見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2015年9月@山陰:出雲と松江

2015-09-24 20:22:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
 五連休のシルバーウィーク、20日に小浜で秘仏めぐりバスツアーに参加したあとは、久しぶりに山陰地方(出雲、松江、境港)をまわる計画を立て、早めに宿を確保した。その後、島根県立石見美術館で『祈りの仏像-石見の地より-』という魅力的な企画展が開催されることを知り、これはラッキー!と思ったら、石見美術館は益田市にあるというではないか。益田~松江間は特急でも2時間かかる。いろいろ考えた末、20日の夜は、小浜→敦賀→京都→岡山に宿泊。翌朝、岡山→新山口→益田と乗り継いだ。大変すばらしかった企画展のレポートは別稿とする。

 昼過ぎに益田を離れ、出雲へ。私は学生時代に松江には行ったことがあるが、出雲は初訪問だ。出雲市駅からバスに乗る。参道の入口付近で下り、まず本殿とは逆方向に向かう。現在は使われていない大社駅の和風駅舎を見るためだ。平成2年(1990)に廃駅となったというから、学生時代に足を延ばしていれば、まだ現役だったのだな。二階の屋根の上には、寺院のような鴟尾(しび)が取り付けられている。低い屋根には、火災除けだろうか、獰猛な顔をした亀(玄武?)が乗っていて、京都の冷泉家住宅を思い出した。



 にぎわう参道をそぞろ歩いて、出雲大社へ。少し前に「ブラタモリ」の出雲の回を見て、観光客が増えていることは承知していたが、鎌倉みたいである。若者の姿が多く、また若者向けのお店が多い。平成25年に「平成の大遷宮」が終わって、落ち着いているのかと思ったら、銅鳥居や拝殿は修理工事中だった。正面は全く風情がなかったが、裏側にまわると本殿のおおらかな勇壮さが感じられる。千木(ちぎ)がカッコいい。瑞垣に沿ってまわっていくと、向かって左側面に小さな参拝所があった。出雲大社の本殿は南面しているが、中の御神座は西向きなのだそうだ。調べても理由がよく分からないのが面白い。また、本殿の裏正面の少し高いところに小さな社殿があって、大勢の参拝客が並んでいた。何かと思ったら、スサノオ社だった。素鵞社(そがのやしろ)と呼ばれている。



 拝殿正面の敷石には↓こんな模様が。2000年に出土した宇豆柱(うづばしら)の規模と場所を示すものだと思う。このあと、隣りの島根県立古代出雲歴史博物館で宇豆柱の実物を見た。古代の出雲大社本殿は「とにかく巨大だった」説が有名だが、実は諸説あり、さまざまな復元模型を見ることができて面白かった。



 この日は松江泊。翌朝、JRで米子方面に2駅先の揖屋(いや)駅に行って、揖屋神社を訪ねた。出雲地方でも最も古い神社のひとつで、記紀神話に登場する黄泉比良坂の比定地の近くにある。『日本書紀』斉明天皇5年の条に「又、狗、死人の手臂を言屋社(いふやのやしろ)に噛み置けり」とある「言屋社」とも考えられている。朝早かったせいもあって、ほとんど人の姿もなく、境内には霊妙な雰囲気が漂っていた。拝殿には、参拝者に向けて、よく光る鏡が立ててあった。



 私は、かれこれ30年近く前に読んだ入沢康夫さんの「わが出雲・わが鎮魂」という長詩が今でも大好きである。旅行の直前、たまたまツイッターに、入澤康夫の詩の朗読会が開催されるという情報が流れ、「入澤康夫『わが出雲』で、犬が死人の腕を社に置いて行ったというその社は、松江市東出雲町の揖夜神社」という情報に接した(同作品には、記紀神話や古今の文学作品の発想や表現がコラージュのように取り入れられている)。古びた石段の脇にたたずんで、ここに置かれた死人の白い腕を想像していた。



 その後、松江に戻って、松江城、小泉八雲旧居・記念館などを見学。松江歴史館では、松江城が江戸時代初めに完成したことを示す祈祷札を見ることができた。これが松江城の国宝指定の決め手になったといわれている。1枚は肉眼で読めたが、1枚は赤外線写真を見ないと、全く文字があるように見えなかった。昼食は出雲そば。暑いので、地ビール「ビアへるん」(ヴァイツェン)で喉を潤す。美味い! 関東でも飲める店を探したい。そして、バスで境港へ向かう。
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