見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2016祇園祭・前祭(若冲 生誕300年の旅)

2016-07-18 20:40:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
今年は三連休に祇園祭の前祭(さきまつり)が重なると気づいたのは1ヶ月ほど前で、もう市内の宿はどこも取れなかったが、なんとか近江八幡のホテルを確保して、京都に行ってきた。お目当ては、新調された長刀鉾の見送(みおくり)を見るため。原図は伊藤若冲の『旭日鳳凰図』(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)だという。これは見たいでしょ!

16日(土)は宵山。京都国立博物館の常設展をさっと見たあと、明るいうちから山鉾めぐりに向かう。まず、四条通りの長刀鉾。すでに交通規制で、一方通行でしか通れないようになっている。長刀鉾って(女性も)上がれたっけ?と心配しながら聞いてみると、鉾には乗れないが会所には入れるとのこと。授与品を何か買う必要があるので、500円のあぶらとり紙を購入。

 

二階に上がると、これ! 微妙な色彩の再現度が想像以上に素晴らしい。川島織物セルコン制作。ただただ口を開いて馬鹿になったように眺める。



これは実際に「装着」されたところも見たいと思ったので、翌日、烏丸御池のあたりで、先頭の長刀鉾がやってくるのを待ち構える。そうしたら背後は…え?どうしてなの? ちょっと小雨がパラついていたのでカバーで覆ってしまったのだろうか? 真相はよく分からず。



しかし、めげずに追いかけていくと、四条通りの定位置に戻った長刀鉾に、ちゃんと『旭日鳳凰図』の見送が装着されていた。カッコイイ! 眼福。



長刀鉾以外の写真も少し。大好きな船鉾。船鉾の近所で京都市指定有形文化財の長江家住宅が公開されていた。住宅や美術品もさることながら、長江家の蔵から見つかったという、昭和初期の京都を映した白黒フィルムが面白かった。祇園祭の巡行の様子や船鉾もちゃんと映っていた。念願だった杉本家住宅も見学。

祇園祭の山鉾めぐりをすると、結果的にふだんの観光で行かないエリアを歩くことになって面白い。



蟷螂山は、御所車の上に大きなカマキリを乗せた楽しい山で、会所の中にもカマキリ。



提灯の紋もなにげにカマキリ。



夕方が近づくにつれ、人の数が増えてきたので、早めに退散することにした。

承天閣美術館と細見美術館の若冲展めぐりはまた別稿で。
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2016年7月展覧会拾遺@東京

2016-07-16 07:09:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
レポート未掲載が溜まっているので、まとめて。

日本民藝館 『沖縄の工芸』(2016年6月21日~8月21日)

 玄関を入ると、大階段前の展示ケースには朱塗の沖縄漆器。踊り場には漆喰づくりの個性豊かなシーサー。沖縄だなあと思いながら2階に上る。大展示室の中は紅型(びんがた)で統一。2012年にも同じような展覧会『琉球の紅型』があったことを思い出し、見覚えのある模様を見つけて喜ぶ。奥の壁の中央には、藍地に鶴亀・松竹梅と「胡」の字を染め抜いた「芝居幕」が飾られていた。「胡」は苗字なのかなあ、と考える。「沖縄の織物」の部屋に飾られていた、絣や縞の着物も簡素で美しかった。芭蕉の繊維で織ったものもあるらしい。「沖縄の焼物」では、腰に下げたらフィットする抱瓶(だちびん)が欲しい。

 興味深かったのは、1940年、柳宗悦が沖縄を訪ねたときの短い映像が上映されていたこと。戦前の沖縄! 首里城(焼けたんだよね?)や玉陵(たまうどぅん)など、見覚えのある風景が映っている。人々の服装はずいぶん違う。同じ年、坂本万吉が撮影した写真には、紅型を染め、焼物を焼く人々の姿のほか、崇元寺の石門や円覚寺の堂宇(確かに鎌倉の円覚寺に似ている)も写っていた。この撮影から5年後に、沖縄を襲った運命のことを思うのはつらい。

静嘉堂文庫美術館 『江戸の博物学~もっと知りたい!自然の不思議』(2016年6月25日~8月7日)

 「本草書の歴史をたどりつつ、それと並行して江戸時代の人々に西洋博物学がどのように受け入れられてきたのか」を紹介する展覧会。行ってみたら、想像以上に「書物」を見る展覧会だった。めずらしい漢籍が多数。『新編証類図註本草』(元刊本)は水牛の図が開いていた。『纂図増新群書類要事林広記』(明刊本)は桃の種類を記した箇所で、モンゴル文字が見えた。『飲膳正要』(元刊本の明代復刻)は、中国唯一のモンゴル系の食物の本。判型はかなり大きい。「蝦(エビ)」について「味甘、有毒多食損人、無髯者不可食」云々とあった。

 江戸の学者たちの著書・蔵書も多数。多紀元簡が校勘した『本草和名』や西川正休が訓点をつけた『天経惑問』なども。大槻玄沢旧蔵書は、大槻文彦氏を通じて静嘉堂に入った。『日東魚譜』など、挿絵が楽しいものが多い。『解体新書』は有名な表紙ではなく、「眼目編」という箇所が開いていて、新鮮な印象だった。ポスターにもなっている司馬江漢『天球全図』の本物は意外と小さい。でも確かに迫力がある。岩崎灌園『本草図譜』は、あまりに色鮮やかでセンスがいいので、植物図鑑というより、植物柄のテキスタイルブックみたいだと思った。最後の『鱗鏡(うろこかがみ)』は初公開。高松藩の家老だった木村黙老の撰。近縁種の魚も、その模様や体型の特徴を細かく楽しそうに描いている。たくさんページを開けてくれていて嬉しい。狩野探幽『波濤水禽図屏風』は、この展覧会の中では異色だが、意外と違和感なくマッチしていた。

東京国立博物館 特別展『古代ギリシャ-時空を超えた旅-』(2016年6月21日~9月19日)

 ギリシャ本国の各地の博物館のコレクションで構成された展覧会。古代ギリシャ世界のはじまりから、ミノス文明、ミュケナイ文明を経て、幾何学様式、アルカイック時代、クラシック時代、マケドニア王国、ヘレニズム、ローマにおけるギリシャ文明の受容までをたどる。高校時代に読んだ澤柳大五郎『ギリシアの美術』(岩波新書)が今でも頭に入っているので、基本的な時代区分には迷わない。ミノス文明(ミノア文明、クレタ文明)は面白い。華やかで、どこか軟弱な感じ。牡牛が神聖視されていたようだが、蛸とか魚とかイルカとか、海洋文明らしいモチーフも散見される。

 古典ギリシャの都市国家について、民主政治に使われた投票具などが展示されていたのも面白かった。オストラキスモス(陶片追放)に使われた陶片(オストラコン、本当にゴミのような陶片なのだな)には、テミストクレスとかアルキビアデス(ソクラテスの弟子の?)の名前があり、詳しい説明はなかったけど、おお~と感心して見入った。

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金地屏風たくさん/江戸絵画への視線(山種美術館)

2016-07-13 11:48:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
山種美術館 開館50周年記念特別展 山種コレクション名品選I『江戸絵画への視線-岩佐又兵衛から江戸琳派へ-』(2016年7月2日~8月21日)

 1966(昭和41)年に開館した同館が、館蔵品の中から名品を選りすぐって紹介する「山種コレクション名品選」の第1弾。私は山種美術館といえば「近代・現代日本画専門の美術館」のイメージが強く、ときどき、あ!こんな古い作品も持っているんだと驚くことはあるが、江戸絵画だけをまとめて展示するのは珍しいと思う。「初めてかもしれない」と書きかけたが、よく調べたら、広尾に移った2010年の開館記念特別展シリーズにも『江戸絵画への視線-岩佐又兵衛《官女観菊図》重要文化財指定記念-』という企画があった。

 最初に展示されていたのは、若冲の『伏見人形図』。縦長の画面に七体の布袋さんが並んでいる図。展示ケースの奥行きが薄いので、ぎりぎりまで作品に近づけるのが嬉しい。それから版画のような色の塗り方。酒井抱一、鈴木其一など琳派の作品が並び、華やか。それから「金屏風コーナー」があって、伝・宗達筆『槙楓図』、酒井抱一筆『秋草鶉図』、鈴木其一筆『四季花鳥図』、伝・土佐光吉筆『松秋草図』と並ぶ。保存がよいのか、照明の具合がよいのか、金の輝きに品と深みがあって美しい。はっきり記憶にあったのは『槙楓図』だけで、あとの作品は全く忘れていた。其一の『四季花鳥図』は、金地をものともしない、鮮やかな色彩の草花と鳥(右隻はニワトリの家族、左隻はオシドリの夫婦)はパラダイスに近いという意味で、ちょっと「南国風」。最初の三点は写真撮影が許可されているが、あまりバチバチ撮っている人はいなかった。



 金地屏風はこのほかにも『竹垣紅白梅椿図』『源平合戦図』『輪踊り図』(いずれも17世紀、作者不詳)が出ていて、同館のコレクションの厚みをあらためて感じた。『竹垣紅白梅椿図』は六曲一双の堂々とした屏風で、右隻から左隻へ斜めに横切る長い竹垣に、紅白の梅と紅白の椿がからんでいて、その間に小さな鳥たちが隠れている。山種の江戸絵画としてはおなじみの岩佐又兵衛筆『官女観菊図』や狩野常信筆『明皇花陣図』も。

 後半の「文人画」特集は地味だと思ったが、だんだんこの手の絵画が好きになってきた。たぶん初めて名前を意識した日根対山(1813-1869)の『四季山水図』は、夏と冬が墨画、春と秋が色つきで描かれている。紙本ではなく絖本。おおらかな山水と、その中に閑居する人物の姿に惹かれる。椿椿山の『久能山真景図』は久しぶりに見た。絵本の挿絵みたいでほのぼの。最後の岡本秋暉『孔雀図』は、低い姿勢に構えた孔雀が猛禽類らしく迫力があった。

 第2展示室は上村松園『蛍』など全て近代日本画。最後に1階のカフェで一休み。今期のオリジナル和菓子は力作揃いだが、『輪踊り図』にちなんだ「おどり姿」をいただく。駿河台下の和菓子屋ささまの「玉川」をカラフルにした感じ。お茶は「冷やし抹茶」で、ガラスの茶碗に大きな氷の塊が入っていた。幸せ。

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黒田観音の風格/観音の里の祈りとくらし展II(東京芸大)

2016-07-12 21:50:57 | 読んだもの(書籍)
東京芸術大学大学美術館 『観音の里の祈りとくらし展II-びわ湖・長浜のホトケたち-』(2016年7月5日~8月7日)

 芸大と長浜市が主催する展覧会。長浜市に伝えられた仏像40点余りを展示する。「長浜市」という行政区画がいまだにしっくりこないのだが、余呉町、木之本町、高月町など、かつて「湖北」と呼ばれた地域のことである。かなり高い期待を抱いて出かけたのだが、会場(3階)を入口からチラと覗いて、期待以上の壮観に声が出そうになった。広いホールに数十体の仏像。ちょうど同じくらいの人数の観客が散らばっていた。会場内の配置図を記録に残しておく。

 右下の入口からしばらくは観音像が並ぶ。(5)十一面観音立像(善隆寺)はしゅっとした鋭角的な顔立ち。(7)聖観音菩薩立像(長浜城歴史博物館)は板彫を思わせる平面的な体躯、素朴でやさしい微笑み。(11)千手観音立像(総持寺)は夢見るような童子の顔。脇手の持物がよく揃っている。続いて、薬師如来。湖北に伝わる古仏は観音だけではないのだ。(25)薬師如来坐像(舎那院)は足首のフリルがかわいい。

 大好きな石道寺からは、赤銅のような肌を持つ(でも木造の)(6)十一面観音立像と、(35)巨大な持国天・多聞天立像が来ていた。さすがにご本尊はいらっしゃらないか。大日如来、阿弥陀如来などに続いて、馬頭観音のエリア。(21)馬頭観音立像(徳円寺)は長い腕のつくる角度がシャープで力強い。踵だけを地につけ、両足のあしのうらを見せているのも面白い。その隣りは(20)馬頭観音立像(横山神社)。高月の観音まつりでも拝観している。歯をむき出していた頭上の馬頭が印象的。黒々とした(19)馬頭観音坐像(西浅井町山門自治会)は、平安時代でも最古級の違例(11世紀前半)。頭上の馬頭がやたら大きいと思ったら、頭だけでなく上半身(肩から上)全体をのぞかせている。馬頭観音は、若狭~奥丹後とのかかわりも気になり、興味がつきない。

 (15)観音菩薩立像(洞寿院)は地元仏師の作と思われる。滑らかな木肌の中で目と唇だけ、はっきり彩色が施されていて、ちょっと怖い。33年ごとに御開帳される秘仏で、展覧会にも初出展だそうだ。ここで振り向くと、いきなり(22)千手千足観音立像(正妙寺)の姿があって、たじろいでしまった。360度四方から拝見できる、またとない機会。背面から見ると、上半身・下半身とも金色の甲羅をかついでいるようだ。側面から見ると、手は三列、足は二列であることが分かる。顔は非常に精巧で、唇や歯の表現に全く手抜きがない。さすが江戸時代の技術力の高さ。(37)愛染明王坐像(舎那院)は明王の顔と頭上の獅子の顔がほぼ同じ大きさで、その上に大きな三鈷杵の先が突っ立てている。お茶目な造形に思わず笑ってしまった。顔は怒りの表現が極まって、ちょっと動物っぽい。なのに背中が美しい。

 この部屋の見ものは、まず中央に立つ(4)聖観音立像(来現寺)。眼鼻立ちが明確で、横幅のある堂々としたお顔。大きな耳、長い(長すぎる)腕。右足を少し外に踏み出して立つ。あたりを払う威厳。これと向き合うのが(3)十一面観音立像(医王寺)。薄めのお体で、ほぼまっすぐに立つ。簡素ですっきりしたお姿、彫りの浅い曖昧な表情が、ただただ美しくて見とれた。化仏の顔まで美しかった。入口でもらったクリアファイルには、この十一面観音の写真が使われていたが、ふだんは華やかな宝冠と瓔珞で飾られているらしい。雰囲気が違うので、はじめ気が付かなかった。解説を読んで驚いたのは、明治20年頃、ときの医王寺の僧侶が長浜の古物商から求めて寺に安置したという由来。「大切に守られてきた」仏様ばかりではないんだなあ、というのが妙にリアルだった。

 展示はさらに奥に続くらしいので、石道寺の諸仏が並ぶ壁の向こうにまわる。このエリアには、びわ湖・長浜の四季やいくつかの寺院の写真パネルが飾られていた。そのうちの一枚に、黒田観音寺の千手観音とそれを拝む人々の写真があった。ああ、一度お会いしたいと長年願いながら、まだ叶っていない観音さま。あれ?この展覧会にいらしているんじゃなかったかしら? そう思ったとき、短い通路の先に、その黒田観音のお姿があった。

 (2)伝千手観音立像(木之元町黒田・観音寺)は、電撃に打たれた気分だった。今まで見たどの写真よりも実物がいい。眉・目・髭などは墨線ではっきり描かれている。これは後補だというけれど、とても美しい。彫刻の眉と墨描の眉の線が一致していないところなど、はっきりした美意識を感じる。左右各九本の腕は、左右対称のようで、指の曲げ方、手の反り方など、微妙に非対称でリズミカルである。太い脇手を支える胸は厚く、腹は少し出ている。前に傾けた二本の錫杖とあわせて、上に向かって大輪の花が開いたような形をつくっている。まさに王者の風格。この観音像も、ふだんは大きな身体を窮屈そうにお厨子の中に収めているから、360度から鑑賞できるこの展覧会は貴重である。

 (49)安念寺の如来形立像(いも観音)にお会いできたのも嬉しかった。(48)善隆寺の大きな仏頭には驚いた。地下2階では、びわ湖・長浜の仏を紹介するビデオ上映と『平櫛󠄁田中コレクション展』(2016年7月5日~8月7日)を開催中。実は『観音の里の祈りとくらし展』「I」を見た記憶が全くなかったのだが、調べたら2014年3月に見ていた。でも「全18件」だから、今回の半分以下の規模だった。記事を読み直したら、善隆寺の十一面観音とか総持寺の十一面観音とか、自分が同じ仏像に反応しているのが可笑しい。もうひとつ、「滋賀県長浜市ふるさと寄附のご案内」(観音文化振興事業の応援)のパンフレットを入れてくれるのはいいのだが、それなら特典に「特製ご朱印帖」や「秘仏ご開帳ご招待(寄附者限定)」があるといいのになあ。
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ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』

2016-07-09 23:47:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』(2016年7月2日、23:00~)(※NHKオンデマンド配信中)

 めずらしく母からメールが来て、この番組のことを教えてくれた。そうでなければ、たぶん見逃していたと思う。奈良・薬師寺では、16世紀までに焼失した伽藍(がらん)の復興が50年に渡り進められてきた。薬師寺のホームページによれば、昭和51年(1976)に金堂、同56年(1981)に西塔、昭和59年(1984)に中門が復興された。回廊が姿を現したのもこの頃か。現在、第3期工事まで完了済という。

 さて、まだ薬師寺ホームページの伽藍図には姿を見せていないが、2015年3月21日、白鳳伽藍復興の総仕上げとなる食堂(じきどう)の起工式が行われ、2017年5月完成に向けた工事が始まっているのだそうだ。ネットで探したら、いくつか記事が見つかったけど、関東に住んでいると、全然知らなかった。

※建設通信新聞:【薬師寺食堂】1042年の時を超える再建工事起工! 内部設計は伊東豊雄氏、完成は2年後(2015/3/24)

 建設に先立ち、食堂の本尊となる6m四方の巨大な仏画の制作にあたったのが、日本画家の田渕俊夫さん(1941-)である。薬師寺の山田法胤管長が田渕さんに白羽の矢を立てたのは2012年。2010年、京都・智積院の講堂に収められた墨画の襖絵に感銘を受けての決断だった。この襖絵も番組中で一部が映るのだが、素晴らしい。色がないのに色が見えてくる。観にいかなくっちゃ!

 山田管長は食堂の古い記録にのっとり、丈六(6メートルくらい)の阿弥陀三尊を描いてほしいと注文する。依頼を受けた田渕さんは、現代に生きる人々の祈りの対象となる仏画を描きたいと語る。そして、各地の仏像を訪ね歩き、画集や写真集を見ながら、さまざまな仏像のスケッチを繰り返し、「どういう顔にしたらいいか」をひたすら考え、「手でそのかたちを捉え直す」作業を続けていく(私の知る限り、田渕さんはあまり人物を描かず、植物や風景を多く描いてこられた画家なので、薬師寺の管長の依頼は、けっこう無理筋だったんじゃないかと思う)。そして、田渕さんが最後に、やっぱり薬師寺の聖観音像を観に行く気持ちには強く共感する…。

 まず、とても小さな下絵(手のひらに隠れるくらいの)を描き始め、完成すると、本番用のパネルをアトリエに設置し、プロジェクターで下絵を映写して、鉛筆で写し取る。全長6メートルのパネルは設置できないので、上下を分割して描き進める。それにしても上のほうを描くときは建築現場のような可動式の足場の上に乗り、下のほうを描くときは、無理な姿勢で床に寝そべって描く。下絵ができると、いよいよ二度描きできない、本番の墨の線を引いていく(中尊の顔から始めていた)。本当に気の遠くなるような作業量。阿弥陀様の螺髪のひとつひとつも田渕さんが描いているのだ。

 古い作品で、彫刻でも絵画でも、ちょっと手の込んだ大作を見ると、すぐ「工房作」という言葉を思い浮かべてしまうので、ひとりの作家が全ての線・全ての彩色に責任を負うというのが、どれだけ途方もないことか、しみじみ思い知った。たぶん本当にすごい仏画(法隆寺金堂とか、敦煌莫高窟とか)は、こんなふうにひとりの芸術家が肉体を削って描いたんだろうな。

 下絵の墨入れが終わって、色付けを始める前に筆入法要が行われるはずだったが、その前日、田渕さんはウィルス感染で呼吸困難に陥り、病院に緊急搬送されて、一命をとりとめる。まさかNHKも取材の途中でこんなことが起きるとは思っていなかっただろう。

 色付けは絵具が垂れないよう、パネルを寝かせ、その上に乗って作業をしていく。鮮やかな色彩、かすかな色彩、そして無彩色の部分が同居する、田渕さんらしい仕上がり。3月、薬師寺に運び込まれ、起工式の舞台上で披露された。食堂の完成は2017年5月ということだが、そのときはこの阿弥陀三尊図のまわりを、仏教が奈良に伝わるまでの道のりを描いた14枚の壁画が取り囲む計画、とナレーションが言っていた。それも田渕さんの作品なのか? 違うのかな? いずれにしても楽しみだ。

 田渕先生の代表作はいろいろあるけど、仏画というのは格別なものだと思う。これから、長い年月、あの阿弥陀三尊図が、薬師寺に詣でる人々の祈りを受け止めていくのだと思うと感慨深い。いつか田渕先生がこの世を去られても、私もいなくなっても、仏の姿は残っていくだろう。
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投票は日曜日/はじめて投票するあなたへ(津田大介)

2016-07-08 22:15:31 | 読んだもの(書籍)
○津田大介監修;ブルーシープ編集『はじめて投票するあなたへ、どうしても伝えておきたいことがあります。』 BlueSheep 2016.6

 江口寿史さん描く、制服姿の美少女の表紙が印象的な本。初めての投票を控えた若者たちに向けた30人のメッセージが収められている。先日読んだ『18歳からの民主主義』(岩波新書)と同じようなコンセプトだが、できあがったものはずいぶん違う。

 本書の監修者は津田大介さん。はじめに「政治ってむずかしいですよね」と語りかける。せっかく投票するんだったら、投票後に後悔したくないと思っている人は多いだろう。それには自分の「ものさし」を持とう。たくさんある政治課題の中から、自分は何に重きを置くかを決めること。そこで、本書には「エッジの効いた優れたものさし」がたくさん入っています、という紹介になる。

 政策課題ごとに分けられた「ものさし」の面々の名前を挙げておこう。「憲法と民主主義」には、海渡雄一、想田和弘、岩井俊二、水上真央、島田雅彦、熊谷和徳、茂木健一郎、谷口真由美、田原総一朗、いとうせいこう。「原発とエネルギー」には、田坂広志、稲垣えみ子、蓮池透、遠藤ミチロウ。「沖縄と基地」には、目取真俊、中山きく、屋良朝博、仲村颯悟、大田昌秀。「差別と貧困」には、香山リカ、ドリアン助川、浜矩子、森達也、桑原功一、島本脩二、園子温、むのたけじ、上原良司、奥田愛基。

 私が知っていた名前は三分の二くらい。当然というか、岩波新書に比べると「やわらかい」職業の方が多い。しかし、10代の若者が親しみを感じる有名人かというとそうでもない。編集者や監修者の好みがあらわれている気がする。

 面白かったものをいくつか挙げると、まず谷口真由美さん。「全日本おばちゃん党」代表代行を名乗る大阪国際大学の先生。非常勤講師をつとめる大阪大学での「日本国憲法」講義が人気だという。5ページほどのメッセージは、全文、大阪のおばちゃん語で書かれていて、引き込まれる。憲法に出てくる「日本国民」とか「われら」とかを「私」という一人称に置き換えて読んでみてほしいねん、という提唱はとってもいい。12条は「この憲法が私に保障する自由及び権利は、私の不断の努力によって、これを保持しなければならない」となる。97条も「この憲法が私に保障する基本的人権は」と置き換えることで、絶対に手放してはならない条文であることが身に迫ってくる。

 熊谷和徳さんはタップダンサーだが、タップダンスという文化が奴隷制のために話すことや歌うことを禁じられたアフリカの人々によって生み出されてきたことを、私は彼の文章で初めて知った。

 蓮池透さんは原発について語っている。蓮池さんは、東京電力の社員として福島第一原発で6年ほど働いていた。だからこそ語れる、原発の闇の深さ。使用済み燃料の置き場所がいずれなくなるのだから、原発に未来はないと、3.11の前から思っていた。大の大人が5万年先とか10万年先とか、無責任な議論をしている様子に白けていく蓮池さんの感覚は、きわめてまっとうだと思う。

 本書にはたくさんの写真ページあって、メッセージの言葉以上に多くのことを考えさせる。とりわけ原発に関しては、「原子力 明るい未来のエネルギー」という福島県双葉町のアーチ型の看板の下にたたずむ野良犬のアップ写真、除染で発生した放射線廃棄物を詰めたゴミ袋(「しゃへい」と書かれている)が順序よく何重にも積み上げられた写真は、言葉を失って凝視を迫られた。

 沖縄については、全て沖縄県生まれの人からのメッセージ。普通の人々の日常がどれほど傷つけられてきたかが、ひりひりするような言葉で語られている。でも仲村颯悟さんの言うように、沖縄が特別なのではなく「きっと日本各地にも、その地域だけでは解決できない問題が多く存在していると思うんです」という認識は大事だなと思う。

 「あとがき」は本書編集者である江上英樹さんが、極小の署名を添えて書いているが、この最後の比喩はなかなかいい。ひとひらの雪は、地表に落ちた瞬間に消えてしまうけれど、次々に舞い降りて、いつしか辺り一面を白銀の世界に変えてしまうことができる。江口寿史さんが、むかし苦労をかけた編集者が出版社を立ち上げたので、刊行第1弾の表紙を描いたとおっしゃっていたのは彼のことかな。

 そして、最後の奥田愛基さんのメッセージは、いつもながらシンプルでいい。「一つでも言いたいことがあるなら、選挙に行こう」。投票日は7月10日(日)!
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陸・空・海と川/動物襲来(五島美術館)

2016-07-07 23:04:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 『館蔵 夏の優品展-動物襲来-』(2016年6月25日~7月31日)

 夏休みが近づくと、子どもや家族連れのお客さんに向けた展示を企画する美術館・博物館が増える。たぶん「動物」と「妖怪」が二大テーマじゃないかと思う。何も五島美術館までが、そんなトレンドに乗らなくても、と思ったが、とりあえず行ってみたら、いろいろ珍しい作品にも出会えて面白かった。

 展示品の並び順は、だいたい動物の種類でまとめられているようだった。入口近くには、まずサル。雪村周継の『猿図』は一行書の左右に、長~い腕を伸ばすテナガザル。白隠慧鶴の『猿図』も片手でぶらさがったテナガザルだが、無邪気な子猿っぽくて、思わず口元が緩む。橋本雅邦の『秋山秋水図』は、深い渓谷の底を流れる急流の秋の景を描いたもの。どこに動物が?と思ったら、画面を横切る松の枝に小さく猿の姿がある。解説に「松樹に数頭の猿が集う」とあったけど、私は2頭しか見つけられなかった。見逃していないかな?

 それから牛と馬。橋本関雪の『藤と馬』は、金地の六曲一双屏風。右隻は白馬と黒斑馬が仲良く体を寄せ合っていて、左隻は白い子馬がたたずんでいる。画面全体を華やかに彩る藤の花は、写実的に複雑な色調を用いず、赤味の強い明るい紫色で統一されている。続いて、なぜかリス。伝・小栗宗湛筆『葡萄栗鼠図屏風』は桃山~江戸時代・16~17世紀の作品。樹上で群れ遊ぶ白いリスと茶色いリス。払子(ほっす)のようなふさふさした尻尾が目につく。白いリスは、九尾の狐みたいにも見える(どことなく顔つきも獰猛)。奥村土牛の『木鼡(りす)』は、石榴とリスを描いた、愛らしい小品。大橋翠石のリアルなライオンの図『猛獅虎図』を挟んで、小林古径の『柳桜』もよかった。『桜』は古民家の列を覆う桜の根元に、小さなブチ犬がちんまり座っている。『柳』は緑陰の下の白鷺。

 これで展示室の右列を終わって、突き当たりには尾形乾山の『四季花鳥図屏風』が飾られていた。最晩年の大作で、乾山81歳の署名がある。少ない色数を効果的に使っている点、隣接する区画と色が混ざらないよう、隙間を開けて塗り分けている点(例:菖蒲の花)などが、焼きものの色付けを思わせる。描かれている動物(鳥)はシラサギ一種で、間抜けな顔、賢そうな顔、意地悪そうな顔など、さまざまな表情を見せるのが可愛い。

 展示室左列へも鳥類が続く。伝・徽宗皇帝筆『鴨図』や伝・馬麟筆『梅花小禽図』などは、いつも緊張しながら眺める南宋絵画の優品だが、このように並ぶと、鴨だ~小鳥だ~(メジロ?)と思って、子供の視線で眺めることができる。平福百穂や小杉放庵、小茂田青樹など、20世紀の画家の作品もいいなあ。跡見花蹊の作品を持っていることも初めて知った。

 中央列は、書籍、工芸などが中心。「雀の発心」(大東急記念文庫にもあるのか)、赤本「ねずみ文七」(ねずみなのにマッチョ)などが面白かった。飯室庄左衛門著『虫譜図説』には、カエルや河童の図もあり(国会図書館デジタルコレクションに同本の画像あり)。象牙彫『鼠と羽箒』(寿雄作)は明治~昭和の超絶工芸。ネズミのはげちょろけた毛並みの再現に唸る。萩焼の狸香合は、色合いがぽんぽこまんじゅうを思い出させた。

 展示室を出る際に、小茂田青樹の『緑雨』を少し離れた位置から見直してはっとした。煙るような雨の中に葉を広げて立つ棕櫚の樹。画面左下の地面に小さな青蛙がいるのは分かっていたが、実は画面の右上(棕櫚の樹の上)にも、いっそう小さな二匹目の蛙が描かれていたのである。この作品、何度か見たことがあるはずなのに、一度も気づいていなかったかもしれない。

 展示室2に進んでみると、水禽形の埴輪、魚形の水滴など(胸びれで這って歩きそうなのもいた)。どうやら水にゆかりの生物を集めているらしい。斉白石の『群蝦図』は、ヘンなほめかただが美味しそう。このひとは「海老を描かせたら右に出るものはない」画家だったのか。知らなかった。『蟹譜七十五品図』は、冊子本を絵巻状にしたもの。タカアシガニやらカブトガニやら、10枚近い図版(手彩色)を公開の上、全図を写真パネルで掲示してくれる念の入れよう。しかし、ネットで調べても書誌事項が何も分からなくて、もっと解説をメモしてくるんだった、と後悔している。

 今回の展覧会は、五島美術館のコレクションだけでなく、大東急記念文庫の典籍がたくさん見られる点でも価値がある。また、拓本・印材・文具などは、リストに「宇野雪村コレクション」と注記のあるものが多かった。書家・宇野雪村(1912-1995)の旧蔵品である。
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拾い読み自由/18歳からの民主主義(岩波新書編集部)

2016-07-06 00:36:14 | 読んだもの(書籍)
○岩波新書編集部編『18歳からの民主主義』(岩波新書) 岩波書店 2016.4

 2015年の公職選挙法改正によって選挙権年齢が引き下げられ、18歳から投票できる参議院選挙がすでに始まっている。「本書は、これから初めての選挙で投票をするみなさんとともに、民主主義とは何か、どうすれば民主主義を実践できるかを考えるための本です」と編集の趣旨が述べられている。

 なんと岩波新書には稀有の横組み本。普通の岩波新書(赤版)の表紙の上に、よく目立つカラーの表紙がかぶせてある(これはデカいオビだと思えばいいのか?)。斬新!と思ったが、読んでいくとそれほどでもない。いまの18歳に焦点をしぼったというよりは、あらゆる世代に向けた「選挙」と「民主主義」の入門書であり、10年後、20年後にも価値を失わない文章を揃えている。さすが「岩波新書」。

 それより、私がどぎまぎしたのは、本書が全体としては明確に自民党安倍政権に「NO」をいう立場で編集されていること。いや、岩波書店がいまの政権に「YES」を言うわけないとは分かっていても、「政治的中立」の名のもとに、テレビや新聞に対する統制と介入が強められているなかで、出版ってまだ自由なんだなと思った。裏を返せば、大した影響力は持たないから放置されているということかもしれない。

 本書には35人の著者が、数ページから十数ページの文章を寄稿している。以下に寄稿者の名前を挙げておこう。「I 民主主義のキホン」は、青井未帆、大山礼子、坂井豊貴、中野晃一、荻上チキ、三木義一。「議会」「選挙」「選挙以外の政治参加」「マスコミ」「税・財政」などの重要項目についての解説が集められている。

 私は「各国の選挙年齢」の一覧を見たのは初めてで、なるほど20歳から18歳への引き下げは遅すぎたくらいだということが分かった。「選挙結果は民意と呼べるか」についての論理モデルでは、複数の政策テーマを争点に争った場合、「どの政策テーマにおいても過半数の支持を得ていない政党が勝利することがある」という「オストロゴルスキーの逆理(パラドクス)」が面白かった。多数決主義に懐疑を持ち、政権与党を監視し続けることの必要性が理解できる。

 「II 選挙。ここがポイント!」は、愛敬浩二、小野善康、広田照幸、結城康博、坂倉昇平、砂原庸介、堤未果、柳澤協二、諸富徹、小田切徳美。「憲法改正」「教育」「年金」「就労」「地方」「医療」「安全保障」「エネルギー」などの個別政策テーマが要領よく解説されている。興味のあるものだけを拾い読みしてもいいと思う。

 経済オンチの私は、小野善康さんの「景気」の解説が非常に勉強になった。不況期には個々の企業や人々の立場からよかれと思うこと(省力化・効率化)をやると、かえって経済が悪化する=個別ではよいことでも全体では悪くなる=これを「合成の誤謬」という。総需要が変わらない限り、日本中の企業が効率化してもシェアの取り合いに終わる=入学定員が決まっている入学試験では、受験生の一人が頑張れば合格できるが、みんなが頑張っても全員合格にはならない、という比喩はとても納得した。

 「安全保障」は、集団的自衛権の行使を含む安保法制に反対の立場を取る、元防衛官僚の柳澤協二さんの解説。「なぜ今日、首相のような議論がまかり通るのでしょうか」と厳しい。「エネルギー」は諸富徹さんで、脱原発から方針転換した安倍政権の「エネルギー基本計画」には徹頭徹尾批判的である。脱原発のリスク(化石燃料の輸入による国富の流出、再エネルギー事業の収益化の困難)に関しては、具体的な反証をあげていて、分かりやすかった。

 「III 立ち上がる民主主義!」は、少し雰囲気が変わる。寄稿者は、斎藤優里彩、大澤茉実、丹下紘希、想田和弘、東小雪、金明奈、王品蓁、周庭、山森要、小原美由紀、むのたけじ、上野千鶴子、姜尚中、中村桂子、山極寿一、栗原康、瀬戸内寂聴、山田洋次、鷲田清一。年齢も性別も職業もいろいろ。文章のスタイルもばらばらである。

 最初の斎藤優里彩さんは、アイドルグループ「制服向上委員会」メンバーなのか。「憲法を守らない政治家は何故、処罰されないのか」と、安倍政権に対して鋭い批判を投げつける。SEALDs KANSAIメンバーの大澤茉実さんの文章にはちょっと泣いた。何も特別でない人間どうしが、「しんどい」暮らしをシェアするとはどういうことかが、淡々と書かれていた。あっと思ったのは、姜尚中先生の文章で、六十余歳まで日本に暮らし、日本の大学で教鞭をとり、政治学を専修してきたにもかかわらず「投票所に足を運んだことがない」「選挙権が私にはないからです」という言葉に、分かっていたはずなのに動揺してしまった。ふだん忘れているけれど、この日本社会には、そういう人たちがたくさんいるのだと思って。

 もし、本書のなかで一編だけ読むとしたら、私のおすすめは想田和弘さんの「『晩ご飯』で考える民主主義と選挙」である。投票前に時間がなければ、ぜひこの一編だけ読んでほしい。5ページだから立ち読みでも読めると思う。
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金銅とクスノキ/ほほえみの御仏(東京国立博物館)

2016-07-05 20:06:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・本館特別5室 日韓国交正常化50周年記念 特別展『ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像-』(2016年6月21日~7月10日)

 韓国の国宝78号・半跏思惟像(三国時代・6世紀、韓国国立中央博物館蔵)と日本の国宝・半跏思惟像(飛鳥時代・7世紀、奈良・中宮寺門跡蔵)を展示する特別展が始まっている。何しろ会期が短いので、急いで見に行った。門を入ると手荷物検査が行われている。前回来館時(5月)は伊勢志摩サミットの影響かと思ったのだが、もう恒常的に検査をすることにしたのだろうか。してもいいのだが、担当職員が慣れてないのか、誘導の手際がよくないのが気になった。

 特別展の会場は、大階段の裏の特別5室。正門の前には「ほほえみの御仏展は混雑しています」という掲示が出ていたが、入ってみると、さほどでもない。すぐ目に入るのは、ガラスケースに入った中宮寺像。振り返ると、真向かいに韓国の国宝78号像の姿があった(同じくケース入り)。もう少し関連品が会場内にあるのかと思ったら、実にいさぎよく、展示品はこの二体のみだった。はじめに感じた違和感は、二体の大きさである。ポスターやチラシでは、二体をほぼ同じ大きさで掲載し、類似性を強調しているが、実際は中宮寺像が126.1cm、韓国の国宝78号像が83.2cm(像高)だから、全然「別物」なのだ。

 小さいほうの国宝78号像から見ていく。左右の耳元にリボンの垂れた宝冠。肩にかかる天衣の幅が広く、裃(かみしも)の肩衣のように見える。細い腕に比べて、手が大きく、指の一本一本がしっかり造ってある。右手は小指と薬指を深く曲げ、人差指と中指は伸ばして軽く頬に当てる。右足を折って左膝の上に上げているが、足の裏のふくらみがやや不自然。全体に鷹揚で大胆で、金銅仏らしい造形。これは中宮寺像よりは広隆寺の弥勒菩薩像、あるいは泣き弥勒像に似てるんじゃないかな、と思った。

 ガラスケースは全方位から鑑賞できるようになっているので、少しずつ視点を変えてみる。正面から見るとふっくらした面立ちだが、横にまわると頭部が薄くて面長に見える。ちょっと百済観音を思い出す。体部もお腹が大きくへこんでいて、正面から見たときよりも猫背な印象になる。背面にまわると、菩薩の腰掛けている台が、ヨーグルトの瓶みたいな、くびれのあるスツール状であることが分かった。正面は掛け布に覆われて分からない。私は向かって右側面から見たときの表情が好き。「少し下から見上げたほうがいいんだよ」という会話が聞こえてきたので、私も少し腰を落として左前方から見上げてみると、崇高さが増す感じで、これもよかった。

 次に中宮寺の半跏思惟像。私が仏像に興味を持ったころは、如意輪観音像と呼ばれていた。いまは「木造菩薩半跏像」か「弥勒菩薩半跏像」と呼ばれることが多いと思う。この展覧会では「半跏思惟像」と呼ばれているが、なんとなく落ち着かない。最近お会いしたのはいつだったか、調べてみたら、2005年、東博の特別公開『中宮寺国宝弥勒菩薩半跏像』が最後らしい。なんとご無沙汰していました。

 韓国の像を見たあとで思ったのは、何よりも頬に当てた右手の指先の、次第に開く花弁のような自然さ。左膝に乗せた右足の指の曲げ方・反り方もこまやかで、生身の肉体を感じさせる。腰布の皺、台座を覆う布の皺も、単純化はされているけれど、画一化され切ってはいない。これが、韓国と日本の文化の違いなのかはよく分からないけど、金銅と木材(クスノキ)という素材の違いは強く感じた。ただ、肩に沿って流れる垂髪の小さなアクセントなどは、完全に写実を離れてデザイン化されている。この像は、向かって左側面から、曲げた腕~肘~指先の美しさを味わう視点が好き。ただ、今回の展示は、上からの照明が強すぎると思う。正面から見ると、微妙なデコボコの陰影が強調されすぎて、お顔の肌が汚く見えてしまっている。むかしの中宮寺の本堂のように、薄暗がりに漆黒の体を潜めているような状態のほうが(たとえ表情がよく見えなくても)私は好きだ。

 このあと、本館の常設展と東洋館の特集『市河米庵旧蔵の中国絵画・書跡』(中国の絵画・書跡、2016年5月31日~年7月18日)を見て、法隆寺宝物館に寄った。金銅仏がたくさん並んだ部屋で、顔立ちやポーズの違いを興味深く眺めた。最前列右端の三体は、体の正面に宝珠を捧げ持つポーズで、このタイプがとても好き。展示室の奥の壁際には「菩薩半跏像」が10体ほど並んでいたが、顔立ちやスタイルはいろいろである。こわもて過ぎる半跏像一対(N-163、164)もあった。それから、有名な『摩耶夫人及び天人像』の登場人物たちは、みんな中宮寺像と同じ髪型で、二つの髷が頭の上に並んでいる。中国語の「Y頭(やーとう)」が思い浮かんだ。
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もっと経済政策を/リベラル再起動のために(北田暁大、他)

2016-07-04 00:39:16 | 読んだもの(書籍)
○北田暁大、白井聡、五野井郁夫『リベラル再起動のために』 朝日新聞出版 2016.6

 現在の政治状況に関して、安倍政権に対抗する立場から、積極的な発言や活動をおこなっている三人の学者、北田暁大さん(1971年生まれ)、白井聡さん(1977年生まれ)、五野井郁夫さん(1979年生まれ)の鼎談。五野井さん自身の整理では、北田さんがリベラル、五野井さんが左翼、白井さんが極左ということになるそうだ。

 安倍政権が自由と民主主義にとって危険な存在であることは、三人の共通認識なので、敢えて多くは語らない(三人が個別に寄せた文章に少し語られている)。むしろ、その共通認識を前提に、どうすれば有効な対抗軸がつくれるかという問題をめぐって、真剣な討論が戦わされている。民進党(旧民主党)に何が期待できるか。共産党はどうなのか。日本には、社会民主主義政党がないという話から、なぜ社会党(懐かしいな)は弱体化したか、歴史的パースペクティブを白井さんが解説する。

 結局「もっと経済政策を」という点を強調するのは北田さん。白井さんは「どうやって定常経済(経済成長を目的としない経済)でやっていけるシステムに日本を組み替えるか」という発言もしているけれど、あとのほうで五野井さんは「経済成長路線は唱えたほうがいい」「低成長と聞いて喜べるのはエコロジカルな左派と一部の経済音痴な保守派だけ」と厳しい。

 前半で北田さんが「白井さんの考える幸せ像は?」と詰め寄って、白井さんが「僕には他人の幸せを構想するという発想がない」と答えに戸惑う場面がある。私は「人が幸せかどうかは、他人が判断することではない」という白井さんに近い考えなので、不毛な議論だなあと思いながら読んでいた。しかし、政治家というのは「こういう生活したいですよね、皆さん」という具体的な設計を提示することができなければならない。普通の人なら年収○万。○歳で家が建てられて、退職後は年金○万。そうしたリアルな構想があってこそ、人々は動くのだ。「幸せは人それぞれ」などという観念論で政治は動かない、ということを、あらためて肝に銘じた。

 だから、アベノミクスについても「誠実に考えれば、そんなに景気のいいことは言えないはず」という白井さんの評価はわかるけど、庶民は政権の「攻めてる感」「汗をかいてる感」に惑わされているので、景況感は上がっている。これに対抗する批判勢力は、単なるイデオロギーでなく「夢があって実現可能な政策」「一般人の日常的な困りごとに焦点をあてた政策」を打ち出していく必要がある。この提言には強く共感する。

 家族、教育、憲法、沖縄など、個別問題の論点を整理し、学者や市民の動きについて触れる。野党がいろんな市民の声に耳を傾けなければならい雰囲気ができ、与党の政策にも影響を与えたことは評価できる。すぐに「勝ち」は手に入らないかもしれないが、将来的にわれわれは勝つと、若い人たちは考えているのではないか、という五野井さんの発言に希望が持てた。議会政治でも勝つためには、議会をとりまく(議会外の)文化をどう変えていけるか、という話を読みながら、先日、SEALDsの諏訪原健さんが言っていた「文化を変えたい」という言葉を思い出した。
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