

 ほかに初代「ウルトラマン」のスーツアクターだった古谷敏さん、ハヤタ隊員役の黒部進さんらのインタビューも。切通理作さんのエッセイによれば、「帰ってきたウルトラマン」総監督の真船禎は、怪獣が暴れてウルトラマンが来てやっつけるだけ、という認識で参加したのだが、円谷一(英二の長男)から「怪獣をやっつけて万々歳というドラマをつくるつもりはない」と言われたそうだ。私は「帰ってきたウルトラマン」が好きだったので、この話は嬉しい。同シリーズに参加した脚本家・上原正三氏のインタビューもあり、差別や集団心理の怖さ、沖縄人のヤマトに対する恨みなどを描いた回もあったそうだ。

 それから、大槻ケンジ氏が語る「愛の戦士 レインボーマン」の記憶。肝心のドラマはほとんど覚えていなくても、「死ね死ね団の歌」「行けレインボーマン(インドの山奥で、修行して…)」は昭和の子どもの耳に焼きついているのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする