○小峯和明『中世日本の予言書:「未来記」を読む』(岩波新書) 岩波書店 2007.1
中世には、さまざまな予言の書「未来記」が作られた。社会の変化、価値観の動揺、戦乱、国際関係の緊張など、さまざまな不安要因を抱えて、人々は「未来記」なしには生きられなかったのである。
未来記は、過去の有名人(たとえば聖徳太子や宝誌和尚)に仮託して作られたテキストや、どのようにでも解釈できるテキストの注釈というかたちで現れる。事実を探る歴史資料としては、何の信憑性も持たない。しかし、去り行く神仏、飛来する犬や猿、魚の膾(なます)に羽根が生え、黒ネズミが牛の腸(はらわた)を喰らうなど、奇っ怪なイメージを通して、中世の混沌と人々の不安の深さを肌身に感ずることができる。そこには不思議な魅力がある。
近世に入ると、中世の未来記は、合理的・考証学的な観点から批判検証され、貶められたり、パロディ化されたりする。しかし、未来記の命脈は近代初期まで持ちこたえた。明治の政治小説、末広鉄腸『雪中梅』では、上野博物館の後方、鶯谷の崖が崩れ、国会開設の事を記した石碑が出現するのだそうだ。すごい! これ、笑ってしまうけど...地中に埋められた「聖なるもの=確かなもの」にすがりたいという、願望の根強さを感じる。そういえば、中国で「共産党亡」と書かれた石碑が出土したというニュースがあった。あれも東アジア的未来記のひとつであるな。
中世には、さまざまな予言の書「未来記」が作られた。社会の変化、価値観の動揺、戦乱、国際関係の緊張など、さまざまな不安要因を抱えて、人々は「未来記」なしには生きられなかったのである。
未来記は、過去の有名人(たとえば聖徳太子や宝誌和尚)に仮託して作られたテキストや、どのようにでも解釈できるテキストの注釈というかたちで現れる。事実を探る歴史資料としては、何の信憑性も持たない。しかし、去り行く神仏、飛来する犬や猿、魚の膾(なます)に羽根が生え、黒ネズミが牛の腸(はらわた)を喰らうなど、奇っ怪なイメージを通して、中世の混沌と人々の不安の深さを肌身に感ずることができる。そこには不思議な魅力がある。
近世に入ると、中世の未来記は、合理的・考証学的な観点から批判検証され、貶められたり、パロディ化されたりする。しかし、未来記の命脈は近代初期まで持ちこたえた。明治の政治小説、末広鉄腸『雪中梅』では、上野博物館の後方、鶯谷の崖が崩れ、国会開設の事を記した石碑が出現するのだそうだ。すごい! これ、笑ってしまうけど...地中に埋められた「聖なるもの=確かなもの」にすがりたいという、願望の根強さを感じる。そういえば、中国で「共産党亡」と書かれた石碑が出土したというニュースがあった。あれも東アジア的未来記のひとつであるな。