見もの・読みもの日記

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事実と責任/東電原発裁判(添田孝史)

2018-05-16 23:22:45 | 読んだもの(書籍)
〇添田孝史『東電原発裁判:福島原発事故の責任を問う』(岩波新書) 岩波書店 2017.11

 2011年3月に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)と福島第一原発事故の記憶は、正直なところ、私の中で鮮明さを失いつつある。だが、原発事故に関する国や東電の責任を明らかにしようという住民たちの行動は、やっと始まったばかりだということを本書によって初めて知った。

 著者は、被災者たちが必要としているのは「事実を明らかにすること」「責任を問うこと」「十分な救済」の3つだという。同感である。しかし「救済」には注目と共感が集まっても、「事実」と「責任」がうやむやにされやすいことは、日本の社会の通弊でないかと思う。2012年6月、原発事故の被害者たちは福島原発告訴団を組織し、東電幹部や政府関係者を業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発した。東京地裁の「不起訴決定」を覆し、初公判が開かれたのは、2017年6月のことだった。本書は、主にこの裁判の争点を詳しく解説した内容である。

 指定弁護士側(検察側)の主張は、要約すると「東電は最大15.7メートルの津波を予測できていた」「予測に基づく安全対策を実施する義務があった」「対策が完了するまで原発を停止しておくべきだった」というものである。これに対し、被告人である東電元幹部の勝俣恒久氏、武黒一郎氏、武藤栄氏は「最大15.7メートルの津波は不確実な試算にすぎない」「たとえ15.7メートルの試算にもとづいて対策をしていても事故は防げなかった」と主張している。

 この「最大15.7メートルの津波(ほぼ事故時の津波の高さ)」が「予測できた」とか「試算にすぎない」という意味は、以下のとおりである。

 福島第一原発は、1960年代の地震学の知識に基づいて設計されており、当時想定された津波の高さは最大3メートルだった。しかし、その後の地震学の進歩によって、建設時の想定を超える津波が起きる可能性が高いことや、その場合すぐに炉心損傷に至る脆弱性を持つことが繰り返し指摘されていた。特に、1995年の阪神・淡路大震災を教訓に設置された地震調査研究推進本部(推本)は、全国の主要な活断層やプレート境界(海溝)についての長期評価を発表してきた。2000年代には津波堆積物の調査をもとに「貞観地震」(869年)の研究が進み、関係者の注目を集めるようになった。

 2008年3月、東電設計は、地震学の新しい知見を取り入れて津波計算を行った結果、福島第一に達する最大水位は「15.7メートル」になることが示された。この事実は東電の記録に残されている。しかし、最新の科学的知識に照らして古い原発の安全性を再検討する「バックチェック」の要請に対して、東電はずるずると対応を引き延ばし、2009年6月末までに終えるはずの予定を、2011年の事故当時にも終えていなかった。衝撃である。東電は、15.7メートルの試算が妥当かどうか土木学会に相談中だったと弁明しているが、どう考えても、安全対策コストを節約し、営業収益を優先したとしか思えない。また、国策のプルサーマル推進を滞らせないため、政府が東電に加担したという推測も否定できない。

 ここで対比的に取り上げられているのが、東北電力の女川原発である。東北電力は、2008年に中間報告、2010年に最終報告を提出しており、貞観地震も検討に含まれている。そもそも女川原発も、設計当時(1970年認可)は福島第一と同等の最大3メートルの津波しか想定していなかった。しかし、津波研究の進展に伴って想定を見直し、敷地高さを14.8メートル(福島第一の1.5倍)としていたことから、東日本大震災では大きな被害を免れ、地震翌日には3基の原子炉を全て冷温停止することができたという。この事実は、もっと知られていいのではないか。私は全ての原子力発電に賛成しないが、それとは別に、東電という企業の体質には、大きな問題があると感じられてならない。

 本件のような「科学的不確実さ」に企業はどこまで責任を持つのか、どこまで司法が裁けるか、判断は難しい。しかし、事故によって甚大な影響が生じる原子力防災には、一般防災と次元の異なる責任が課せられるべきだと思う。利根川の堤防は200年に1回の大雨に対応するが、原発は1万年に1回の災害を想定すべき、という著者の言葉に同意する。

 それから、東電が長年にわたって地震の専門家に面談するたびに「技術指導料」(謝礼)を渡していたことの問題点(利益相反、科学の中立性)、福島県に開設が予定されているアーカイブ施設が「原子力災害と復興の記録や教訓の未来への継承・世界への共有」をうたいながら、事故を防ぐことはできなかったのか、なぜできなかったのか、という観点が抜けているという指摘も印象に残った。事実の究明と客観的な責任の追及は、震災以後を生きる私たちの仕事である。
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