去年(2006年)のバレンタインデー、いつものとおり新宿小田急デパートにノイハウスのチョコレートを買いに行って慌てた。2005年3月に日本を撤退していたのである。
そのノイハウスが、いつの間にか復活したという。先週末、銀座をうろうろして、お店を見つけた。大きな包みは職場で同僚に分けてしまったが、小さいバーは自分用で、まだ冷蔵庫に入っている。この週末のお楽しみ。

○府中市立美術館 企画展『海をこえた出会い-「洋画」と「洋風画」』
http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/
先週、怠けていたのがたたって、仕事を抱えた3連休になってしまった。くぅ~遠出するつもりだったのになあ...と嘆きながら、それでも最後の1日だけは、あまり行かない郊外の美術館まで、気晴らしに出かけることを自分に許した。
この展覧会は、江戸時代の画家たちが手探りで描いた「洋風画」と、実際に西洋の美術に出会った明治時代の画家たちが日本にもたらした「洋画」を取り上げたものである。先日見てきた神奈川県立近代美術館(葉山)の『時代と美術の多面体』の企画意図と、少し似ている。
ただし、葉山の展覧会では、導入部にほんの数点だけ展示されていた「江戸時代の洋風画」に、本展はたっぷりスペースを割いている。まずは洋風画の第一人者である司馬江漢の作品。ただし、見てすぐそれと分かる「洋風画」ばかりではない。たとえば、宙に吊るされた花瓶と盛り花を描いた作品は、写生的で装飾的な中国絵画(南蘋派っていうの?)の趣きである。だが、よく見ると、この花瓶はガラス製らしい。切り花の茎の影が透けて側面に映っている。もしかしたら、このへんがさりげない新趣向なのかもしれない。
期待どおり、亜欧堂田善の作品に再会できたことは嬉しかった。思えば、この府中市立美術館を訪ねたのも、「江戸の洋風画」に興味を持ったのも、昨年の同時期に行われた『亜欧堂田善の時代』展が最初である。「甲州猿橋乃眺望」「墨堤観桜図」は、無心で静謐な画面がいい(このひと、横長の画面が多いんだな)。「新訂万国全図」は高橋景保作の精密な世界地図で、田善は銅板画の作成を請け負ったわけだが、展示品に田善の名前を見つけられなかった。どこに署名があったんだっけ?
昨年の展覧会で名前を覚えた安田雷洲の銅板画もあった。「丁未地震」と題した小品なのだが、すごい。倒壊する家屋、吹き上げる炎、闇の中にうごめく群集(白い手足ばかりが目立つ)。まさかデューラーの『黙示録』とか見てないよね...見てるのかしら。
大久保一丘の「真人図」は、無地の背景に、灰色の地味な着物を着た少年を正面から描いた肖像画である。モデルの真摯な黒い瞳が印象的だ。これは「洋風画」と言っていいのかどうか。使われている画材は、どうやら伝統的な絹本著色らしい。遠近法とか透視図法とか、立体に影をつけるとか、分かりやすい「洋画の技法」を用いているわけでもない。だが、この時期のどんな「洋風画」よりも近代的で、個性を持った人間の存在を感じさせる。作者は、個性(自我)というものを理解していたのか、それとも洋画の表現技法を学んだ結果、このように個性的な肖像画に行き着いたのか、そこのところも謎である。
後半は明治の洋画。なるほど、工部美術学校の教師だったフォンタネージによって、バルビゾン派ふうの抒情的な風景画が広まっていくわけか。夏目漱石や森鴎外など、明治の人々の最も身近にあった洋画とは、こういうものだったのだな、と確認する思いで見ていく。
ところで、五百城文哉「小金井風景」と本多錦吉郎「景色」は、最近、偶然にも古い絵葉書によって、前者は玉川上水、後者は府中のケヤキ並木であることが判明したという。比べてみると、確かに描かれた風景と絵葉書の写真は、木の枝ぶりなどがそっくりである。よく見つけたなー。面白い。