○苅谷剛彦編著『いまこの国で大人になるということ』 紀伊國屋書店 2006.5
発売されたときから気になる本だった。教育学者の苅谷剛彦氏が、「さまざまな分野の第一線で活躍中の著者」を選び、「大人になる」ということをキーワードに自由に執筆してもらったエッセイ集である。本のオビには、著者を含む16人の執筆者名が並んでいるのだが、その顔ぶれが、なかなか魅力的なのだ(→詳細)。
「さまざまな分野」と言っても、基本的には学者ばかりである。大学人が多い。ベストセラーを書いて、頻繁にマスコミに取り上げられた人もいるけれど、世間一般には、そんなに有名な人々ではないと思う。だが、私のような人文書オタク(?)から見ると、へえ!と唸りたくなる人選なのである。
執筆者の年齢は、1人を除いて、1955~65年の間におさまる。中でも半数が1957~62年生まれ、年齢では40代前半から半ばにあたる。本書は、とりあえず、大人になりきれずに悩んでいる若者に向けたメッセージ、という体裁を取っている。しかし、実は、どのエッセイの著者も、「自分は大人になったと言えるのか?」「自分の”大人のなりかた”は、これでよかったのか?」ということを、慎重に自問自答しながら書いているように思われた。
そのように感じたのは、私が著者たちと同年代だからかもしれない。私より少し上の世代まで、「大人の条件」は、それを受け入れるにしても、反発するにしても、比較的「自明のこと」だったと思う。しかし、われわれの世代は、自明の前提が崩れてゆく過程を生きてきた。だから、不惑を過ぎてもなお、「大人になるってどういうこと?」という疑問にとらわれて、こんな本を手に取ってしまうのである。本書のまえがきには「大学生はもとより、高校生にも読んでほしい」とあるが、私のような40代、30代読者にととっても、非常に魅力的な1冊である。
結論だけを抜粋すると誤解されてしまうかもしれないが、私が強く打たれたのは、サブカルチャーを論じた斉藤環の「私が考える成熟の定義は『去勢によって自由になること』、これである」ということば。それから、人間には、遺伝子のほかに文化(ミーム)を伝える役割があることを説いて、「ただ、社会的存在でありさえすれば、それでいいのだ」「ナンバー・ワンはもちろん、オンリー・ワンになる必要もない」という佐倉統。小谷野敦もなかなかいいことを言っている。
ちなみに、かつて、成人の条件は「就労」と「結婚」だった。この2つが、ともに多様化に晒されていることは、山田昌弘の分析に詳しい。西研によれば、就労(自分で稼ぐこと)は結婚(性的満足を得ること)の前提条件だったという。へえー。考えたこともなかった。私は「低所得の若者が多いことが、晩婚・少子化の原因」という論を見るたびに、実感がなくて、首をひねっていたのである。今も昔も、男性にとって「より多く稼ぐこと」と「より多く結婚の機会を得ること」は、同じベクトルなのね。女である私にとって、両者はむしろ、つねに相反するベクトルだった(自分で稼ぐことができなかったら、たぶん結婚していただろう)。この認識の差異は、本書の主題から外れるけれど、面白い発見だった。
発売されたときから気になる本だった。教育学者の苅谷剛彦氏が、「さまざまな分野の第一線で活躍中の著者」を選び、「大人になる」ということをキーワードに自由に執筆してもらったエッセイ集である。本のオビには、著者を含む16人の執筆者名が並んでいるのだが、その顔ぶれが、なかなか魅力的なのだ(→詳細)。
「さまざまな分野」と言っても、基本的には学者ばかりである。大学人が多い。ベストセラーを書いて、頻繁にマスコミに取り上げられた人もいるけれど、世間一般には、そんなに有名な人々ではないと思う。だが、私のような人文書オタク(?)から見ると、へえ!と唸りたくなる人選なのである。
執筆者の年齢は、1人を除いて、1955~65年の間におさまる。中でも半数が1957~62年生まれ、年齢では40代前半から半ばにあたる。本書は、とりあえず、大人になりきれずに悩んでいる若者に向けたメッセージ、という体裁を取っている。しかし、実は、どのエッセイの著者も、「自分は大人になったと言えるのか?」「自分の”大人のなりかた”は、これでよかったのか?」ということを、慎重に自問自答しながら書いているように思われた。
そのように感じたのは、私が著者たちと同年代だからかもしれない。私より少し上の世代まで、「大人の条件」は、それを受け入れるにしても、反発するにしても、比較的「自明のこと」だったと思う。しかし、われわれの世代は、自明の前提が崩れてゆく過程を生きてきた。だから、不惑を過ぎてもなお、「大人になるってどういうこと?」という疑問にとらわれて、こんな本を手に取ってしまうのである。本書のまえがきには「大学生はもとより、高校生にも読んでほしい」とあるが、私のような40代、30代読者にととっても、非常に魅力的な1冊である。
結論だけを抜粋すると誤解されてしまうかもしれないが、私が強く打たれたのは、サブカルチャーを論じた斉藤環の「私が考える成熟の定義は『去勢によって自由になること』、これである」ということば。それから、人間には、遺伝子のほかに文化(ミーム)を伝える役割があることを説いて、「ただ、社会的存在でありさえすれば、それでいいのだ」「ナンバー・ワンはもちろん、オンリー・ワンになる必要もない」という佐倉統。小谷野敦もなかなかいいことを言っている。
ちなみに、かつて、成人の条件は「就労」と「結婚」だった。この2つが、ともに多様化に晒されていることは、山田昌弘の分析に詳しい。西研によれば、就労(自分で稼ぐこと)は結婚(性的満足を得ること)の前提条件だったという。へえー。考えたこともなかった。私は「低所得の若者が多いことが、晩婚・少子化の原因」という論を見るたびに、実感がなくて、首をひねっていたのである。今も昔も、男性にとって「より多く稼ぐこと」と「より多く結婚の機会を得ること」は、同じベクトルなのね。女である私にとって、両者はむしろ、つねに相反するベクトルだった(自分で稼ぐことができなかったら、たぶん結婚していただろう)。この認識の差異は、本書の主題から外れるけれど、面白い発見だった。