goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

祝・ノイハウス復活

2007-02-16 21:29:50 | 食べたもの(銘菓・名産)
やれやれ、週末。今週はバレンタインデーがあった。

去年(2006年)のバレンタインデー、いつものとおり新宿小田急デパートにノイハウスのチョコレートを買いに行って慌てた。2005年3月に日本を撤退していたのである。

そのノイハウスが、いつの間にか復活したという。先週末、銀座をうろうろして、お店を見つけた。大きな包みは職場で同僚に分けてしまったが、小さいバーは自分用で、まだ冷蔵庫に入っている。この週末のお楽しみ。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛すべき服妖/楊貴妃になりたかった男たち(武田雅哉)

2007-02-15 22:41:53 | 読んだもの(書籍)
○武田雅哉『楊貴妃になりたかった男たち:「衣服の妖怪」の文化誌』(講談社選書メチエ) 講談社 2007.1

 武田雅哉さんとの付き合いは長い。もちろん著書を通じての一方的な付き合いであるが。「新しい本が出たら必ず読む」と決めている著者のひとりである。

 本書は、中国の文化史に現れた「女装する男性」と「男装する女性」のエピソードを、古代から近現代まで、広範に拾い集めた労作である。古くは前漢末期、劉向の『書経』「洪範篇」の「五行伝論」に「服妖」についての言及があるという。正常を逸脱した服装をするものが現れるのは、天下に異変や混乱が起こる予兆と考えられた。それゆえ、彼らは「服妖」(衣服の妖怪)と呼ばれたのである。

 彼ら(彼女ら)には、さまざまな事情がある。女性が男装するのは、仇討ちのためとか、親孝行のためとか、公明正大な目的の場合が多い。最も有名なのは、ディズニーのアニメになった木蘭故事だ。彼女たちは、最後には結婚するなどして、めでたく本来のジェンダーに戻る。「男まさりの女将軍」は、陰陽の秩序を転倒するものとして不吉がられたが、演劇や語り物の世界では欠かせない「華」だった。

 一方、男性の女装は色事がらみが多い。私は、中国の軟文学にはあまり詳しくないので、あるとき、その方面の専門家に「中国文学にも同性愛ってあるんですか?」と聞いたら「あるとも」と言われて、へえーと驚いたことがある。しかし、事例をみると、好き心から女装して深窓の令嬢に近づく男とか、異性愛者のドタバタ劇のほうが多いようだ。同性愛でも女性に近づくためでもなく、純粋な興味で女装してみた男の話は、妙に今日的である。結局、妹に見つかって、どやしつけれる「心優しいにいちゃん」に、著者がひどく同情的なのが微笑ましい。

 著者の文献渉猟は、清末の視覚メディア『点石斎画報』を経て、共産党政権下のプロパガンダポスター、現代中国アート、武侠小説、ネットに及ぶ。かつての「服妖」は、いま「人妖」というようだ。「オカマ」のニュアンスに近いのかな。「ネット人妖」(ネカマ)というのもある由。「人妖(ren yao)」の頭文字をとってRYとも呼ぶらしい。

 あと、周恩来が学生時代、しばしば新劇の旦(女形)を演じていたというのは初耳であった。私は、写真のキャプション「女形は、恩来がやれば安心だ」がツボにはまって、通勤電車の中で七転八倒してしまった。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンスのレッスン・鍋島家の華/泉屋博古館分館

2007-02-14 21:55:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○泉屋博古館分館 企画展『大名から侯爵へ-鍋島家の華-』

http://www.sen-oku.or.jp/

 旧佐賀藩主・鍋島家伝来の装束や調度品を公開する展覧会である。私は佐賀には縁もゆかりもないが、鍋島家はヒイキなのだ。焼きもの好きなら当然のこと。有田・伊万里の窯業を保護育成してくれた恩人だから。「鍋島」様式は、高級すぎて手が出せないけど。最後の藩主にして、のちの侯爵・鍋島直大氏にも親しみがある。娘の梨本宮伊都子さんもヘンなもの集めていて面白いし。

 実は、直前に読んでいた前田愛さんの『幻景の明治』収「三島通庸と鹿鳴館時代」に、明治17年10月から、鍋島侯を幹事長とする舞踏の練習会が日曜日ごとに開かれることになった、という記述を見たのである。そうして促成栽培された踊るマネキン人形たちによって、翌18年5月には、初の公開舞踏会が開かれた。

 いやご苦労なことである。そう思ったら、上記のサイトに写真の上がっている、見事な夜会服が見たくなって出かけた。残念ながら、写真の夜会服は2/14から登場ということで見られなかった。その代わり、男性用と女性用、一対の舞踏会服があって、しかもこれが、明治20年4月20日、首相官邸の仮装舞踏会で、鍋島侯爵夫妻の着用したものだという。ちゃんと写真まで添えてある。なんと、前田愛さんの本にいう「百鬼夜行の狂宴」に着用された衣装が残っているとは!

 男性用は、長めの上着に半ズボン(だったと思う。記憶で書いている)。銀白色のカツラつき。なんというか、モーツァルトの時代ふうの礼服である。女性用も、やや短めのふわりとしたスカート。コシ・ファン・トゥッテふう。そうか、あれは「仮装」だったのか。確かに、てろりとした安っぽい生地。いまなら、素人劇団だって、こんな安物は使わないだろう、という衣装だった。

 その一方、江戸時代の装束は、どれも堅実な美しさを持っている。刺繍で埋めた女性ものの打掛や小袿(こうちぎ)もいいけど、連続文様を織り出しただけの、男性用の直衣や狩衣も、品があっていい。蒔絵の文箱や煙草盆など、調度品類もどれも趣味がいいだけに、仮装服の安っぽさは、悪夢のような気がする。嗚呼。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闇の百鬼夜行/幻景の明治(前田愛)

2007-02-13 23:30:17 | 読んだもの(書籍)
○前田愛『幻景の明治』(岩波現代文庫) 岩波書店 2006.11

 恥ずかしながら、前田愛さんの著書を読むのは初めてではないかと思う。学生の頃、先生から勧められたのに、ついに読まなかった。でも「いつかは読もう」と思ってずっと記憶に留めていた著者である。

 それでよかったのかもしれない。私が「明治」という時代を、教科書で習った「文明開化」の栄光とともに、その裏面に隠された、さまざまな欲望、残酷、無知蒙昧などを受け入れて、重層的にイメージできるようになったのは、つい最近のことである。学生時代、ムリに背伸びをして前田愛さんの著作を読んでも、たぶん半分も理解できなかっただろうと思う。

 そう、本書に描かれた「明治」とは、「解説」に川本三郎が言うごとく、「その安定、秩序からこぼれ落ちてしまった、いわば『もうひとつの明治』」「表通りの明示に対して、裏通りの明治」なのである。

 たとえば、正統的な文学史や音楽史では、決して取り上げられることのない「民権歌謡」を論じた「飛ぶ歌」。民権歌謡とは、明治10年代、民権思想を普及する目的で作られた媒体(メディア)で、俗謡・流行歌・詩吟など、伝統的なうたいものの形式を踏まえるかたちで成立した。これを同時期の官学アカデミー界で起こった詩歌革新活動『新体詩抄』と対比させ、皮肉っぽく論ずる。

 裏通りには、しばしば百鬼が遊行する。明治20年4月20日、伊藤博文首相官邸で開かれた仮装舞踏会(ファンシー・ポール)!! 『時事新報』は、夜会に集まった貴顕紳士と夫人たちの扮装を詳細に伝えている。虚無僧あり、大僧正あり、賤の女あり。弁慶牛若、曽我兄弟あり。井上(馨か)外務大臣は三河万歳、山田(顕義)司法大臣は吉備真備、渡辺(洪基)帝国大学総長は富士見西行。すげー。日本の政治家って、むかしからこんなにバカ丸出しだったのか。

 二葉亭四迷がウラジオストックあたりで女郎屋を開いてみたいと真剣に思っていたというのは初耳。彼は、娼婦の輸出に国家的な意義を見出していたようなのである。「明治時代をつうじてもっとも真摯な個性のひとつ」である二葉亭にして、この奇妙な発想あり。著者の言うとおり、「明治国家の裏側にかくされた蔭の部分は、どこでどうつながっているのか、私たちの想像をこえたところがある」。ほんとだなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「洋画」と「洋風画」/府中市立美術館

2007-02-12 22:00:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

○府中市立美術館 企画展『海をこえた出会い-「洋画」と「洋風画」』

http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/

 先週、怠けていたのがたたって、仕事を抱えた3連休になってしまった。くぅ~遠出するつもりだったのになあ...と嘆きながら、それでも最後の1日だけは、あまり行かない郊外の美術館まで、気晴らしに出かけることを自分に許した。

 この展覧会は、江戸時代の画家たちが手探りで描いた「洋風画」と、実際に西洋の美術に出会った明治時代の画家たちが日本にもたらした「洋画」を取り上げたものである。先日見てきた神奈川県立近代美術館(葉山)の『時代と美術の多面体』の企画意図と、少し似ている。

 ただし、葉山の展覧会では、導入部にほんの数点だけ展示されていた「江戸時代の洋風画」に、本展はたっぷりスペースを割いている。まずは洋風画の第一人者である司馬江漢の作品。ただし、見てすぐそれと分かる「洋風画」ばかりではない。たとえば、宙に吊るされた花瓶と盛り花を描いた作品は、写生的で装飾的な中国絵画(南蘋派っていうの?)の趣きである。だが、よく見ると、この花瓶はガラス製らしい。切り花の茎の影が透けて側面に映っている。もしかしたら、このへんがさりげない新趣向なのかもしれない。

 期待どおり、亜欧堂田善の作品に再会できたことは嬉しかった。思えば、この府中市立美術館を訪ねたのも、「江戸の洋風画」に興味を持ったのも、昨年の同時期に行われた『亜欧堂田善の時代』展が最初である。「甲州猿橋乃眺望」「墨堤観桜図」は、無心で静謐な画面がいい(このひと、横長の画面が多いんだな)。「新訂万国全図」は高橋景保作の精密な世界地図で、田善は銅板画の作成を請け負ったわけだが、展示品に田善の名前を見つけられなかった。どこに署名があったんだっけ?

 昨年の展覧会で名前を覚えた安田雷洲の銅板画もあった。「丁未地震」と題した小品なのだが、すごい。倒壊する家屋、吹き上げる炎、闇の中にうごめく群集(白い手足ばかりが目立つ)。まさかデューラーの『黙示録』とか見てないよね...見てるのかしら。

 大久保一丘の「真人図」は、無地の背景に、灰色の地味な着物を着た少年を正面から描いた肖像画である。モデルの真摯な黒い瞳が印象的だ。これは「洋風画」と言っていいのかどうか。使われている画材は、どうやら伝統的な絹本著色らしい。遠近法とか透視図法とか、立体に影をつけるとか、分かりやすい「洋画の技法」を用いているわけでもない。だが、この時期のどんな「洋風画」よりも近代的で、個性を持った人間の存在を感じさせる。作者は、個性(自我)というものを理解していたのか、それとも洋画の表現技法を学んだ結果、このように個性的な肖像画に行き着いたのか、そこのところも謎である。

 後半は明治の洋画。なるほど、工部美術学校の教師だったフォンタネージによって、バルビゾン派ふうの抒情的な風景画が広まっていくわけか。夏目漱石や森鴎外など、明治の人々の最も身近にあった洋画とは、こういうものだったのだな、と確認する思いで見ていく。

 ところで、五百城文哉「小金井風景」と本多錦吉郎「景色」は、最近、偶然にも古い絵葉書によって、前者は玉川上水、後者は府中のケヤキ並木であることが判明したという。比べてみると、確かに描かれた風景と絵葉書の写真は、木の枝ぶりなどがそっくりである。よく見つけたなー。面白い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王朝ゴシップ集/殴り合う貴族たち(繁田信一)

2007-02-10 21:31:19 | 読んだもの(書籍)
○繁田信一『殴り合う貴族たち:平安朝裏源氏物語』 柏書房 2005.12

 『天皇たちの孤独』(角川選書 2006.12)が面白かったので、続けてもう1冊。書かれた順番では、本書のほうが1年ほど早い。『天皇』と同様、本書も、『小右記』などの古記録を素材に、王朝貴族の周辺で起きた暴力事件を掘り起こしたものだ。

 そこそこ面白かったが、本書は、ちょっと「やり過ぎ」の感がした。確かに、右中弁藤原経輔と蔵人式部丞源成任が髻をつかみあって取っ組み合いをしたとか、荒三位道雅が下級官人を半殺しにしたとか、上級貴族が自ら手を下したケースもあるにはある。しかし、大多数は、拉致にしろ強姦にしろ襲撃にしろ、配下の者に指図して実行させたエピソードだ。

 一般的な王朝貴族のイメージからすれば、十分センセーショナルかもしれないが、それを「殴り合う貴族」と呼んでしまうのは、読者の耳目を引き付けるための、あざとい手管に感じられて、あまりいい気持ちがしない。その点、新刊『天皇たちの孤独』のほうが、ソフィスケイトされている。編集の腕の差ではないかと思う。印象だけど。

 やっぱり、しみじみと面白いのは、中関白家の人々(藤原道隆の子孫)。前述の、御前で暴力沙汰を起こした経輔は、隆家(道隆男)の息子である。また「荒三位」と呼ばれた問題児、道雅は、伊周(道隆男)の息子で、祖父に溺愛されたという。歌人としても有名(むかし、ゼミでこのひとの和歌が当たって少し調べたことがある。懐かしいなあ~)。伊周と隆家の兄弟は、色恋沙汰から発した闘乱で、花山法皇の従者2人を殺して生首を持ち去ったという噂もあるそうだ(小右記)。ひー。これは、たぶん初耳。

 学生時代は文学史を通じて彼らを知るのみだったので、隆家の後半生を知ったのは、ずいぶん後のことになる。官位栄達の望みを絶たれたあと、隆家は、大宰権帥を拝命して九州に下り、在任中、刀伊(女真族か)の入寇を撃退して武名を挙げた。陰湿な政争よりも、こういう荒事のほうが彼の本分だったのかも知れない。伊周の、抜群の才芸にめぐまれながら、バランスを取れないエキセントリックな性格も魅力的。うーん、小説もしくはマンガにしたらオモシロイのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筆写と活字/図説韓国の古書(安春根)

2007-02-08 23:54:22 | 読んだもの(書籍)
○安春根著、文ヨン[女燕]珠訳『図説韓国の古書:本の歴史』 日本エディタースクール出版部 2006.11

 出版されてすぐ、カラー図版の多いことに惹かれて買ってしまい、ときどき眺めて楽しんでいたが、ようやく本文を読み終わった。正直にいうと、文章には、やや癖があって、読むのがしんどい。「わが国(韓国)の文化」「わが国の歴史」「わが国の古書」が、他国に比べてどれだけ素晴らしいかという点に、非常に力が入っているのだ。

 日本人の古書談義といえば、天下国家を離れて、粋とか通とか、枯れた雰囲気に接近するのが常だと思う。たぶん中国人や中国学者の場合もそうだろう。だから、本書の強烈な愛国臭には、どうにも違和感が拭えなかった。しかし、繰り返すが、本書は豊富な写真図版が楽しめるので、全くのしろうとが韓国の出版文化を知るには、手頃な入門書だと思う。

 私は、漢籍(中国の古書)が好きなので、展示会などの機会があれば、なるべく見に行っている。先日、日本古典籍講習会という研修を受けて、日本の古書についても、少しまとまった知識を仕入れてきた。さて、韓国の古書について読んでみると、この三国の出版文化史は、それぞれに特色があって面白いと思う。

 本書で「え?」と目を疑ったのは、「確実な記録の残っている写本の年代は紀元800年代以前に遡れない」という記述。そりゃあ、遅すぎないか?と思った。ネットで調べたら、韓国の国宝『新羅白紙墨書大方広仏華厳経』は755年製作とされているようである(→詳細)。これは本書の所説が古いのか、それとも単純ミスなのか。

 上記に続く「わが国の場合、仏教以外の写本で明らかに高麗時代(918-1392)まで遡れるものはない」という記述も、ちょと眉唾な感じがする。だが、早くから(そしていつまでも)写本の手軽さを愛して、なかなか版本や活字に乗り換えなかった日本人と、写本をあまり残さなかった(らしい)活字の国、朝鮮の対比は、非常に面白いと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王朝貴族の家庭崩壊/天皇たちの孤独(繁田信一)

2007-02-06 22:29:58 | 読んだもの(書籍)
○繁田信一『天皇たちの孤独:玉座から見た王朝時代』(角川選書) 角川書店 2006.12

 読み終えてから、あらためて著者紹介を見なおした。このひと、何者? 著作一覧を見ると、この数年、陰陽師や安倍晴明に関する本を立て続けに出しているようだ。いずれも書店の棚で見た覚えがある。なんだか胡散臭いと思っていたヤツか。

 しかし、本書は面白かった。仕事を放り出して、ほとんど一気読みしてしまった。舞台は平安王朝の盛期、円融~花山~一条~三条天皇の時代。藤原氏は、兼家とその息子たち(道隆、道兼、道長)が活躍し、多くの后妃、女房、貴族たちが才を競い、華やかな逸話を残した。高校で習う「大鏡」や「枕草子」を通じて、誰もが多少なりとも親しんだ経験をもつ時代である。大学で国文学を専攻し、しばしばゼミで平安時代の和歌集を読んだ私には、端役まで含めて、深なじみの人物・事件が多い。

 にもかかわらず、本書に取り上げられたエピソードには、初めて聞くものが多かった(いまさらながら、勉強不足だったんだなあ)。まず冒頭、寛弘8年2月15日、一条天皇の朝夕の食事に、給仕をつとめるはずの殿上人が、誰も姿を見せなかったという一段にびっくりする。この日、殿上人たちは、ことごとく勤めをすっぽかして、道長の御曹司・頼通の春日詣に同道していたのである。結局、物忌みで自宅に籠っていた資平が参内して給仕をつとめた(そもそも、さまざまな典礼規則に縛られた当時の天皇は、他人の給仕なしには食事ができなかった、ということにもびっくり)。そして、一条天皇はぼやくのである。「きっと、明日もまた誰もおらんのだろうな」と。

 本書には、この手のエピソードが満載である。「奸臣」兼家、道長の傍若無人な振る舞い。保身と追従に右往左往する貴族たち。はかない抵抗と「ばやき」を留める皇族たち。著者は、多くのエピソードを、貴族の漢文日記から拾っているようだ。とりわけ、小野宮実資の『小右記』を参考にしたことが記されている。

 よしあしは別として、本書は、古記録のエピソードを現代風にアレンジして提示するやりかたが上手い。その結果、「枕草子」では理想的な男性に描かれている一条天皇が、本当は上っ調子の軽薄者だったらしいことが分かる。賢人右府と呼ばれ、反主流のポジションにいた実資も、生一本の硬骨漢だったわけではなくて、出処進退にいろいろ神経を悩ませていたことが読み取れる。

 人間は、身内となら必ずウマが合うとは限らない。家族思いの詮子は、父・兼家の喪をないがしろにするような兄の道隆が大嫌いで、弟の道長に肩入れする。ところが、道隆の娘・定子は、一条天皇の最愛の妃だったから、詮子の態度は、一人息子の天皇の、徹底的な反抗を呼ぶ。道長の娘・彰子は、定子の没後、遺児の敦康親王を自らの養子として育ててきた。道長は、彰子の実子である敦成親王を皇位につけようとし、かえって娘の恨みを買う。おもしろいなあ、あまりにも近すぎる近親間で、繰り返される、濃密な愛憎関係。

 とにかく、面白さ抜群の1冊。同じ著者の違う本も読んでみよう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉山の休日ランチ

2007-02-05 21:59:10 | 食べたもの(銘菓・名産)
久しぶりに、葉山の神奈川県立近代美術館に行った。(承前)

ランチの時間を外したおかげで、館内のレストラン「オランジュ・ブルー」で食事ができた。メニューはサーモングリル丼。

窓越しに眺める海が気持ちよくて、美術館併設のレストランとしては、私の知るかぎり、最高だと思う。おためしあれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代と美術の多面体/神奈川県立近代美術館(葉山)

2007-02-04 23:09:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立近代美術館(葉山)『時代と美術の多面体-近代の成立期に光をあてて-』

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/

 この数年、東洋美術ばかり見てきたが、昨年あたりから、少し洋画を見直すようになった。ただし、いま、いちばん面白いと思っているのは、日本人の描いた洋画である。この展覧会は、「明治末から昭和初めにかけての日本近代の成立期を中心に、美術(洋画)に現われた多彩な諸相」を追ったもの。まさに、最近の私の興味とぴったり重なるテーマだった。

 特に最初の部屋「技法・材料から見た近代日本の油絵」が面白い。冒頭の1枚は、若杉五十八の「鷹匠図」。縦長の画面に、南欧を思わせる明るい青空。西洋画の写しだが、達者な技術である。解説プレートを写したメモによれば、秋田藩主の佐竹曙山と、藩士の小田野直武が切り開いた洋風画は「秋田蘭画」と呼ばれるのだそうだ(ただし、若杉は長崎系で秋田蘭画とは異なるんだけどな。どうしてこんなメモを取ったんだろ?)

 隣は、私の好きな亜欧堂田善。横長の画面に三囲(みめぐり)の土手の雪景色を描く。3枚目「美人図」を描いた島霞谷は、解説によれば、蕃書調所で洋画を学んだ。関係者の回想によれば、実物の油絵を見ることができないまま、まさに暗中模索の油絵研究だったらしい。ところで、「島霞谷」で検索してみたら、かなり面白い人物であることが判明。活字を作ったりとか。群馬県立博物館の企画展、ちょっと行ってみたい。

 明治の画家だと思っていた高橋由一が、もと狩野派で、蕃書調所画学局で洋画を学んだというのも興味深く思った。それから、高橋が「螺旋展画閣」という、日本初の西洋画の美術館を構想していた、というのも。螺旋閣!会津のさざえ堂じゃないか!

 島霞谷もそうだが、近代初期の洋画家の多くは「何でも屋」である。法律を学びに渡欧して洋画も学んだ国沢新九郎、外交官でもあった百武兼行など。展示では、作品のX線透視図(全く構図の違う下絵が何種類も見られる。キャンバスを節約して使いまわしていたのか?)や、塗り重ねられた絵具の断面を示すことによって、彼らの技術が確かなものであったことを検証する。絵画の見かたとしては邪道かもしれないけど、興味深い試みだと思う。

 さて、次のセクションからは、学術的な興味を離れて、絵画を絵画として鑑賞しよう。前から気になっていたのだが、萬鉄五郎っていいなあ。「ふてぶてしい肉体」の存在感に惚れてしまった。それから、世田谷美術館の『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』で、清々しい自画像が印象的だった松本俊介の作品が数点。「橋(東京駅裏)」は、スモッグに霞む灰色の石橋、無人の風景を描いたもの。「街にて」は、赤一色や青一色の画面に、脈絡なく嵌め込まれた男女の姿が、主人公のいない大衆の時代を表すように思った。萬も松本も岩手県出身というのは偶然かな?

 単に「趣味」なのかも知れないが、私は日本人画家の描いた大陸の風景が好きだ。梅原龍三郎「長安街」に描かれた紫禁城(たぶん)の赤い壁と黄色い瓦、安井曽太郎「承徳の喇嘛廟」のピンクの壁と緑の門。岸田劉生「路傍秋晴(大連風景)」の青空、黄色い大地とくっきりした木の影も。日本の湿潤な風景と違って、何か、のびのびとはじけるような色彩を感じるのである。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする