見もの・読みもの日記

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愛すべき服妖/楊貴妃になりたかった男たち(武田雅哉)

2007-02-15 22:41:53 | 読んだもの(書籍)
○武田雅哉『楊貴妃になりたかった男たち:「衣服の妖怪」の文化誌』(講談社選書メチエ) 講談社 2007.1

 武田雅哉さんとの付き合いは長い。もちろん著書を通じての一方的な付き合いであるが。「新しい本が出たら必ず読む」と決めている著者のひとりである。

 本書は、中国の文化史に現れた「女装する男性」と「男装する女性」のエピソードを、古代から近現代まで、広範に拾い集めた労作である。古くは前漢末期、劉向の『書経』「洪範篇」の「五行伝論」に「服妖」についての言及があるという。正常を逸脱した服装をするものが現れるのは、天下に異変や混乱が起こる予兆と考えられた。それゆえ、彼らは「服妖」(衣服の妖怪)と呼ばれたのである。

 彼ら(彼女ら)には、さまざまな事情がある。女性が男装するのは、仇討ちのためとか、親孝行のためとか、公明正大な目的の場合が多い。最も有名なのは、ディズニーのアニメになった木蘭故事だ。彼女たちは、最後には結婚するなどして、めでたく本来のジェンダーに戻る。「男まさりの女将軍」は、陰陽の秩序を転倒するものとして不吉がられたが、演劇や語り物の世界では欠かせない「華」だった。

 一方、男性の女装は色事がらみが多い。私は、中国の軟文学にはあまり詳しくないので、あるとき、その方面の専門家に「中国文学にも同性愛ってあるんですか?」と聞いたら「あるとも」と言われて、へえーと驚いたことがある。しかし、事例をみると、好き心から女装して深窓の令嬢に近づく男とか、異性愛者のドタバタ劇のほうが多いようだ。同性愛でも女性に近づくためでもなく、純粋な興味で女装してみた男の話は、妙に今日的である。結局、妹に見つかって、どやしつけれる「心優しいにいちゃん」に、著者がひどく同情的なのが微笑ましい。

 著者の文献渉猟は、清末の視覚メディア『点石斎画報』を経て、共産党政権下のプロパガンダポスター、現代中国アート、武侠小説、ネットに及ぶ。かつての「服妖」は、いま「人妖」というようだ。「オカマ」のニュアンスに近いのかな。「ネット人妖」(ネカマ)というのもある由。「人妖(ren yao)」の頭文字をとってRYとも呼ぶらしい。

 あと、周恩来が学生時代、しばしば新劇の旦(女形)を演じていたというのは初耳であった。私は、写真のキャプション「女形は、恩来がやれば安心だ」がツボにはまって、通勤電車の中で七転八倒してしまった。
コメント (5)
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