見もの・読みもの日記

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愛国と暴力装置/「右翼」の戦後史(安田浩一)

2018-09-26 23:56:29 | 読んだもの(書籍)
〇安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書) 講談社 2018.7

 日本における右翼とは何者か、何を目指そうとしてきたのかを、歴史に沿って考える。はじめに基本的な定義として、右翼とは、自由、平等の理想を掲げる左翼と異なり、国家への忠誠を優先する者であること、日本の場合、そこに絶対不可侵の天皇という存在が加わることが示される。

 本書の記述の大半は「戦後史」だが、序章だけは戦前を扱う。日本右翼の源流は幕末の「水戸学」にさかのぼるという。明治の自由民権運動は左右両翼の運動を育て、その中から、日本初の右翼団体である玄洋社が誕生する。玄洋社は大アジア主義を唱え、アジア各国の民族自決を支援した。しかし明治中期を過ぎると、左右は異なる道を歩むようになり、大正時代には「反社会主義」を標榜する右翼団体が生まれた。彼らは、労働争議や小作争議を弾圧したい企業経営者や地主層にとって都合のよい、暴力装置として機能した。昭和に入ると明確な思想性を持つ右翼団体が生まれ、血盟団から二・二六に至る右翼テロが頻発する。しかし、二・二六事件が天皇の拒絶によって失敗して以後、「反体制」であった右翼は体制に取り込まれ、ついに日本全体が右翼の掲げる「神話」に熱狂するようになった。この駆け足の「戦前史」には、いろいろな逆説がしのびこんでいて、本文の「戦後史」よりも面白いと感じた。

 以下、戦後について。終戦に抵抗した「伝統右翼」たちの行状は全く知らないもので興味深かった。愛宕山事件とか松江騒擾事件とか、日本郵船の愛国的労働組合「明朗会」の自決、「大東塾」の練兵場での自決(代々木公園に石碑がある)など、大局的にはほとんど無意味な人間の行動に、私は関心を掻き立てられる。

 終戦直後には、復員軍人や虚無的な若者を中心として「任侠右翼」(ヤクザ系右翼)が生まれた。彼らは「反共」を叫んでいたが、思想的な支柱はなく、暴力だけが実践だった。終戦から3年ほど経つと、軍国主義は許さないが左翼の隆盛も望まないGHQの空気を読んで、戦前右翼が復活を始める。街宣スタイルを確立した彼らは「行動右翼」と呼ばれるようになった。復活した右翼は「反共」「自立」のため、米国を利用しようと考えた。その結果、「親米」に変節した右翼は、国家権力にとって非常に利用しやすい勢力となり、自民党、政財界と結びついた。その後、学園紛争と新左翼の伸長を背景に、従来の右翼を否定する(反米・反体制的な)「新右翼」が登場した。牛嶋徳太朗、鈴木邦男の証言が取り上げられている。

 著者は本書の冒頭で、日本右翼の戦後史は1970年から新しい時代が始まると述べている。しかし前史としての「幕末~戦前」及び「終戦~1970年」が非常に分かりやすいのに比べると、最後の「1970年以降」は分かりにくい。60年代末の右派学生運動に胚胎し、70年代に位置づけられる「新左翼」の次は、いきなり「宗教右派」の台頭と日本会議の話題になってしまうのだ。著者の見取図では、70年代以降、左翼運動の急激な衰退にともなって、右翼も方向性を失い、「反共」に代わるテーゼとして取り入れられたのが「改憲」で、宗教右派は、元号法制化、教科書問題など、地道な活動を続けて今日に至るということなのだろう。しかし、80年代、90年代には、何か重要な分岐点というものはなかったのだろうか。

 そして最後に「ネット右翼」にも1章を設ける。「ネット右翼(ネトウヨ)」と「本物の右翼」は違う、という主張があるが、本書を読むと、そもそも「本物の右翼」とは何か、そんな区別に意味があるのか?という疑問が生ずる。いつの時代でも、確たる思想的基盤もなく「反共」「愛国」等々、適当なスローガンを奉じて(これは右翼だけではない)暴力の行使を楽しもうとする輩は大勢いる。一方、真摯に同胞のことを考え、先人を敬慕し、少しでも社会をよくする実践に生きる「右翼」もいる。本書は、そうした、声の大きくない少数派の右翼の生き方を折々に紹介しており、知ることができてよかった。

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